――京急電鉄は、最も鉄道マニアが多いと言われているようですね。その魅力はなんでしょうか。

一つは街に溶け込んでいるところでしょうか。京急電鉄の路線は元々、旧東海道の街並みが続いていたところです。市街地の中を走っていくからカーブも多い。品川の都心のビル街から下町を通って、三浦半島ののどかな風景にと車窓の眺めが変化に富むのも魅力だと思います。

――確かにこれだけ都心から近いのに、三浦半島に入ると景色が大きく変わります。

それから関東の在来線の中でも早い段階で120キロメートル走行を始めた新しさも魅力でしょう。そうした新規性は逆に、いまだに信号やポイントを人が操作する伝統性も鉄道マニアを惹きつけるようです。他の電鉄会社ではシステムに変わっています。人の手による運行ですから、何かトラブルがあったときは手旗信号で運転を継続できます。

――鉄道マニアにも愛される京急電鉄が昨年120周年を迎え、今年からまた新たな歩みを始めます。本社も泉岳寺から横浜に変わりますね。本拠を横浜に移す狙いは何ですか。

京急電鉄にとって品川と羽田は二つのエンジンです。そして都心から近い三浦半島は自然が豊かで、マグロをはじめ海産物に恵まれ、三浦ダイコンに代表される三浦野菜も知られていて観光資源が豊富です。この3つの異なるエリアを連携させ、より活かすために、沿線の真ん中に位置する横浜に司令塔を置くことに決めたのです。グループ会社の拠点が神奈川県だという事情もあります。

胸元には、120周年を記念したピンバッジも

――品川エリアでは、JRの品川、田町間の新駅が「高輪ゲートウェイ駅」と命名され、2020年の暫定開業を目指し工事が進んでいます。

新駅周辺の再開発も本格的に始まります。品川エリアは都市機能が高まり、一層注目されます。羽田空港も2020年には国際便の昼間の発着回数枠が現行の年間6万回から3.9万回増の9.9万回に大幅に広がる予定で、今以上に国際空港としての機能を果たすようになります。それに伴い様々な国から多くの観光客が訪れます。

――京急電鉄にとって二つのエンジンのポテンシャルが高くなります。横浜の新しい本社でどんな戦略を進めますか。

私は日本の人口減、少子高齢化の状況に非常に危機感を抱いています。鉄道はその沿線のお客様で成り立つ事業です。鉄道に乗ってもらい、沿線の不動産開発や百貨店、スーパーなどの営業で売上をたてていきます。経営にとって沿線の活性化が一番重要です。

――具体的にどんな活性化を考えていますか。

一つが品川エリアの再開発です。当社は品川エリアに約6万平方メートルの土地をもっています。泉岳寺の本社跡を中心とする再開発や、品川駅前のホテルやレストラン、ショップなどの複合施設「シナガワグース」の再開発を地域の活性化につなげていきます。

もう一つが羽田空港の発着枠増で増えた観光客を三浦半島エリアに呼び込む戦略です。これは沿線の自治体とも話し合いながら進めていきます。

鉄道事業は長期間にわたる計画が多いので、私の社長としての使命は次の10年、20年を考えてその取り掛かりとなる戦略に手を付けることだと思っています。その果実を得られるのは2代先、3代先の社長の時代でしょうね。

――そうした大きな構想を抱く一方で、現場でのコミュニケーションも非常に大切にしていますね。

鉄道事業では、コミュニケーションで培われた信頼感がとても大切です。とくにダイヤが乱れたときは余分の要員が必要となり、非番の人にも力を借りなければいけません。

過去を振り返ると、東日本大震災のとき、夜の10時に計画停電の詳細が発表され、そこから朝一番の電車が出るまでにダイヤの組み直し、人員の配置を計画しなければいけませんでした。そのとき私は鉄道本部の本部長で、どうしたものかと頭を悩ませていました。しかし部下が「自分たちで人員配置できるので何も問題はありません」と言ってくれ、実際に本部から指示を要せず現場の力で乗り切ることができたのです。

――現場の頼もしさを感じます。日ごろの飲みニケーションの効果もありそうですね。

あるかもしれません(笑)。肌感覚で相手のことが理解できる場です。それを重宝しているところは典型的な日本型の社長ですね。

気軽に飲んで話していることがけっこう大きな企画につながっていくケースもあります。たとえばウインドサーフィンのワールドカップの誘致です。全日空の役員と飲んでいて、「うちの社内ベンチャーで考えている若手がいるんだけどうまく進まなくて、どうにかならないかな」と言うので、会場となる横須賀を走る京急電鉄も一肌脱ぐことになり、実現に至りました。

お気に入りの万年筆は2本とも贈られたもの

――飲んだ勢いもありますね(笑)。最後に、愛用の万年筆があると聞きました、ご紹介いただけますか。

セーラーの万年筆が2本あります。1本は大学生になるとき、おじからもらったもの。もう1本は2代前の社長からもらったもので、「長刀」というブランドです。この長刀がすごく書きやすくて、ちょっとしたメモでも用いています。いつも上着のポケットに入れていて、2回くらいインクをこぼし、背広をダメにしてしまいました。

原田一之/Kazuyuki Harada
京浜急行電鉄代表取締役社長
1954年、神奈川県生まれ。76年、東北大学法学部卒業後、京浜急行電鉄入社。人事部長などを経て、2007年取締役。10年常務。11年専務。13年から現職。

text:Top Communication
photograph:Sadato Ishizuka
hair & make:RINO