ゾーンに入る――。

スポーツの競技中やプレーの最中に究極の集中状態になったことを、このように表現する選手が時々います。アスリートの方と同じものかどうかはわかりませんが、じつは僕も「ゾーンに入っていたんだな」と感じた試合があります。同じスポーツでも僕の場合はeスポーツ、格闘ゲームの対戦でのことです。

舞台は、2019年12月にタイのバンコクで開かれた「TEKKEN World Tour 2019 Finals」。僕が中学生のころにハマり、それから世界一を夢見てずっとプレーし続けてきた「鉄拳」というゲームの世界大会です。年間ポイントランキングの上位選手ら20名だけが出場できるFinalsに、初めて出場しました。当日は予選リーグを首位通過し、勢いに乗って8名によるトーナメントも勝ち進みました。

迎えたウィナーズファイナル(事実上のセミファイナル)、対戦相手は韓国のニー選手です。このニー選手は、何年もの間、世界最強と言われている選手で、僕も一度も勝ったことがない相手。普通に考えればニー選手の圧勝と誰もが思っていたはずです。僕にとっての唯一の好材料は、ニー選手との対戦前に練習相手になってくれたバンコクの知人が、ニー選手と同じキャラクターを使っていたこと。キャラクターの癖や動きを直前まで予習することができたのです。

世界大会、しかもニー選手との対戦を前に、緊張は最高潮に達しました。大観衆が見つめるステージに上がり、巨大なモニターの前に用意された対戦席へ。普段から見慣れているせいか、鉄拳の画面を前にすると少し落ち着きを取り戻します。このウィナーズファイナルは、1ラウンド60秒、3ラウンド先取で1試合の勝利となり、3試合を先取したほうが勝者となります。

ニー選手との対戦は、いまでもよく覚えています。

1試合目、自分の技が全然通らない。カウンターを食らいまくる。だけど敗戦寸前の、最後の最後で超大技が奇跡的に当たる。内容では負けたけど試合に勝った。1勝。

2試合目もギリギリの戦いが続く。タイムアップ、残りの体力がわずかに上回っての勝利が2度。実力で勝っているというよりも、運がいい。2勝、リーチだ。

「あれ、これは自分の流れなのかな」。試合の展開づくりが自分に傾いている、そう思いました。

3試合目、流れに乗ったのか2ラウンドを先取。あと1ラウンド取ればあのニー選手に勝てる。という気の緩みがたたってか、2ラウンドまくられる。2‐2で迎えた第5ラウンド、これを取られたら一気に流れを持っていかれそうな負けられない対戦で、そのときはやって来た。

自分がプレーしているのに、まるで自分ではないみたいに調子がいい。防御の反応が特別に速い。相手の動きが手に取るようにわかる。攻撃に迷いがない。ここで攻めたら相手に返されるかもしれないけど攻めよう、ではなくて、これは絶対に通るという確信がある。あいまいさがいっさいない。下段の蹴りを4回連続で出した。こんなこと普段は絶対にやらないし、ましてや世界大会でやることじゃない。でも、相手、状況、自分の調子、すべてが通ると言っている。一瞬のひらめきだけど、確信がある。

そしてそれは確信通りになりました。残り27秒、立っていたのは僕のキャラでした。思わずガッツポーズが出ていました。言葉にするのは本当に難しいですし、いまでもなぜこんな感覚でプレーできたのか、はっきりとはわかりません。最後の優勝決定戦、グランドファイナルでは、ニー選手に勝ったことが自信になったのか3‐0で勝利。前の試合のような感覚にはなりませんでした。

おそらくニー選手という最強の相手、適度な緊張感、対戦前の知人との練習など、いろんな要素が僕の集中力を高め、ゾーンのような状態に連れて行ってくれたのだと思います。それ以来、いつでもゾーン状態に持っていけるように研究を続けています。これがいいのかなということが少しだけわかってきましたが、まだまだ試行錯誤の毎日です。

チクリン
プロゲーマー。1989年長崎県生まれ。中学2年のときに格闘ゲーム「鉄拳」を初めてプレーし、のめり込む。2018年9月に鉄拳7で日本人初となる「真・鉄拳神」に昇格し、翌月にプロライセンスを取得。19年7月には強豪が台頭しているパキスタンへ5日間の武者修行を行う。同年12月に鉄拳界最大の世界大会、TEKKEN World Tour 2019のファイナルを制し優勝。日本人初の快挙を達成した。

Direction & Interview:d・e・w
Illustration:Hiroki Wakamura