平日朝に緊張感が高まる東西線ならではの理由

「東西線をご利用いただいている全ての方の時間をお預かりしているという意識を持って運転しています。ドアが閉まって列車が動き出したら、基本的にお客さまは途中で降りることができませんよね。自分の不注意でお客さまの時間を奪ってはならないという意識は常に持っています」

そう話すのは東京メトロ、東西線乗務管区の東陽町運転事務室に所属する山上洸一郎さん。2010年から東西線の運転士として乗務を開始して今年で14年目、運転士見習いへの指導経験もあるキャリア豊富な運転士である。

山上洸一郎さん
東京メトロの東西線乗務管区に所属する山上洸一郎さん。2006年に東京メトロに入社し、駅務係や車掌、運転士見習いを経て2010年に運転士に。東西線を運転して14年の長い経験を持つ

秒刻みのダイヤで運行する東京メトロである。運転士のスケジュールも一般企業のそれとは異なり、分単位で細かく設定されている。例えば、東陽町駅を起点に乗務する山上さんのある日の日勤はこんなよう。

7:01 出勤
7:06 アルコール検査、出勤点呼、体調確認
7:16 1本目乗務(東陽町駅→西船橋駅→中野駅→東陽町駅)
9:47 東陽町駅着(休憩)
10:26 2本目乗務(東陽町駅→西船橋駅→中野駅→東陽町駅)
12:43 東陽町駅着(休憩、昼食)
13:28 3本目乗務(東陽町駅→西船橋駅→東陽町駅)
14:22 東陽町駅着、退勤点呼、退勤

毎日の業務がこれほど分単位で設定されている職種もそうない。山上さんはじめ運転士たちは、どんな乗務でも安全を最優先したうえで定刻を遵守することを心がけているというが、中でも時間への意識が高まるのが平日の朝。通勤ラッシュで列車の本数、乗客共に多いことがその理由だが、もうひとつ東西線特有の事情もあるという。

「東西線は乗車率が100%ですと、ひとつの車両に約150人のお客さまが乗車されます。ただ、ラッシュ時には乗車率が200%になることもあって、そうすると約3000人のお客さまの時間をお預かりすることになるので、やはり緊張感は高まります。それに加えて、東西線は東京メトロで唯一、快速列車が運行しています。遅延が発生しやすい平日の朝は、各駅停車が快速列車の通過待ちを行う待避駅をひとつ先の駅に変更するなど、イレギュラーな対応が求められることもあって。気が抜けませんね」

“一瞬で眠りに落ちるほど疲れ切った”乗務とは

そんな山上さんが、14年のキャリアで最も印象に残っている乗務のひとつが、2024年8月16日の夜だという。その数日前から大型の台風7号が首都圏に接近しており、その日は東京でも大雨が見込まれていた。山上さんの予定は、16日の夕方から終電まで乗務し、仮眠を挟んで翌日午前まで乗務する泊まり勤務だった。

「出勤は16日の16時18分の予定だったのですが、前日の15日に弊社が計画運休を実施することを発表しました。16日の10時半から夜にかけて、東西線の東陽町駅から西船橋駅の区間、要するに地上を走る区間ですね。そこで計画運休を実施するというものでした。私は西船橋から東陽町まで東西線に乗って出勤しているので、これはまずいなと思いましたね」

山上洸一郎さん
自分が担当乗務した行路を記した乗務手帳を見ながら当時を振り返る

山上さんはいつもとは異なるルートに切り替えて、何とか東陽町運転事務室まで出勤する。大きく遠回りしたうえに普段よりも長い時間を要し、すでにやや疲れ気味の山上さんを待っていたのは通常とは異なる乗務内容だった。

「計画運休の発表後も、運休区間ではない中野駅から東陽町駅までの地下区間は運行していました。いつもでしたら東西線は西船橋駅で折り返して、また中野方面へと向かうのですが、東陽町と西船橋の間が運休のため東陽町で折り返し作業を行う必要がありました。東陽町駅の少し先、普段は駆け抜けてしまう地点に停止位置があるため、見落とさないようにしっかり確認しながら。地下ということもあって、細心の注意を払いましたね」

懐中時計
もうひとつ、業務中に携行しなければならないのがこの懐中時計。「何分何秒のレベルの遅れは、アナログのほうが視覚的に分かりやすいんですよね」という。腕時計は通信機能を持ったものを除けば個々の自由とのこと

休憩を挟みながら7時間半の乗務をこなすも、この日の空模様は山上さんにさらに追い打ちをかける。16日の19時30分、東京メトロは東西線全区間の運転再開を発表。すると今度は中野駅から西船橋駅まで、地上区間を含めた全区間の乗務が待っていた。

「雨量の規制値は下回っていましたが、まだ風が強かった。風が強い時は飛来物に気をつけなければならないんです。例えば、架線にビニール袋などの支障物が絡まったまま列車が通過すると、パンタグラフを壊してしまったり。運転再開前に安全確認用の車両が走っているのですが、風が強いとその時々で状況が変わってしまうので、常に架線と線路上を注視しながら乗務していましたね」

再び休憩を取りながら乗務すること4時間半、その日の最後の運転を終えた頃には時計の針は24時近くになっていた。山上さんはじめ仲間の運転士たちも皆、無事にその日の乗務を終えた。

山上洸一郎さん
当時の苦労を思い出して思わず表情がほころぶ山上さん。仮眠を取った後の翌朝午前の乗務は、まさに台風一過の快晴。「天気のありがたみを感じました」

「こんなに時間が長く感じたのは、14年乗務していて初めてでした。出勤からの疲れが積もり積もっていたのでしょうね。最後の乗務を終えた後、事務所の監督者が乗務員のために買い置きしてくれていたレトルトカレーを2食たいらげると、次の瞬間には寝ていましたね」

平時にできるのは当然、緊急時にこそその人の対応力が問われるのはどんなビジネスでも同じことかもしれないが、こと東京の主要交通である地下鉄の運転士であればそのプレッシャーは重大だ。慌てず、動じず、耐え忍ぶ。時間に急かされることなく職務をまっとうするこんな運転のプロたちが、東京の交通を支えている。

photograph:Hisai Kobayashi
edit & text:d・e・w