サルトが育んだ「スーツを直して着る」の意味
【池田】サルトが東京に進出した頃から、スーツのリフォームが広まったように思います。流行遅れのシルエットのお直し、着られなくなったジャケットやパンツの出し詰めなど、以前であれば捨てるしかなかった昔のスーツがまた着られるようになったことで、日本人とスーツとの新しい付き合い方が生まれたように思います。
【檀】2011年、東北の震災があった年に、テレビ番組『ガイアの夜明け』に弊社が登場しました。出産時にお亡くなりになった奥様から結納の時に頂いたスーツをお
【池田】それまでスーツにはオーダーメードも既製品もありましたが、日本はヨーロッパと違い、圧倒的に既製品が多かったですよね。そのためお直しは必須だったのですが、多くの人はパンツの丈詰めぐらいしか利用していなかったんです。イタリアではパンツの丈を詰めたら、必ず裾幅も直します。日本人のボトムズシルエットがいつまでたっても欧米人のようにスマートに見えないのは、体型の問題ではなくパンツシルエットへの知識不足だったように思います。
【檀】確かにそうかもしれませんね。最近は少し落ち着いてきましたが、以前は細いパンツが流行りましたよね。かくいう私も裾幅18cmぐらいで仕上げていましたから。今思えば相当タイトシルエットですよ。
【池田】もともとは福岡で事業を始められたのですよね。東京進出はいつごろ、どのように?
【檀】2003年に東京に出てきたときは、大手セレクトショップの取り扱いスーツのお直しをしていました。当時はクラシコイタリアの大ブームで、日本のセレクトショップがこぞって現地から職人を招いてトランクショーを開いていたんです。一着100万円近くもするスーツを何着もオーダーするお客様もいて大盛況でした。しかし、仕上がったスーツが届いてみると、どうにも体に合わない。オーダーから納期まで半年から1年かかるため、その間にお客様の体型が変わってしまうからです。
【池田】仕上がりを待つ1年の間に、太ってしまったということですか?
【檀】それが、その逆です(笑)。当時はメタボリックシンドロームなどへの警鐘がメディアを通じて盛んに行われていて、急にジム通いやジョギングをする人が増えたり、炭水化物抜きダイエットが流行りだしたりしたんですよ。そのため、みなさん、痩せてしまって出来上がったスーツがぶかぶかということが多々あったのです。
【池田】面白い現象ですね(笑)。それでサルトさんへ駆け込む人が増えた、と。
【檀】個人のお客様の前に、トランクショーを開催したショップから、なんとかなりませんか? という問い合わせが多かったですね。うち以外にもお直しを対応されている工房はあったと思うのですが、あるときアットリーニのスーツを3着オーダーしたお客様が困っているので、日本で直せないかと依頼されました。それを請け負ったところ、仕上がりをみた本国のフィッターから「今後、アットリーニのお直しはすべてサルトを指定する」と通知があったそうです。ありがたいお話でした。
【池田】その話、業界では有名ですよ。サルトの技術力の高さを物語る逸話になっていますよね。お客さんも数百万のスーツ代が救われたわけですね。
自分に似合うスーツとは、自分のレベルに合ったスーツ
【池田】いまオーダースーツが人気なのも、補正して体に合わせるという考え方が定着したからだと思います。それはスーツの本場、欧米では当たり前のことなのですが、既成品のスーツが安価で手に入った日本で、いつしか忘れられていた服飾文化だと思います。それがサルトさんのおかげでまた注目されたように思います。
【檀】爆買いブームの反動もあってか、モノを大切にすることがカッコイイと思われる時代になっているのではないでしょうか。靴は、良い靴を10年履くという考えが定着しているのに、良いスーツを10年着るという考え方はなかなか根付きませんでした。しかし、誰もが新しいスーツを買い、着られなくなったり流行遅れになったりしたら捨てて、また新しいスーツを買う、という繰り返しをどこかで断ち切りたいと思っていたのかもしれません。クルマも時計も、いいものをメンテナンスしながら長く使うことに価値を見出すように、スーツにも長く着ることの価値を見いだせる人が潜在的にいたのではないでしょうか。
【池田】スーツを長く着ることに価値を見出す人は、流行に左右されないスーツを、しっかり知っていなければなりませんね。
【檀】私自身、若いころを振り返れば、流行にのったスーツを着てきたと思います。しかしあるとき、洋服って何のために着るのだろうと考えるようになり、流行に対する考え方が変わってきました。私が師と仰ぐイタリアのファッショニスタの方に「服は何のために着るのか」と尋ねてみたんです。その答えは、「ひとつは相手のため、もうひとつは自分のため」と答えられました。相手のためとは、同席する相手に礼を尽くすということ。例えば女性を同伴するなら、女性を引き立てるためにあえて自分の服装を控え目にするといった礼の尽くし方もあるでしょう。自分のためのというのは、人は外見も大切だということ。高級ブランドでなくても、きちんと着こなすことで自分自身の意識を表すというものです。流行を追うのではなく、正しく着るということが大切なんだと痛感しました。
【池田】檀さんがご自身のスタンスを表現する服装とはどういうものですか。
【檀】年もとりますからね、年齢に相応しい服を着るようにしています。シルエットは細すぎないものになりました。また髪に白いものが混じって肌艶の色味が落ち着いてきたころからは、あえて明るい色を着るように心がけています。例えばネイビースーツでもトーンの明るいものを選ぶようにしています。明るい色のほうが、元気そうに見えますでしょう。
【池田】へんに若作りして細身のスーツやデザイナーズのスーツを着るより、自然体な感じがします。
【檀】服装がその人とかけ離れていると、どこか無理をしているように見えると思いますね。初対面の人にどう思われるかを考えた服装が大切だと思っているので、自分自身をありのままに表現できる、相応の服がよいと思っています。
【池田】いま流行りのジャージースーツも、着ていくべき場所は選ぶべきですものね。また年齢や役職によっては、避けたほうがいい場合もあります。
【檀】若い社会人ならイタリア風の細身でアクティブなスーツもいいでしょう。役職がついたらどっしり構えた印象のクラシックなスーツを着たがほういいと思います。少し背伸びするぐらいはいいことだと思いますが、無理をする必要はないんです。
【池田】年齢や社会的地位、懐具合など、自分のレベルに合った服が一番似合うという考えには同感です。 そのためにも、自分自身をよく知ることが大切ですね。
【檀】ファストファッションで買った2000円のパンツを8000円かけてお直しされるお客様もいらっしゃいます。流行ではなく、自分のスタイルに合わせたいからお直しされるんです。一時的なトレンドに左右されるのではなく、自分なりのスタイルを持てれば、服との付き合い方もサステナブルなものになります。ヨーロッパでは「靴をよく磨く人は、奥さんを大事にする」と言う人がいますが、スーツを大事にする人も、きっと奥さんを大事にする人だと思います。
檀 正也/Seiya Dan
サルト代表取締役社長
1962年、熊本県生まれ。婦人服メーカーの営業職を経て、32歳のとき福岡のリフォームメーカーに転職。技術を身に着け2000年に独立。大手セレクトショップからの依頼を受けるかたちで事業を拡大。2003年、東京に進出。一号店は2008年に神宮前、2009年には銀座に出店。現在はお直しだけでなく、オリジナルのクロージングやシューズのオーダーやコーティングサービス、海外サルトやセレクトショップとのパートナーシップなど幅広く展開している。
池田 保行/Yasuyuki Ikeda
大学卒業後、出版社勤務を経てフリー。2004年にファッションエディター&ライター ユニットZEROYON 04(ゼロヨン)を主催。ファッション誌を中心にフリーマガジン、WEB、広告、カタログなどで幅広く活動している。
interview & text:Yasuyuki Ikeda
photograph:Hiroyuki Matsuzaki