【長谷川】 ジムさん(マクリディ氏の社内での愛称)はとてもユニークなキャリアをお持ちです。双方がかけ離れたジャンルのキャリアで共に成功されているわけですが、野球選手時代とビジネスマンになってからとではご自身の洋服選びにも大きな違いがあったのではないですか?

【ジェームス】これを話すと大抵みなさん驚かれるんですが、実はメジャーリーガーには、かなり厳しいガイドラインがしかれています。ヒゲや髪の毛の長さまで全部厳しく決められているんです。ガイドラインからはずれると罰金を払わなければいけないんですよ。ここまで厳しい理由は、選手がただ単にチームを代表しているだけではなく、組織全体を代表しているとみなされているからです。またユニフォームは戦いをする準備ができていることを示すものでもあります。これはビジネスでも同じです。組織が誇りを持ってくれるように身なりを整えるという点からいえば、野球ではそれがユニフォームであり、ビジネスではスーツなのだと思います。このように結構、野球で得た経験をビジネスに反映させることができていると思います。

【長谷川】では、アドビの社長として、シーンに合った服とはどのようなものだとお考えですか?

【ジェームス】アドビは非常にクリエイティブな会社です。それと同時に、カジュアルな会社という印象も持たれていると感じています。アドビは西海岸にある会社なので、その影響も大きいのでしょうね。ただ私は、お客さまやパートナーさまを訪問する時に、その会社がカジュアルな服装を良しとしていない場合、訪問時は必ずスーツを着用するようにしています。

【長谷川】ビジネスでスーツを着用する場合、これから行く場所がどの程度のフォーマル感が求められているかわからない時には、おそらくドレスダウンするよりはドレスアップした方がリスクが少ない、安全だということでしょうか。

【ジェームス】私もそう思います。ホームアドバンテージというか、こちらが相手の本拠地に行く場合は、こちらは過剰なくらいちゃんとした方がいい。お客さまやパートナーさまを訪問する時には、そうした方々に対する尊敬の念を示せる適切な服を着ることが重要だと思っていますので、お客さまとお会いする時にちゃんとした服装をしないということは、まずありません。スーツを着ていてもカジュアルにしたい時や暑い時には、ネクタイをはずせばいいですからね。それに自分に似合うスーツを着ると、自信が出るのもプラスの効果だと思います。

【長谷川】それでは反対に、社内にいらっしゃる場合はいかがですか?

【ジェームス】実はよくアメリカの西海岸にある本社とテレビ会議をするんですが、毎回朝のテレビ会議でスーツを着ていたら、上の人たちから「もうスーツを着るのはやめてくれ、アドビの社員なんだから」と言われたことがあります(笑)。「でもこれが楽なんです」と言ったら「だったらいい」とOKが出ました。

【長谷川】いかにもアメリカの西海岸らしいエピソードです(笑)。ジムさんはなぜスーツがお好きなんですか?

【ジェームス】アドビの前にいた会社が東海岸にある会社だったので、その影響がかなり大きいですね。東海岸も最近はどんどんカジュアルになってきてはいますけれど、西海岸の会社はスーパーカジュアル。例えばアドビ本社に戻ると、エグゼクティブがジーンズにTシャツだったり、スニーカーとかサンダルを履いていたりします。でもなぜかトレンディーでプロっぽく見えるんですよね。東海岸の会社では、そんなスーパーカジュアルはないと思います。

【長谷川】今回ばかりでなく、過去に4年間日本に住まわれていた経験をお持ちなので、日本人のビジネススタイルは理解されていることと思います。どうお感じになっていらっしゃいますか?

【ジェームス】先ほど、ビジネスシーンにおけるスーツは野球のユニフォームのようなものと言いましたが、日本では「できるだけ目立たないようにする」という感覚でスーツをユニフォームのように着ている部分もあるのかなと思います。アメリカ人の場合は自己表現としてスーツを着る人が多いので、カラフルなものを選ぶ傾向があるようです。

でも日本人って面白いなと思うのは、仕事中はみんな似たような服装をしているけれど、本当はとてもファッショナブルで、ファッションコンシャスだということ。カラフルだったり素材のまったく違うものを組み合わせたゴルフウェアを着ていたりして、とてもクールだと思いました。お客さまなどと日本でゴルフに行くと、みなさんゴルフファッションが素晴らしいです。来月ちょうどアメリカ人の友人たちとアイルランドでゴルフをするんですが、それまでに日本でゴルフウェアを買って、日本のゴルフウェアってこうなんだよとアイルランドで見せようと思っています。

【長谷川】スーツがお好きで、着ることを楽しんでいるというジムさんですが、私のアメリカ人の友人に聞くと、彼らのクラシックなスタイルは母校のアイビーリーグや父親からの影響が大きいと言っています。ご自身のファッションは、ご家族からの影響を受けていますか?

【ジェームス】私の父を見たら、みなさん「あのお父さんの真似はしたくないな」と思われるのではないでしょうか(笑)。ただ父は常に「見た目をちゃんとしなさい、身なりを整えなさい」と言っていました。アメリカでは休日や教会に行く時など、小さな頃からドレスアップする機会があります。私が初めてスーツを着たのは、8歳の時。「全員スーツ着用」というイベントがあって、父が選んでくれたものです。子どもの頃から、子供用の偽のネクタイではなく、ちゃんとした大人用のネクタイを締めたいと思っていたので、父からネクタイの締め方を教わった時のことはよく覚えています。彼は左利きで、私は右利きだったので、教わってもうまくいかなくて大変でした。でも鏡に映しながら結んだら、ちゃんと結べました。

ストライプの靴下、異素材使いの靴で、さりげなく自己主張

【長谷川】男性が洋服を選ぶ際は女性に比べて選択肢が少ないので、素材やディテールへのこだわりが重要だと思うのですが、目立つ色や形を選択することでおしゃれをしていると満足してしまっている日本人が多いように思います。

【ジェームス】日本人はビジネスマンとしてのキャリアを始める時に、「スーツはネイビーかグレーのいずれか」と枠を決められてしまうそうですね。それがその後にも影響を与えるんだろうなと思います。ただ日本人でもボタンのところのステッチなどにこだわっている人は結構いるなと思いました。ちょっとしたところでもこだわりがある洋服を着ていると、目についてその人の特徴として捉えて覚えたりしますね。アメリカ人にはものすごく派手な靴下で自己表現する人もいます。私のこの靴下もまあまあカラフルだと思うんですけれど、もっともっとカラフルです。

【長谷川】確かに男性の服装の中でいえば、靴下はVゾーンと離れていること、一目ですぐに目につくアイテムではないので遊ぶことができるアイテムですね。靴はいかがですか?

【ジェームス】靴は暑い時に履くのに適した通気性が良いもので履きやすいんです。同時に、お客さまのところに行っても恥ずかしくないフォーマルさもあります。

【長谷川】異素材を使いながら、同色のブラックでコンビネーションになっているウィングチップ(つま先切り替え部分の形状のこと)のシューズは、確かにカジュアルとフォーマルが絶妙です。ところで今日のスーツのポイントはなんでしょう?

【ジェームス】これは妻が選んでくれた、お気に入りのスーツです。前職で7年前にアジア担当となり、その時にアジアでビスポークのスーツを注文するようになりました。素材が良くて着心地が良くて、自分にフィットしているので、大きなプレゼンテーションがある時やお客さまと会う時にはビスポークのスーツを着るようにしています。時計は結婚15周年の記念に妻からもらったものです。同じものを僕も妻に買っていたので、箱を開けた時にびっくりしました。

奥様からプレゼントされたロレックスを愛用中

【長谷川】シャツの襟の幅などは、ご自分でリクエストされたりしますか? 一度ビスポークのものを着ると既製服には戻れないと良く聞きますが、いかがでしょうか?

【ジェームス】布を選んだりするのは好きですね。このスーツはコンサバティブなイメージで作ったので表地は黒、裏地は明るい色を使っています確かに一度ビスポークでスーツを作ってしまうと、私の体のサイズ情報をテーラーが全部持っているのでフィット感がまったく違います。快適なので、既製服にはなかなか戻れないでしょうね。

【長谷川】ラグジュアリー産業では「経験を売る」、例えばビスポーク・スーツのように個々のお客様に合わせたパーソナライズされた製品によって顧客との信頼性や競合他社との差別化を図ろうという動きが盛んですが、アドビもそのような方向性の戦略を考えてらっしゃいますか?

【ジェームス】その通りです。このようにスーツをビスポークするようなパーソナライズされた経験というのは、これからアドビが提供しようとするものに通じるものがあると思っているからです。アドビというのはクリエイティブコンテンツやドキュメントクラウドなどが有名ですが、パーソナライズされたデジタル体験をお届けするところでも活躍できるはずです。その発表イベントに登壇する予定なので、スーツを新調しようと思っているんですよ(笑)。

【長谷川】自らのビジネス戦略に沿ったスーツ選び、それは確実に説得力のあるプレゼンテーションになりそうです(笑)。

ジェームズ・マクリディ/James McCready
米国マサチューセッツ州ボストン出身。米国マサチューセッツ州ベントリー大学にて、経営学の理学士号を取得。20年以上、EMC(現 Dell EMC)で米国とアジアにおけるエンタープライズセールスとマネジメント経験を有し、直近ではシンガポール拠点にて、Converged Platforms and Solutions 担当 バイスプレジデントを務める。また、2012年から2016年の4年間、EMC Japanのチーフ セールス ストラテジー オフィサーおよびCOO(チーフ オペレーティングオフィサー)として東京に在住。EMC入社以前の1991年から1997年はプロ野球選手としてNYメッツにピッチャーとして在籍。2018年4月にアドビ システムズ株式会社の代表取締役社長に就任。

長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa
ジャーナリスト。イギリスを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。メンズファッションに関する記事を、雑誌を中心に執筆。最新刊『サルトリア・イタリアーナ』(万来舎)を2018年3月に上梓。著書に『サヴィル・ロウ』『ハリスツィードとアランセーター』『ビスポーク・スタイル』など。

interview:Yoshimi Hasegawa
text:Miho Yanagisawa
photograph:Seiya Kawamoto