全国に約25万もの店舗が存在するという美容室。そのなかでも、吉原直樹会長が指揮をとる「アルテサロンホールディングス」は、独自の手法で成功を掴んだ業界の旗手といえる。それは、各店長にその店舗のFC店経営者として独立を促し、本部がマーケティングを行うというものだ。

「簡単に言えば、暖簾分けです。そもそも美容師って、“譲っていく”という文化が根ざした職業でもあると思うんですよ。ハサミやクシが代表例ですが、技術そのものだって同じく譲り渡されるべきものなんです」

そう語る会長自身、師匠から譲り受けたハサミとマフラーを今も大切に保管する。そして、この度、1着のスーツを後進に譲り渡すことを決めた。今から15年前、会社が上場したタイミングであつらえたイタリアの名門「ベルベスト」のスーツ。経団連のセレモニーや上場会社の社長として出席するパーティの壇上で身に纏った、思い出の1着だ。譲り受けるのは同会社の宇田川憲一取締役、会長の娘婿にあたる人物である。

カシミア混ウールを使った、肌触りの良いストライプスーツ。山下町の「バーニーズ ニューヨーク」で14年ほど前に購入した

「スーツって、サイズ感が大事でしょ。だから譲るという感覚はなかった」と語る吉原会長。しかし、現在は服のお直しの技術も格段に向上したため、リサイズだけでなくリデザインの選択肢も広がっている。その一方で、スーツを譲ることに関して別の懸念もあった。

「やはり地肌の上から身につけるものですから、生理的な問題があると思っています。僕は普段から、時計や車を従業員に譲ってしまいます。それが我々の文化ですし、みんなのモチベーションアップにもつながりますからね。でも、スーツはその人の汗が染み込んだ、いわば分身のようなものなので」

スーツ=分身。だからこそ“息子”にしか渡せないと感じたのだろう。ただし、生理的な問題を口にする表情からは多少の照れ隠しも垣間見えた。今回のスーツは、いわば一中小企業の社長から上場企業の社長へと階段を上ったターニングポイントを彩ったもの。同じく、今後ターニングポイントを迎えるであろう取締役への、激励の意味が含まれないはずがない。

雑誌のインタビュー取材で、今回のスーツを着用した吉原会長。少しゆったりとしたシルエットが、当時のトレンドを物語る

スーツに託した会長の願い。それは「強い自分を受け継いでほしい」ということ。経営者として不可欠な知識やキャリア、そして人間関係を、このスーツを着て積み重ねていってほしい。周囲の印象を左右する外見的な要素よりも、むしろ内面にこそ譲り渡す意味があるのだ。

「経営者として、これまで多くの困難や挫折がありました。でも、会社と関わりのあるすべての人のためにも、ピンチを乗り越えていかなくてはいけません。今、彼(宇田川取締役)には、僕と同じ中央大学のビジネススクールで経営を学んでもらっている最中です。これから苦労することもあるだろうけれど、まずは目の前のひとつひとつに、一生懸命取り組んでもらいたいです。たまにはこのスーツを着ながらね」

この日は、ピンストライプのスーツを着用した吉原会長。ラペル周りの特徴的なステッチワークのほか、タイとチーフでパープルを挿すなど個性的かつ上品な着こなしに

1986年、横浜市神奈川区の大口商店街。当時いわゆる“闇市”の商店街にあった駄菓子屋の2階で開業した美容室は、現在300店舗以上を従える業界のリーディングカンパニーへと成長した。一代でそれを成し遂げた吉原会長は、“譲っていく”という業界のしきたりを踏まえ、未来を見つめている。

吉原直樹/Naoki Yoshihara
1956年生まれ、神奈川県出身。1988年に「有限会社アルテ」を設立し、1997年には同社を組織変更し、株式会社化。2006年には現「アルテサロンホールディングス」を立ち上げ、代表取締役に就任。現在は同社の会長を務める。

text:Naoki Masuyama
photograh:Keiichi Ito