ミラネーゼスタイルを代表するサルトリア

今、最も日本で人気があるイタリアンスタイル。イタリアのラテン文化を象徴し、装う楽しさを積極的にアピールする、そのスタイルには華やかさ、軽さ、柔らかさがある。

しかし、イタリアンスタイルと一口に言っても、大別すると3つのスタイルがあるのをご存知だろうか。これには北部を代表するミラネーゼ、中部のフロレンティーン、南部のナポリタンがある。このスタイルの違いは、地域ごとに異なるイタリアの民族と文化を反映している。同じ国でもまったく異なるスタイルが存在する、この多様性がイタリアンスタイルならではの面白さだ。

いよいよ今回からイタリアのビスポーク・スタイルを紹介するにあたり、まず北部のミラネーゼスタイルから始めよう。北部ミラノ発祥のミラネーゼスタイル、これを代表するサルトリアがA.Caraceni(A.カラチェニ)だ。

ミラノのファトベーネフラテッリ通り2階にある本店のサロンにて。ここには1946年以来の歴史がある。三代目カルロ・アンドレアッキオ氏(左)、四代目マッシミリアーノ・アンドレアッキオ氏(中央)。父の代から彼らと親交の深いヴィターレ・バルベリス・カノニコ社フランチェスコ・バルベリス・カノニコ氏(右)©Luke Carby

20世紀のメンズスタイルを代表していたアイコンは誰か? 老若男女を問わず、現在でもイタリア人の中で必ず名前があがるのがフィアット社元名誉会長ジャンニ・アニェッリ氏だ。イタリア最大の自動車会社フィアット創業者の孫として生まれ、イタリアサッカー・セリエAのユヴェントスFCの名誉会長などの役職を歴任。さらに稀代のプレイボーイとしても有名だった。圧倒的な存在感と自信に裏付けされた独自の着こなしとエレガンスは、今もウェルドレッサーの代名詞となっている。イタリアのパワーとエレガンスの象徴であった彼のスーツを作っていたのが、A.カラチェニなのだ。

四代目マッシミリアーノ・アンドレアッキオ氏が着用するのはシングルブレスティッドのネイビーブレザー。特徴的なパゴダショルダーは共通だが、フォーマルな父のダブルブレスティッドとは異なり、よりカジュアル感のある着こなしとなっている ©Luke Carby

ミラネーゼスタイルを標榜するA.カラチェニのスタイルは、型紙を重視する英国仕立てに近く、ディテールの華やかさはパリの仕立てと共通するものがある。英国よりは軽いが、胸部とシャープなパゴダショルダー(弓なりにそったショルダーライン)を強調し、キャンバスで表現する構築的な作りが特徴だ。

このような現代に通じる近代イタリアの仕立ての礎を築いた初代のドミニコ・カラチェニ氏は、南部アブルッツォ州に生まれた。1920年代にローマで2人の弟ガリアーノ氏とアウグスト氏と共にサルトリアを開業し、ここからカラチェニ一族の約100年近い歴史が始まった。

ミラノの本店の奥にワークルームがあり、採寸、カット、クセ取り、縫製などすべての工程がここで行われている ©Luke Carby

1946年にマリオ・ドンニーニ氏をパートナーに迎え、ミラノのファトベーネフラテッリ通り16番地に開業。1972年にアウグスト氏が亡くなると、現在のA.カラチェニに改名した。アウグスト氏の息子で名サルトと謳われた二代目マリオ・カラチェニ氏による時代を経て、娘婿の三代目カルロ・アンドレアッキオ氏、その息子の四代目マッシミリアーノ・アンドレアッキオ氏へと引き継がれ、今も創業者一族によって経営されている。

ワークルームには日本人を含め、約30人の熟練の職人が働いている。イタリアの工房では最大規模のひとつだ ©Luke Carby

ビスポーク・スーツは人の手からひとりひとりの顧客に合わせて作られるものだけに、作り手であるサルトリアの美学が如実に反映されている。

北部イタリアのスーツに宿る美学について、三代目カルロ・アンドレアッキオ氏はこう語っている。

「どんなスーツをどんな風に着るのかが問題なのではない。エレガンスはスーツにあるのではなく、着用した顧客と一体となった時、初めて完成するものだ。ス・ミズーラ(Su-Mizura 完全注文のスーツ)の本質はそこにある」。

ピークドラペル、シグネイチャーのダブルブレスティッドスーツには左右どちらにも花留めのボタンホール(ブートニエール)がつく。これは第一ボタンを留めるボタンホールであった歴史に則ったもの ©Luke Carby

世界中でトランクショーやパターンオーダーを行うビスポーク・テーラーが増えているが、A.カラチェニはストイックなまでに本店ミラノで行うビスポークに徹している。それでも世界中から顧客が足を運ぶのは、ここでしか作ることのできないスーツを世界の超富裕層が求めているからだろう。A.カラチェニのビスポークは今でもイタリアの“パワースーツ”の象徴なのである。

長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa
ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。メンズスタイル、車、ウィスキー等に関する記事を雑誌を中心に執筆。最新刊『サルトリア・イタリアーナ(日本語版)』(万来舎)を2018年3月に上梓。今年、英語とイタリア語の世界3カ国語で出版。著書に『サヴィル・ロウ』『ハリスツィードとアランセーター』『ビスポーク・スタイル』『英国王室御用達』など。

問い合わせ情報

問い合わせ情報

A.Caraceni/A.カラチェニ