――愛用の逸品が意外性のある愛犬でした。しかも散歩中は経営戦略が湧き出るとか。ロイヤルホストの営業時間を減らし、休業日を設ける戦略は驚きでした。

私は今の経営戦略においてサスティナビリティが重要だと思っています。大きくは人口や環境、食料の問題。私たちの経営においては、人口が増え、経済成長が保証される時代と違い、成長が鈍化した現在は、お客様、株主、従業員、取引先のすべてのステークホルダーの満足をバランスよく取らないと事業は継続しません。株主は満足するけど従業員は犠牲になるというトレードオフはダメです。

2010年に社長に就任したとき、疲弊している従業員をどうにかしないといけないと思いました。

――ただ、従業員の働く時間を減らすだけでは、今度は他のステークホルダーの満足が犠牲になります。

もちろん一方で生産性を上げる取り組みは必要です。発想としては空間軸と時間軸を使って少しずつ生産性を向上させます。空間軸は外食事業だけでも「ロイヤルホスト」のほかに「天丼てんや」や「カウボーイ家族」など業態が異なる複数のレストランがありますし、ホテル、機内食など外食とは違う事業を持っていることです。それらを組み合わせてロイヤルの強みを活かし、あるいは弱みをカバーします。

――時間軸のほうはどうでしょうか。

時間軸は、インバウンド、テクノロジー、付加価値の向上などの戦略に時間差があることです。ホテルや機内食の部門はインバウンドの恩恵がすぐに利益につながる即効性があります。天丼てんや、製造部門はテクノロジーがモノを言い、中長期的な戦略が必要です。そしてロイヤルホストのように付加価値を上げる事業はさらに時間がかかります。

時間軸と空間軸のコンセプトをうまく使って1円ずつ増収増益を図るという、ゆっくりとした経営改善を目指してきました。そのとき大事なのは説明責任です。株主は「なぜ利益が上がるのがこんなに遅いのだ」と成果を求めるので、それにこたえる必要があります。また従業員にも株主と同じ決算説明をしています。

――営業時間を減らしても、1円ずつ増収増益を図る経営が上手くいきました。

従業員の誇りに支えられました。休みを増やしたら、その分、売上が下がりました、という当たり前の状態をよしとしなかった従業員の誇りです。従業員たちの環境さえ整えてもらえれば、もっと良いサービスができ、業績も上げられるという声なきメッセージだったと思います。

――以前、勤めていた日本債券信用銀行(日債銀)は経営の立て直しがかなわず、破綻という結果でした。そこから学んだことは何でしょうか?

日債銀の破綻で「止まる」勇気を学びました。バブル景気の時代の空気に流されて実施した無茶な貸し出しがしっぺ返しとなりました。銀行も自分も大変厳しい時代でした。

そのとき服の話で一つ面白いエピソードがあるんです。破綻直後は頭取と一緒にマスコミを避け、ホテルを転々としました。それでもテレビに映ります。母から電話があり、「毎日、同じスーツじゃないの。着替えなさい」と注意されました(笑)

――秘書時代に仕えた頭取ですね。

経営再建のために日本銀行から派遣された東郷重興さんです。不良債権は東郷さんが来る前に積み上がったものだから責任はなかったのですが、破綻当時、経営の中枢にいたということで逮捕されました。

差し迫った状況の中でも、愚痴を一度も言わない人でした。いつも明るくて冗談も言う。人として尊敬していました。東郷さんが逮捕され、その後釈放されるという状況の中で、旧経営陣を助けながら旧経営陣を訴えている銀行から給料をもらう矛盾に心苦しくなり、私も銀行を辞めなければいけないと思いました。

――そしてドイツ証券に転職しました。

転職するときはさすがに東郷さんから嫌な顔をされるかと思いました。東郷さんにとっては、日債銀との接点は数少なくなっていましたから。しかし「それはよかったね」とおっしゃって、モンブランの万年筆とボールペンのセットを餞別にくれました。今も大事な書類のサインに使っています。

12年間の裁判の末、東郷さんは無罪となりました。そのとき、お祝いのパーティを当社のロイヤルガーデンカフェ青山で開いていただいたのはうれしかったですね。

思い出深い万年筆とボールペン

――日債銀の破綻は菊地会長の人生も大きく変えました。

今はもう笑い話なのですが、銀行も破綻したけど私個人もほとんど破綻状態でした。銀行を辞めるとき住宅ローンの借り換えにかなりのお金が必要で、ドイツ証券に転職したときは8万円の現金しか持っていませんでした。転職して2週間したころ、フロリダで開かれるオフサイトミーティングに行くように言われ、チケットはもらえるけど、現地で過ごす現金がない。子どもが病気で行けませんとウソをついて断りました。

クルマも買い替えるお金がないから銀行時代からのものを転職先でも使っていました。マフラーが落ちてしまってガムテープで貼っていたら、それを上司に見つかってしまい、「外資系でこれはまずいだろう」とお小言をもらいました。

――時代やその場の空気に流されるか、それともそれを客観的に見つめ直すかで大きく違ってきますね。

故・山本七平さんがおっしゃっていた「空気」に支配されず、今やっていることが正しいかと自分自身に問うことが大切です。2016年に社長を交代し、会長職に就いたのも空気と関係があります。そのまま社長を続けることはできたでしょう。しかし1人の人間が長く社長の座にいれば周りが社長の意向を忖度する空気が生まれ始めます。社長交代によって、それに水を差し、チェックすることが新しい使命と思ったのです。

菊地唯夫/Tadao Kikuchi
ロイヤルホールディングス会長兼CEO
1965年、神奈川県生まれ。88年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)入行。2000年ドイツ証券東京支社入社。04年にロイヤルグループ入社。10年に社長就任。16年から会長兼CEOに就任。

text:Top Communication
photograph:Tadashi Aizawa
hair & make:RINO