南海トラフでは数分で津波が到達するという予測も
「地震は一度起きてしまったら止められないので、情報をいち早く知ることが大事です。津波も東日本大震災のときは到達まで40分くらいあったのですが、それでも亡くなった方が多くいらっしゃいました。年初の能登半島地震では1、2分で津波が到達した地域もあったみたいですし、南海トラフでも2、3分のうちに到達するという予測が出ているので、1秒がとても大切なんですよね。いち早く行動に移してもらうために、少しでも速く情報を届ける、ということですね」
特務機関NERV防災アプリ(以下、NERVアプリ)の趣旨をこう述べるのは、アプリの運営元であるゲヒルンの石森大貴代表取締役と、糠谷崇志専務取締役だ。
10代の頃にインターネットを介して出会った2人は、2010年にゲヒルンを立ち上げると、当時Twitterの「特務機関NERV」アカウントで災害に関する情報発信を開始する。翌年の東日本大震災後には、電力不足を補うための節電の呼びかけをアニメ『エヴァンゲリオン』シリーズのストーリーに重ねて“ヤシマ作戦”と称してツイートするや、多くの賛同者を得た。19年にはSNSの制約にとらわれない情報発信を行うべく、自社のアプリをリリース。それからおよそ5年で500万近いダウンロード数を記録している。
人気の理由は、ユーザーから「最速」「とにかく速い」などと評される情報通知の速さにある。
防災情報が私たちの手元に届くまでの流れを大まかに説明するとこうなる。国(省庁)が取得したデータはまず各省庁から許可を得た指定事業者(一般財団法人など)に渡り、そこから配信を受けた民間事業者(テレビやラジオ、インターネットメディアなど)が、速報やニュースとして一般市民へ発信する。地象や気象を予報する場合や、省庁以外の組織が観測しているデータを発信する場合はこの通りではないが、おおむね国から指定事業者、民間事業者、そして一般市民へ、という流れになる。
1マイクロ秒にこだわらなければならない理由
NERVアプリのようにインターネットを介して情報発信を行う場合、伝達速度を左右する要素が大きく2つある。まずは各種情報を自分たちが使いやすいように整えること。
「国の情報は出どころがまちまちなんです。例えば地震に関するデータですと、緊急地震速報は国土交通省管轄の気象庁、強震モニタのリアルタイム震度は文科省管轄の防災科学技術研究所というように。これらのデータを購入して集めて、自分たちが使いやすい情報に変え、それらを統合して画面に表示するという流れです。このシステムはお金も時間もすごくかかったんですが、5年くらい続けてようやくベースができてきましたね」(糠谷さん)
そしてもう1つが、情報を届けるためのプッシュ通知だ。
「大地震などを除くと地象や気象は局地的なものが多いので、その地域にいるユーザーにだけ通知を送る必要があります。でないとスマホが1日中鳴りっ放しになってしまいますから。例えば東京の千代田区で震度1の地震が起きたら、そのときに千代田区周辺にいるユーザーだけを抽出して通知を送ります。ユーザーが500万人近くいるので、この処理速度がだいぶ重要で。先日も26マイクロ秒速くなったって喜んでいましたね」(石森さん)
26マイクロ秒、イコール100万分の26秒である。一般人には理解しがたい話である上に、その時間短縮は「ユーザーにはまず分からない」(糠谷さん)レベルだという。それでもNERVアプリがミリ秒、マイクロ秒にこだわるのは、通知の速さを評価してくれるユーザーの期待に応えるため、そして「3.11の教訓」からだという。実は石森さんの叔母は、東日本大震災に見舞われ帰らぬ人となった。NERVアプリの立ち上げ、そして1マイクロ秒でも速くという思いの根底にはそのときの教訓がある。
「最後に残るのは人と人とのコミュニケーション」
おそらく人間が感知できない刹那の時間単位でアプリを改良し続けると同時に、2人は25年後や50年後の未来に向けた取り組みを模索し始めている。防災に向けた地域のコミュニティーづくりである。
「NERVアプリの情報を法人にも販売しているのですが、営業先で“ファンです”“うちのプロダクトでも使いたい“と言っていただけたり、そこから別の担当者を紹介していただけることが多いんです。こういうファンの方々がつながって地域のコミュニケーションが生まれれば、防災により役立つんじゃないかと思って」(糠谷さん)
「これだけITをやってきて思うのは、一番重要なのは防災に対する人間の意識のアップデート、そしてその手段としてのコミュニティーづくりだと感じます。ITって強そうで弱いんですよ。電気がなくなったら何もできませんし、今回の能登半島地震でも携帯の基地局が使えずに通信ができないということもありました。そういうケースでも、地域の担当者同士がつながっていて現地でのコミュニケーションがあれば、もしかしたら何かできることが増えるんじゃないか。そのためのコミュニティーを自分たちがつくっておけば、NERVアプリが続く限り50年後、100年後も続いてくれるんじゃないかなという思いはあります」(石森さん)
コミュニティーづくりはまだ草案レベルで、これからアイデア出しや言語化、試行錯誤が必要になるというが、そのイメージの片鱗が石森さんの頭の中にある。やはりあの出来事の記憶だ。
「3.11のとき、私の母は石巻で被災したんです。母はドラッグストアに勤めているのですが、震災後は誰とも連絡が取れず、店がどうなっているのかも分からない。そんなときに、仙台支社の社員さんが全従業員の家を1軒1軒回って、安否確認をしていたんですよ。うちの母のような一従業員の家にも来てくれて、無事ですか?と。電気もない、通信もできない状況下でできることって、こういうことですよね。最終的にはそういうコミュニケーションが残るんだろうなというのが私たちの教訓なので、そこは準備しておかなければならないと思っています」(石森さん)
ITを生業としプログラミングに長けた集団が、かといってデジタルの便利さを盲信せずに、それとは対極の位置にありそうな超アナログな地域のコミュニティーづくりに乗り出す。いわゆる昭和の時代にあった“ご近所さん”の関係を防災の観点から再構築できれば、より助かる人が増えるのはおそらく間違いないだろう。何とも壮大だが、この上なく有意義に思える。
photograph:Hisai Kobayashi
edit & text:d・e・w