『メンローパーク・コーヒー』の「メンローパーク」とは、カリフォルニア州シリコンバレーにある都市の名前。渋谷にあるカフェとしては、いささか奇妙なネーミングだが、ベンチャースピリッツに富む人ならば、ピンとくる地名かもしれない。Appleのスティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学で行ったスピーチの中で「35年前にあったGoogleのペーパーバック版」と評した伝説の雑誌『Whole Earth Catalog』(※)が、スチュワート・ブランドによって創刊された地だからだ。最終号の裏表紙にある「Stay hungry. Stay foolish.」のフレーズは、ジョブズのスピーチ映像とともにネットを通じてあまりにも広く知られるようになった。その名にちなんだカフェに加藤さんを訪ねた。

※『 Whole Earth Catalog』は、現在はオンラインで閲覧できる。

――加藤さんは、Googleに二足歩行ロボット事業を売却し、一躍、時の人になりました。さらに今度は水道管の保守に役立つソフトウェア事業を起業しました。その加藤さんが、なぜカフェを開いたのでしょうか?

【加藤】シリコンバレーには、実にたくさんのカフェがあるんです。そこでは起業家や投資家、エンジニアが集まって、日常的に熱い議論を交わしています。日本でカフェというと、オシャレでかわいらしく、リラックスする場所ですが、シリコンバレーではリアルなビジネスの現場なのです。日本にも、そういう場所があってもいいな、と。

――なぜ、シリコンバレーにはカフェが多いのでしょうか?

【加藤】3、40年前までは、同地でもお酒を飲んでビジネスの話をする、いわば接待、酒飲みのカルチャーがあったと聞いています。しかし、法改正で飲酒の取り締まりが厳しくなり、また日本以上にクルマ社会ですから、おのずとパブが減っていったと聞きました。そこに入り込んできたのが、スターバックスに代表されるようなコーヒーショップだったのです。

「メンローパーク・コーヒー」の店内には、マウスのプロトタイプや階差機関など、コンピュータの歴史を示すパネルが展示されている。『Whole Earth Catalog』の最終号の表紙と裏表紙も飾られている。ジョブズのスピーチに出てくる実物を見たい人はぜひ!

――日本では、いまでも夜の接待が大事な場面もありますが。日中にカフェで行う商談は健全で、気持ちよさそうですね。そうしたシリコンバレーの空気感に魅力を感じて、あちらで起業したのでしょうか?

【加藤】4年前にシリコンバレーに移ってフラクタを起業しました。その前は、日本でロボットベンチャーを手掛け、それをGoogleに売却しました。Googleといえばシリコンバレーの雄ですからね。憧れていたし、いつか行きたいと思っていましたから。新しい仕事はシリコンバレーでやってみようと思ったのです。

――Googleに売り込みに行くなんて、すごい行動力ですね。

【加藤】ビジネスで付き合いのあった友人経由で売り込みにいったのです。グーグルベンチャーズという投資ファンドにまずアクセスしようと思いまして。その後、アンディ・ルービン(Andy Rubin)というAndroid OSをつくった人物が直々に東京に乗り込んできて、僕らのロボットを見て、気に入ってくれたのです。とても興奮しましたよ。

――夢のような話ですが、相手の行動力もすごいですね(笑)。そうした素晴らしい実績のある人物が日本のベンチャーを訪ねてくる。そのようなフットワークのよさや、好奇心の源泉はどこにあるのでしょうか?

【加藤】一つのポイントは、カウンターカルチャーが根付いていることだと思いますね。多くのシリコンバレーの起業家に影響を与えた『Whole Earth Catalog』もヒッピー雑誌ですから。これはカタログ雑誌ですが、ただのカタログではなく、ヒッピーたちが自分たちの力で生きていくためのツールを紹介しているんです。政府のような大きなものに寄りかかるのではなく、自ら考え、動くという独立心がそうさせるのだと思います。

――ヒッピーというと、音楽や芸術で反戦活動を繰り広げた印象もありますが、シリコンバレーとヒッピーカルチャーというのは、どう結びついたのでしょうか?

【加藤】シリコンバレーでは、ヒッピーカルチャーとテクノロジーは切っても切れない関係なんですよ。シリコンバレーはご存知の通り、半導体産業で発展したわけです。そもそもベトナム戦争を経験し「大統領や政府だって間違いを犯すじゃないか」と幻滅した人々が、独立心をもって立ち上がった。そのカウンターカルチャー性と半導体産業がかけ合わされば、富が生まれ、政府に頼らずに生きていけるじゃないかと考えた人たちがいたのです。

――そうした独立心旺盛な人々が、テクノロジーという武器を手に入れたわけですね?

【加藤】そうですね。実際、アップル、ネットスケープ、フェアチャイルドセミコンダクターといった世界を変える会社がたくさん生まれていますから。その成功が、自己肯定感を生むカルチャーをシリコンバレーに根付かせていったのだと思います。

――そのカウンターカルチャーの熱量というのは、なかなか日本人にはわかりにくいところです。既得権益層に対する反骨心といったところでしょうか?

【加藤】そうも言えると思います。日本で最後にその熱があったのは、学生運動の時ではないでしょうか。最高学府である東大から、その運動が起こったのには意味があったはず。一番、既得権益化しやすい階層から、社会をひっくり返そうという運動が起こったわけですから。しかし、それが公権力に叩き潰されて、自己肯定感につながらなかった。結局、今日の社会のように、寄らば大樹の陰といったマインドが日本にしみついてしまったように感じますね。

――日本の学生運動が消沈していったのは、シリコンバレーのようなテクノロジーがなかったからかもしれませんね。

【加藤】確かに日本にはテクノロジカルな発展のタイミングがなかったというのは大きなポイントでしょう。アメリカのヒッピーはテクノロジーと結びつくことができたのが大きかった。しかし、それは偶然ですからね。

――偶然といいますと?

【加藤】本当に偶然が重なって、半導体、パーソナルコンピューター、遺伝子工学などの先端技術が次々とシリコンバレーから出た。そのことで多くの反戦の感性を持った人がテクノロジーと結びついた。理屈で反戦を語るような人々は、もともと賢いですよ。政府に寄りかからず、自分でものを考えて、知性で道を切り開こうとする。しかし、これは社会学的には成立しない。日本の学生運動のように負けてしまう。ところが、経済学的にはテクノロジーと結びついて勝つことができる。実際に10兆円稼ぐような企業が現れる。それもたった一人二人でそれがやれるんです。

――想像するだけでも、ものすごいエネルギーですね……。

【加藤】例えば、うちの会社の主任弁護士は、ジョーダン・ブレスロー(Jordan Breslow)です。彼は日本でも話題になった書籍『HARD THINGS』にも登場する伝説の弁護士で、これまで4社を上場させている。その彼もヒッピーなんです。ピアスもしていて。かつての愛読書が『Whole Earth Catalog』なんですよ。「どんなに権力を行使されても、正しくないことにはいっさい耳を傾けない」と彼はよく言うんです。正しいことをすれば、大なるもの、つまり権力に迎合しなくても生活できるし、もっと豊かになれる。それを実現したのがシリコンバレーだと。そうした自己効力感を持ったヒッピーがすさまじい金額を手にして、さらに投資をしてという営みが繰り返されてきました。

壁にはシリコンバレーでよく聞くフレーズ集がパネルにしてある。どれも前向きな内容ばかり。「コーヒーが人にもたらすナチュラルな高揚感がポジティブにさせるのかもしれませんよ」と加藤さんは話す

――権力に対する、カウンターであり続けるというのは、難しい気もします。企業の規模が大きくなった時、あるいは大金を得たときに、カウンターカルチャーを維持していられるのでしょうか?

【加藤】大きくなってくると国家も企業も腐敗する部分がどうしてもありますからね。難しいのは、カウンターカルチャーとはいっているけど、マイノリティだからできる。マジョリティーになったときにカウンターカルチャー性をどう保つのか……。

――Googleのような巨大企業が、何を考え、社会をどう導こうとしているのか、その巨大さゆえに、何を考えているのか理解できず、不安を感じる人もいます。既存産業を押しつぶしてしまう面もありますから。

【加藤】周囲の理解ということで言えば、それはヴィジョンのありようということになるのかもしれませんね。Googleでいえば、世界中の情報をあまねく検索し尽くすのが社是です。少なくともそう信じていることがヴィジョンといえます。そこは行政とはものの考えが違う。私企業のディシジョン・メイキングは行政よりミクロにできますから。ある種の理想主義でいけるんです。その理想主義的なナイーブさが、インテリジェンスを惹きつけるといえそうです。政府は理想主義ではやっていけない。一方、私企業は理想主義がヴィジョンになりうるのです。

――大衆迎合的にならざるを得ない政府に対し、理想を保つこと自体がカウンターカルチャーになり得ると。

【加藤】Googleはすでに大企業化してしまって好きじゃない面もありますが、やっぱりどこか理想主義を残していて尊敬できる会社の一つです。すさまじい時価総額を持っているし、あくまで理想主義を貫くという意味で、理想国家・独立国家をつくったと言えます。キャッシュフローをつくることで自らの理想を実現したわけですから。国家全体ではなく、あるドメインでは1位になっているから、そのドメインの中では理想を実現できるし、それがヒッピー性、カウンターカルチャー性の現れでしょう。

――規模でいえば小さな国家並みですものね。ヴィジョンが思想のようにテクノロジーの正しい発展を支えていくのかもしれませんね。加藤さんは、自分のヴィジョンとして何を掲げているのでしょうか?

【加藤】私の場合は、ピープルズ・マネーを守るということ。いま水道事業をやっていますが、水道は人民のお金、税金のようなものです。生きている限り払わなければいけない。しかも独占性が強く、価格競争のダイナミクスがないわけです。

――具体的には、そのヴィジョンをどのように実行するのでしょうか?

【加藤】我々の人工知能を使えば、水道管の耐久年数を正確に判断できるんです。水道管工事のうち、40パーセントは不要な工事といわれています。アメリカには約100万マイルの上水道管があります。そして年間24万件の漏水事故がある。トランプ大統領は、水道管の更新をリバイタライズするとして予算を110兆円も使うことにしています。しかし、適切な工事を行えば50兆円削減して60兆円で済むのです。水道料金が2倍から3倍になるところを1.2倍に抑えることができる。お金持ちには効いてこないけど、貧しい人には確実に効いてくる。これがピープルズ・マネーを守ることです。政治にはテクノロジーがないから、政治にできないことをかわりに自分がする。それが、いま考えていることです。

――ヴィジョンとテクノロジーが両輪となって進んでいくわけですね。

【加藤】そうです。テクノロジーは破壊的だし、危険な側面もあります。だからヴィジョンが問われるわけです。例えば、クリプト・カレンシー(暗号通貨)は怪しげな市場を形成していますが、ブロックチェーンという金融テクノロジーが悪い方向に使われた事例だと私は考えています。日本でもスマホゲームのコンプガチャなどは、大したテクノロジーではないにせよ、悪しき利用例だと思いますね。私たちの会社には、とても優秀なスタッフが集まっています。ウォール街に乗り込んで本気を出せば、テクノロジーを使って投機的に大金を稼ぐことも簡単にできると思います。でもそうしないのはヴィジョンが違うからです。

――シリコンバレーには、そうした悪しきことにはテクノロジーを使わないという雰囲気が横溢しているのでしょうか?

【加藤】雰囲気というよりは、教育だと思いますね。シリコンバレーでは、それこそ子供のころから「Make the world a better place.」と延々と聞かされて育ちます。法律やエンジニアリング、メディカルでも専門性の高い技能は、世界をよりよくするために使いなさいという下地を一生懸命作っているんです。これは、日本の教育には見られない大きな差だと思いますね。

――それがシリコンバレーの企業群がヴィジョンを貫く思想なのかもしれませんね。

【加藤】そうした熱い思いを、本気で語り合う場所が、カフェなんですよ。仕事で議論が熱くなると、ちょっとカフェに行こうと言い出して、そこで続きをする。環境もいいところですから、テイクアウトして歩きながらあれこれと考えて、話し合う。

筆者私物の『Whole Earth Catalog』とともに。ちなみに最終号は『Whole Earth Epilog』という。裏表紙に、荒野を行く道の風景写真と、かの有名なフレーズがある。これが多くの起業家に影響を与えたのだ。歴史に残る雑誌といえるだろう

――メンローパーク・コーヒーもそういう思いで作ったんですか?

【加藤】もともとコーヒー好きですから、ハイテク以外だったらカフェでもやるかと(笑)。日本は同質化の圧力が強いでしょう。成功モデルは一つだけのピラミッドで、そのピラミッドから出ることを怖がっている。その抑制が、イノベーションの芽を摘んでしまう。ロボット事業も日本では見向きもされなかったんです。ベンチャーキャピタルからも産業界からも、全否定された。私のように、ちょっと変わったことをしている人、本当は起業したいと思っている人、まだ立ち上がっていないそういう人たちのためにシリコンバレーにつながる呼吸孔を作りたかったのです。

――小さなカフェだけど、シリコンバレーにつながるワームホールのようですね。

【加藤】まさにそうです。本当は起業してみたい人がたどり着く場所にしたい。そうしておけばいつか地殻変動が起こるかもしれないですから。『Whole Earth Catalog』にしても最終号は150万部も売れて空前のヒットでしたが、会社としては儲からなかった。でも、社会的影響はお金だけでは測れない。儲からなくても僕にも影響を与えているくらいだから。短絡的な金儲けではなく、ヴィジョンを語る人たちにとって、ここがもぐりの集合場所になると素晴らしいですね。

――そう聞くと、用もないのに来てみたくなりますね(笑)

【加藤】用がなくても来てください(笑)。日本ではコーヒーブレークというと、仕事をさぼっているような印象ですが、シリコンバレーではまったく逆。生産性を上げるためにはコーヒーブレークは欠かせないと、みながそう思っています。だからこそ、カフェでビジネスの話が進むんですよ。よりいいアイデアのためにコーヒーを飲みに行くのですから。ここのコーヒーを手に、熱い思いを語りながら歩く人たちの姿を見たいですね。大企業に勤めている人の中からも、ベンチャーを起こす人たちがたくさん出てくれば、日本を、世界をベタープレースにできるはずです!

――「Make the world a better place.」ですね。とてもいい言葉を教えてもらいました。今日はありがとうございました。

加藤 崇/Takashi Kato
早稲田大学理工学部(応用物理学科)卒業。元スタンフォード大学客員研究員。東京三菱銀行を経て、ヒト型ロボットベンチャーSCHAFTの共同創業者(兼取締役CFO)。2013年、同社を米国Google本社に売却し、世界の注目を集めた。2015年、人工知能により水道配管の更新投資を最適化するソフトウェア開発会社Fractaを米国シリコンバレーで創業し、CEOに就任。
著書に『未来を切り拓くための5ステップ』(新潮社:2014年)、『無敵の仕事術』(文春新書:2016年)、『クレイジーで行こう!』(日経BP:2019年)がある。2019年2月には、日経ビジネス「世界を動かす日本人50」に、2019年4月には、Newsweek日本版「世界で尊敬される日本人100」に選出された。カリフォルニア州メンローパーク在住。

問い合わせ情報

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メンローパーク・コーヒー 渋谷店

【住所】東京都渋谷区渋谷2丁目10‐2 渋谷2丁目ビル2F シアターイメージフォーラム隣
【営業時間】
平日:8時~18時
土曜日:9時~16時
日曜日:休み

interview & text:Muneki Mizutani(PRESIDENT STYLE)
photograph:Mutsuko Kudo