T・ウィリアムズから見たミシマの分身「東洋人」役にチャレンジ

――テネシー・ウィリアムズといえば、『ガラスの動物園』や『欲望という名の電車』などで知られる世界的な劇作家ですが、彼が三島由紀夫と親しかったことは、今回初めて知りました。呉山さんが演じる役は、彼から見た三島由紀夫という感じなんでしょうか?

【呉山賢治(以下呉山)】そうなんですけど……なんというか、一言じゃ説明できない。正直、最初に台本を読んだときは、これは無理だなと思いました。めちゃくちゃ難解な作品で「まったくわかんねぇ!」となってしまって(笑)。言葉も、込められたメッセージもとにかく深い。「男」「女」「東洋人」と、登場人物は3人だけなんですが、読み込んでいくとどのキャラクターも魅力的なんです。

【ボビー中西(以下ボビー)】ほんと、難解だよね。皆で何度読み込んでディスカッションしても、やはり天国のテネシーにしかわからないような部分がいっぱいある。だからこそチャレンジしがいがありますね。

「男」は、作品を描けずに苦しんでいる画家で、アクション・ペインティングで有名なジャクソン・ポロックがモデル。実はこの人物、創作に苦しむテネシー自身でもあるんです。男の愛人である「女」は、テネシーの恋人だった男性が反映されたキャラです。彼はゲイでしたから。「男」と「女」は、愛し合っていながら徹底的に傷つけあう。テネシーの作品は、彼自身「心臓にナイフを刺して、流れる血で書いている」と語っているくらい、自己暴露そのものなんです。

この作品には、三島の戯曲『近代能楽集』に敬意を表して「西洋能」というサブタイトルがつけられていますが、「東洋人」の役はお能でいう「ワキ」の役割も果たしているんですよ。「ワキ」はただの「脇役」ではなく、観客に向かって状況説明をする「語り部」でもあります。「東洋人」は東京帝国大学法学部の学生という役を演じつつ、西洋人である「男」と「女」のドラマを客観的に眺めながら、西洋と東洋の死生観について、観客に語りかける。テネシーと三島は、文学や死生観についてたくさん語り合っていたんでしょうね。「東洋人」のセリフには、そのエッセンスが詰まっています。

【呉山】ただスピーチのように語るのではなく、自分と三島さんをどうやってつなげて、自分の言葉にして語れるかが勝負かなと。地にどしっと足をつけて、一つひとつの言葉を人の心に届くものに変えていけるか。その作業ができたときは、きっとすごい成長が待ってるんだろうなと。今、めちゃくちゃワクワク感があるんですよ。

――「東洋人」のベースにある三島由紀夫について、呉山さんはどうとらえていらっしゃいますか。

【呉山】今回、小説や戯曲、彼の生い立ちを記録した父の手記とかいろいろ読んでみたんです。どうも彼の中では、「生きるか死ぬか」はさほど問題じゃないような気がするんですよ。それより、何のために生き、何を求めて死ぬか、その「魂のあり方」がいちばん大事で。三島は男の生き方やダンディズムについてよく語ってるんですけど、まさに「ザ・男」なんですよね。

【ボビー】日本男児だね。

【呉山】そう、昔の日本男児。日本人は、主君を守るために生き、それができなければ潔く死を選んだ武士たちのように、まっすぐに生き死にを選んできた民族だと三島は言っています。でも敗戦の後、いろんなカルチャーが入ってきて西洋化し、彼が愛した日本がどんどん失われていった。それを憂えて、ああいう最期を遂げたわけですけど――クレイジーだけど、ものすごく面白い人だなと感じました。

【ボビー】すべて計算し尽くして、思い描いたとおりに生きた人だからね。最期の切腹の作法まで完璧に決めていた。

【呉山】そのこだわりが狂気なんですよね。でも、そこに魅かれます。

――たしかに、現代は自分で生き方を決めて「筋を通す」ということが減っている気がします。何もかも「臨機応変」に対応して、すぐ結果を出すことが求められがちです。

【呉山】今は「筋」なんていうと「何それダッサいね」と言われて終わりがちです。でも、信念を泥臭いまでに貫いて、どんなに回り道でも、欲しいものをストイックに追い求める生き方には共感します。

――テネシー・ウィリアムズのほうも、違う意味でクレイジーですよね。自分の私生活や内面を、ここまでさらけだして作品にするというのは。

【ボビー】クレイジーと天才は本当に紙一重ですよ。最終的にアルコールやドラッグに溺れていくアーティストは多いけれど、テネシーはその典型です。自分の弱さや堕落を隠さず、すべて作品にした。三島のほうは文体を磨き上げ、体を鍛えてクレイジーなまでに完璧を目指した。その二人が深い友情で結ばれていたんです。

――真逆のアプローチなのに、不思議ですよね。

【ボビー】僕は18年前、アメリカでの世界初演の時に「東洋人」をやったんですけど、「二人の世界的な作家の友情から、こんなすごい作品が生まれた」ってことに感動して、いつか日本でも上演したいとずっと思っていました。実はこれを紹介することが僕の使命だと思ってるんですよ。

「カッコ良さ」とは常に自分でいられること

――ところで、呉山さんがボビーさんのもとで演劇を学び始めたきっかけは何だったのですか?

【呉山】5年前、髭剃りのCMのオーディションに受かって、カナダで撮影をすることになったんです。僕がメインで、サブのキャストは全員カナダとアメリカの俳優、監督はイギリス人でした。求められたのは「顔をシェイブして洗って、さあ気合い入れて仕事に出かけるぞ」みたいな、ある意味ベタな演技なんですけど、監督に「ただカッコつけるんじゃなくて、何かリアルなものを見せてくれ」と言われた。僕はそのとき、「自分はプロとして100%のパフォーマンスができていない」と思っちゃったんですよ。

周囲の俳優に話を聞いてみると、皆「日々勉強してるよ」って言うんですね。僕は、俳優ってもともと演技の才能がある人がなるものだと思ってたんですけど、「そうか、勉強するのが当たり前なのか」と。だったら自分も次のチャンスに備えて勉強したい、どうせなら世界に通じる演技のメソッドを学びたいと思ったんです。

3年半前、初めてボビーさんに会ったとき「演技って、本当に勉強したらうまくなるものですか」って聞いたんですよ。そうしたら、「1%の天才はいるけど、99%は努力の結果。ハリウッドの名優たちだって全力で勉強し続けている。そういう覚悟があるなら、入り口までは絶対に連れて行ってあげるよ」って言われました。じゃあ、断る理由はないなと思って(笑)

【ボビー】僕自身、コント赤信号に弟子入りしてコメディアンを目指し、それから芝居の世界に入ったけれど、初舞台では「ヘタな役者」の「中西」という役を当てられてしまうくらいヘタでした。それが、ニューヨークで、マイズナー・テクニックという演技メソッドと出会い、必死で学んだことが、サンフォード・マイズナー本人から直接演技指導を受け、アル・パチーノらが学長を務めるアクターズ・スタジオでの仕事にもつながりました。アメリカン・ドリームって言葉のとおり、夢を抱いて一生懸命やっていたら、たくさんの人が力を貸してくれたんです。

だから僕も、真剣にやる人には、自分が学んできた知識やテクニックは全部渡します。2011年、日本に活動の拠点を移してから何千人もの生徒を教えましたけど、その中でも賢治の成長ぶりはトップ3に入ります。彼は決して天才的な役者ではないけど、努力がすごい。

【呉山】プレッシャーだなあ(笑)

【ボビー】演技を勉強してみたいというモデルやタレントさんは多いんですけど、本当に頑張ってくれるのは20人に1人くらいです。そんな中でも賢治は、僕が言ったことは全部きちっとやってくる。口だけじゃなく、行動として示してくれる。良い意味で想像を裏切ってくれました。

――演技を学び初めてから、モデルの仕事にも変化はありますか?

【呉山】すごく変わりましたよ。顕著な結果として、オーディションに受かる率が上がった。それは、意識が変わったからだと思います。オーディションに「モデル」としてではなく、「自分」のままで行けるようになったんです。

ボビーさんがいつも言うのは「自分」のままで、どうその役を生きるかってことです。悲しいシーンだから悲しそうな顔をするとか、それらしく「演じる」ってことを絶対にさせてくれない。演じた時点でボコボコに怒られるから。「全部嘘だろそれ」って。自分は何が好きで何が嫌い、今はちょっと緊張しててカッコ悪い……それを全部そのままカメラの前で出せるくらい、生の状態でオーディションにいく。

「モデル」モードだと、カメラを向けられた瞬間に自分の顔の「良い角度」を意識してしまう。でも、監督が見たいのは「モデル」じゃなくて「その人自身」なんです。自分の内面から出てくるもので、求められる世界観を表現する。究極は、静止している写真でも何かを訴えられるようになることです。それが、モデルとして最高の表現だと思うんですよ。

【ボビー】本当にカッコいいやつはカッコつける必要がないんです。カッコ良さの定義は自分をさらけだせること。ジョニー・デップとかアル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロなんて外見はもちろん、心も見せてくれるからたまらなく魅力的です。それはきっと、あらゆる仕事にも共通することじゃないかと。ビジネスの世界だって、弱さや本音を隠して絶対隙を見せない相手には魅力を感じないし、お互いに信頼感も生まれないんじゃないかな。

舞台で「今を生きる」こと。演劇は最高の「大人の遊び」

――インターネットやSNSの発達で、世界の動きがどんどんスピードアップする中、究極の「アナログ」ともいえる演劇を見に行くことにはどんな価値があると思いますか?

【ボビー】僕は高校生や大学生にも教えているんですけど、リアルが欠如しているなあと感じることは多いですね。コミュニケーションの力や五感が退化しているんじゃないかと。でも、若い世代に限ったことじゃない。僕はこの間、国技館に相撲を見に行ったんですけど、あれ、今の決まり手、リプレイはまだかなあなんて思ってしまった(笑)。ヴァーチャルに慣れすぎて、今、この瞬間は二度とないってことを忘れがちなんです。

僕が教えているマイズナー・テクニックの根本にあるのは「今を生きろ」という考え方です。舞台は毎回一期一会のライブで、その日のお客さんと一緒につくっていくものだから。その空間で、その瞬間にしか見られないものが見られるはずです。

――劇場の空間が、観客と良い関係になっている空気感って、実感できるものですか?

【ボビー】できますね。昼と夜、雨の日と晴れの日、満席なのか空席が目立つのかで、客席の空気感は毎回違います。特に今回、「東洋人」は語り部だから、その空気感をつかみながら、その日のお客さんと一体感をつくる……。

【呉山】ハードル高いなあ(笑)。ボビーさんの教えるリアリズム演技は、その瞬間、瞬間で、俳優同士が自分の内側にあるものを生でぶつけあっていくものだから。自分のコンディション、相手の芯から出る熱量しだいで毎回違うんですよね。特に今回の「男」と「女」は……。

【ボビー】言葉というナイフで刺しあうからね。観客はのぞき穴から二人のプライベートをのぞく感じになるけど、眼をそむけたくなるような演技もある。

【呉山】ボルテージが上がっていって、自意識とか社会性とか、何もかも全部捨てたときに「あ、今この人の中には何もないんだ、ただただ美しい状態でいる!」みたいな瞬間が出てくるんですよ。それは生の舞台だからこそ見られる独特なものだと思います。

――日常生活では、ここまで「生きるか死ぬか」の闘いを経験することって少ないですよね。

【呉山】実際ここまではやらないけど、ふと「死にたいな」と思ったり、愛しているのに傷つけてしまったりといった経験は誰でもあるんじゃないかと思います。人間って面白くて、思いっきりかけ離れた役に思えても、自分の中を深く掘っていけば、意外とどこかに共通点が見つかるんですよ。そこにコネクトしていくっていうか。

【ボビー】自分の内面を探って、役とつなげるためのテクニックがいろいろとあるんですが、訓練には時間がかかります。大変だけど、楽しいんだよね。だからお芝居は「PLAY」なんです。究極の大人の遊びですよ。

――開幕を楽しみにしています。ありがとうございました!

公演情報
スケジュール:9月5日(木)~15日(日)
チケット情報:全席指定 前売り5000円 当日5500円
場所:すみだパークスタジオ倉(東京都墨田区横川1‐1‐10)

舞台『男が死ぬ日』公式サイト

本公演に関する問い合わせ
ボビー中西・アクティング・ワークショップ(BNAW)公式サイト

interview & text:Kaya Sakaguchi
photograph:Tadashi Aizawa