日本人パイロット室屋義秀、幕張の空に散る

さる5月、千葉・幕張で3回目となる「レッドブルエアレース」が開催された。世界中で8戦行われ、パイロットたちはレースの着順によるポイントを獲得し、年間ランキングを競う。今年は過去2回幕張で連続優勝し、昨年度は年間チャンピオンの座を射止めた日本人パイロット・室屋義秀選手が、母国である幕張のレースでハットトリックを決めるか否かに注目が集まり、国内のみならず国外からも多くの報道陣が詰め掛けた。

室屋選手のフライト序盤のヴァーティカル・ターン。このあと悲劇が起こる/Joerg Mitter /Red Bull Content Pool

レース会場となった幕張海浜公園の浜辺に、ため息と悲鳴が交錯した。観客の期待を一身に背負った日本人パイロット・室屋選手が、フライト序盤のヴァーティカル・ターンでまさかの「オーバーG」を記録し、いきなり失格となったからだ。

空気で膨らませた巨大なコーンの間を、規定のターンと飛行姿勢で飛びながらタイムを競うこのレースは、いわば最高時速350キロで曲芸飛行をこなすようなもの。パイロットの体にかかるGも強烈なものとなる。安全性の観点から、機器が12G以上を計測すると「オーバーG」と判定され、レース続行中止の失格となってしまうのだ。レース後の記者会見で室屋選手は「ターン中の機器からのデータは、ほぼ狙った通りだったが、ほんのわずかな精神的な部分でオーバーGになってしまったと思う」と語っていた。

失格はもちろん残念ではあったが、「だからこそエアレースはおもしろい」ともいえるのだ。

極限に置かれた人間の葛藤が、ドラマを生む

マット・ホール選手のフライト。ターン時の姿勢制御の安定感が好タイムにつながった/Samo Vidic/Red Bull Content Pool

室屋選手が語った「精神的な部分」に、まさにエアレースの醍醐味がある。というのもこのエアレースはヒート方式で2人1組がマッチアップでタイムを競い、より速かった選手が次戦へと駒をすすめることになっている。今回、室屋選手の直前に飛んだマッチアップの相手は、オーストラリアのマット・ホール選手。そのフライトで、今大会でただ一人となる55秒台という群を抜いたタイムを記録していたのだ。

同大会3連覇の期待を背負った室屋選手にかかるプレッシャーは、相当なものだったはず。実はこのとき、室屋選手には危険を犯してマット選手の記録を追い抜こうとせずに、ファーステスト・ルーザー(敗退選手の中の最速記録)を狙って次の試合に進むという戦略的な判断も可能だったのだ。しかし、室屋選手の判断はあくまでも「攻める」ことだった。失格もその戦う姿勢があってこその、名誉の敗退ともいえるだろう。

実際、決勝戦(決勝のみ4名の選手のタイムアタック)では、2名の選手がコーンの間をすり抜ける際の姿勢制御のミスで+2秒のペナルティーを科されている。高度な操縦技術で0.1秒の差を競い合う中での心理的なブレが、手痛いミスとなるのだ。しかし、それが激しく順位が入れ替わるエアレースのおもしろさを生んでもいる。優勝したマット選手は「メカニックとコースを攻める戦略がすべてうまくいった結果。チームの状態は非常にいい」と振りかえった。安定したチームコンディションと、パイロットの強いメンタルが、勝利を手繰り寄せるのだ。

日本人パイロットが思いださせてくれたこと

互いの健闘を誓い合う室屋選手と、今回優勝を果たしたマット・ホール選手/Balazs Gardi/Red Bull Content Pool

さて、レッドブルエアレースのトップリーグである「マスタークラス」には、現在14名のパイロットが名を連ねている。彼らの履歴を見ると、多くが元空軍のパイロットで、退役後も世界のエアショーでアクロバティクス(曲芸飛行)を得意とする、まさに猛者ぞろい。そのなかで唯一となる日本人、室屋選手は大学の航空部でグライダーに乗り、飛ぶことの魅力にはまったという、他と比べるといささかのんびりとした来歴のパイロットなのだ。

しかし、その思いは誰よりも熱い。飛行機がスポーツ文化として定着しているわけではない日本にいながら、世界のエアショーに参加しては惨めな敗退を繰り返し、その度に這い上がってきたのだ。練習場所や指導者を求めては仲間のパイロットの家に泊めてもらいながら世界の空で腕を磨いてきたという。実は、優勝したマット選手とはレッドブルエアレースの養成選手として選ばれたときの、いわば同期の桜でもあるのだ。

そうした“戦友”たちが競うレースには、舞台が大空ということもあってか、どこか突き抜けた清清しさを覚える。夢中になって飛行機を目で追っていると、「将来の夢はパイロット」――そんなことを無邪気に言えたころの、素直な憧れが胸の内に甦えるのである。そんな童心を思い出すだけでも、レース場に足を運ぶ価値がある。

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