酒の適量は、「恥じらい」の適量である

――吉村さんと酒との出合いは、いつ頃だったのでしょうか?

小学生の低学年の頃ですね。といっても飲むわけではありませんよ。当時、父と風呂に入ってゴシゴシ洗われるのが嫌だったんです。それで駄々をこねていると父が「一緒に風呂に入ったら、ビールの泡をなめさせてやるぞ」と。

――ビールの泡ですか?

そう。父が風呂上りに飲むビールの泡が、子どもの目には不思議でしょうがなかった。自分が飲んでいる炭酸飲料の泡と違って白くてクリーミーなのはなぜなのか、なかなか泡が消えないのはなぜなのか、気になって気になって……。たまに泡だけをペロッとなめるのですが、妙においしく感じたのを覚えています。そのころから味もわからないまま、酒というものに魅了されていたのかもしれません。

――ちゃんと飲むようになったのは、もちろん……

もちろん、大学生になってからです。一応、二十歳からといっておきますが(笑)。1970年代半ばです。京都の大学に通っていましたので、周りに女子大がたくさんありました。円形カウンターにバーテンがいる「コンパ」という業態がはやっていて、女子大生との「合同ハイキング(合ハイ)」のあと、そのコンパに行って、そこでカクテルを覚えましたね。男同士で飲むときはバンカラ風で、取手の付いた大きなジャンボ・ボトルの安ウイスキーで飲み明かしました。

――卒業後はサントリーに入社されていますが、酒が好きだったからでしょうか

学生のときは新聞記者になりたかった。しかし、就職活動が始まり、滑り止めのつもりで気楽に面接に行ったサントリーに受かったのです。自分は宣伝部といったクリエイティブ職につくものだ、といった根拠のない自信だけがありました。その後、希望通り宣伝部に入って、さまざまな企画をやりました。いい時代でしたね。しかし、その後、社内で「あいつは生意気だ」と、地方の営業職に飛ばされました(笑)

大変な思いもしましたが、このときの経験を後に『ビア・ボーイ』(PHP文芸文庫)という小説にまとめることができましたから、いま思えばよかったのでしょうね。

――大人の飲み方といった酒の嗜みは、サントリー時代に覚えたのですか

いやあ、大人だとか、カッコイイ酒の飲み方といったことは考えたこともないですよ。多くの人が経験すると思いますが、酒の飲み方は失敗して覚えていくものでしょう。こう飲んだらカッコイイんじゃないかって考えながら飲むなんて、むしろカッコ悪い。酒のいいところを消してしまう飲み方だと思います。

――酒のいいところとは?

酒は「自分を映す鏡」だと思います。酒を飲むと酔っ払って、そのひとの人格の一部がさらけ出されるわけでしょう。それをお互いに見せることで、コミュニケーションが深くなるわけです。酒を飲む自分がカッコイイかどうかなんて、昨今のスマホの自撮りみたいなもので、ナルシスティックでとても恥ずかしいことだと思いますね。

――男が独りでグラスを傾けるような大人の飲み方に憧れますが……

そういう男がカッコよく見えるのは、飲んでいる人が「恥じらい」をわきまえているからでしょう。たとえば、ワインのうんちくをやたら披瀝する男はカッコ悪いですよね。本当に知る人は語りませんよ。得意げに知識をひけらかすことが恥ずかしいと知っているからです。酒は「恥じらい」を知るのに役立ちます。飲みすぎて自分をさらけ出しすぎても恥ずかしいし、よく見られようとカッコつけて飲むのも恥ずかしい。でも、酔いの力を借りて、少し恥ずかしい自分を素直に出せるからこそ人と仲良くなれもします。酒の適量は、「恥じらい」の適量といえるのかもしれません。「ほどの良さ」が大切です。

BLACK BUSHは、バー・リバーサイドのマスターが仕事中に好んで飲む

――『バー・リバーサイド』のシリーズでも、登場人物がさまざまな挫折や悩み、失敗など、ちょっと恥ずかしい部分をマスターの前では思わず話してしまう。とてもリアルで印象的でした。本当の飲み屋の会話のようで。

バーカウンターの向こう側とこっち側。その間を酒がつなぐわけです。もっと言えば、架空のバー・リバーサイドは川の中州にある設定です。中州というのは、あちら側とこちら側との「あわい=間」です。昔から、中州はかつての熊野本宮大社があった大斎原(おおゆのはら)のように聖なる場所になったり、鴨川の河原のように戦場や刑場になったり、市(いち)や芸能が生まれたりした場所です。あの世とこの世の間をつなぐ場所としてあったのです。酒の物語の舞台としてもふさわしいと思いますね。

――ふさわしいといいますと?

酒には両義性があるからです。刃物と同じで、ポジティブとネガティブの両面がある。のめりこんでしまえば破滅することもある。しかし、人生をより豊かにするものとしても存在する。ひとは、「心身に健全である」ということだけでは、魅了されません。行き過ぎれば悪いものになる。そのギリギリの部分=危険性をはらんでいるからこそ、深く魅了されるのだと思います。良い子ちゃんって、ウソっぽいし、カッコ悪いですもんね。

――酒の話から、だいぶ奥深い世界にたどり着きました。PRESIDENT STYLEで吉村さんによる酒のコラムの連載がスタートする予定です。どんな話を聞かせてくれるのでしょうか?

むずかしい話にはなりませんから安心して楽しんでください。僕は酒の取材をずいぶんしてきましたが、「人にとって酒とは何か?」がつねに最大のテーマです。海外に行くと、昼間からご婦人が地元の酒を楽しんだりしているのを眼にすることがあるでしょう。そうした「土地に根ざした」さまざまな酒を紹介していきたいですね。

――ところで、吉村さんが好きな酒のジャンルはなんでしょうか?

全部です(笑)。というのも、酒は音楽と同じで、時代や文化のなかで自然に生まれたものです。音楽が好きであれば、ジャンルを問わず、音楽の良さがわかるものです。酒も同じです。ぜひ、酒の生まれた文化や歴史に思いを馳せ、いろんな酒に興味を持ってほしいですね。楽しみにしていてください。

吉村喜彦/Nobuhiko Yoshimura
1954年、大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。79年4月、サントリー入社。宣伝部に配属。輸入酒担当として、ヘイグのヌード・カレンダーやバーボンのソーダ割りキャンペーン、ジャック・ダニエルの広告を制作。ジャック・ダニエルの新聞広告は、朝日広告賞受賞。TV・CMでは、井上陽水の「角瓶」、ミッキー・ロークの「リザーブ」、和久井映見とショーケンの「うまいんだな。これがっ」の「モルツ」などヒット作を連発。ジャック・ダニエルのTVCMでACC(全日本シーエム放送連盟)CMグランプリ受賞。18年間のサラリーマン生活の後、97年1月に、独立して、作家に。

text: PRESIDENT STYLE
photograph: Katsuyoshi Motono
location: Bar Rooster