渡邊さん流ヒマラヤの楽しみ方
「山頂へのアタックのときは分刻みで行動しますけれど、その前に滞在するベースキャンプでは、ただひたすら待つのが仕事です。ベースキャンプでは昼までゆっくり寝て、起きたらごろごろしながら音楽を聞いたり、ダウンロードしておいたお笑い番組やドラマを見たり。今日何しよう、って考えるのが苦痛なくらい暇ですね(笑)」
ヒマラヤでの過ごし方についてそう話すのは、看護師と登山家という2つの顔を持つ渡邊直子さんだ。
福岡で生まれた渡邊さんは、周りの大人たちの影響もあって、幼い頃から登山を始める。10代の初めに早くも海外の山へと向かい、世界最高峰のエベレスト(8848m)をはじめ、登頂が困難なK2(8611m)、日本人女性として初登頂となったアンナプルナI峰(8091m)やカンチェンジュンガ(8586m)など、数々の名峰の山頂に立ってきた。2024年には、世界の8000m峰14座全ての登頂を達成し、日本人女性初、世界でも数少ない14サミッターとなった。

その渡邊さんは、現在も年に3回ほどヒマラヤを訪れる。日本では体験できないヒマラヤ特有の時間が、登山ガイドや荷物運びを担うシェルパたちと過ごすひとときだという。
「登山家たちが過ごすダイニングテントでは、ルートがどうとか天気がどうとか、そういう話をする人が多いんですよ。でも私は面白い話や裏話が好きで。シェルパたちからルート開拓の苦労話や、彼らがサポートするいろいろな登山家たちの裏話を聞いたりしています。あと、実はシェルパたちは、夫婦関係とか女性に関するトークが大好きなんですよ。最近パートナーとうまくいってないんだけど、どうしたらいい? みたいな。私が看護師だから話しやすいのかもしれません」
本当の自分に戻れる、新しい自分を発見できる
渡邊さんが海外の長期登山にはまったのは、大人になってからのことではない。そのきっかけは子どもの頃にあったという。
「当時はどこにでもあったと思うんですが、学校でいじめにあったんです。でも小さい頃からアジアの子どもたちと一緒に海外登山に行っていたから、学校だけが全てじゃないと知っていた。違うコミュニティーを知っていたことがとても大きくて、だからつぶれなかったんです。子どもって偏見もないし、言葉の壁もどうにかなるし、怖いものなし、ですよね」
その感覚は、大人になった今もそう大きくは変わらない。
「その勢いのままここまで来た感じ。簡単に言うと、ヒマラヤは本当の自分に戻してくれる場所です。日本で働いていると、何でそんなことで怒られなきゃならないの? ということが多いんですよ。看護記録の記載には青ペンじゃなくて黒ペンを使いなさい、みたいな。私は日本よりも貧しい国での登山を重ねてきたせいか、一般的な日本人より疑問に思うことが多くて。その影響が大きくなるとストレスがたまって閉じこもりたくなるんですけれど、ヒマラヤに行くと人と話したくてしょうがない。ネパールのパワー、シェルパたちのコミュニティーのパワーをもらって、自分を取り戻している感覚です」

さらに、ヒマラヤでの滞在や、過酷な環境での登山は、新しい自分を発見するきっかけにもなった。現在の看護師という職業を選ぶきっかけもそう。成人してすぐの頃は「コミュニケーションが重要な看護師は自分には向いていない」と思っていたが、ネパールで現地スタッフたちと家族のように接するうちに、気遣いなく、ずっと話せる自分に気づいた。それが看護師を目指す後押しとなったという。
また、ある8000m峰の登頂を目前に控えたときのこと。登山隊のメンバーに一人、もともと性格が合わない女性がいた。彼女は高山病にかかり、最終キャンプ地への到着が遅れていた。先に到着していた渡邊さんは、彼女が最終キャンプ地に着いた途端、なぜか「一緒に登頂したい」という気持ちが芽生え、いろいろと彼女のサポートをしたという。
「過酷な状況になると、そういう気持ちが沸いてくるのかなと思っていたんですが、その後で考えてみたら、シェルパのコミュニティーには街では仲が悪くても、山に入ったら皆、仲間という意識が強くなって助け合うんです。山から降りてきたらまた口を聞かないそうなんですけれどね。その登頂のときは、シェルパたちと同じ感覚だったのかなって思います。だからネパールに行くと、自分が好きになることが多いですね。意外といいところあるじゃん、と(笑)」
ヒマラヤに来れば皆、同じ人間
世界の登山家たちは14サミッターになった後、新しい冒険を求めて未踏のルートを開拓したり、地球の極地探検に向かったりする者もいるが、渡邊さんの興味は別の方向に向いている。目下、目指しているのは、自分の知識や体験を共有することだ。
「登り続けることは、もう絶対にやめません。看護師もせっかく身につけたスキルを生かしたいので続けます。それに加えて今やりたいのは、伝える仕事です。初心者の人たちに実際にヒマラヤに来てもらって、そこでの時間を体験してもらいたいですね」

一昔前に比べると、ヒマラヤ登山は身近なものになった。ヒマラヤトレッキングを催行するツアー会社もあり、資金と時間と体力があれば誰もが登頂できる環境が整っている。登頂の様子をSNSで発信するインフルエンサーなども多い。だが、渡邉さんが実施するトレッキング企画はそれらとは一線を画する。彼女にしかできない企画がある。
「いろいろな場で“心の癒やしになる”と話してきたからだと思うんですけれど、私のトレッキング企画には、精神疾患やメンタル不調がある人も参加します。私は看護師なのでメンタルの疾患に対して偏見がないんです。それで安心して参加してくださるのかもしれません。事前のヒアリングで“精神疾患あり”という方でも、実際にヒマラヤに行くと孤立することなく、楽しんでいる姿を見ることが多いんです。全然、大丈夫じゃん! って。ヒマラヤには上下関係もないし、悪質ないじめもない。私と同じで、日本では抑制されていたものが解放されて、本来の自分に戻っているのかもしれません」

もちろん登山に関する準備も万全を期す。事前にオンラインミーティングで装備一つひとつを確認し、道具の使い方や登山の技術などは、現地でシェルパたちと一緒に丁寧にレクチャーする。さらに拠点となるカトマンズシティのローカル情報や、シェルパ宅にホームステイする企画も提供しているという。これまで30回以上もヒマラヤに通ってきた渡邊さんならではだ。
「参加者に本当に満足してもらいたいんですよね。看護の世界にプライマリーナースというのがあって。1人の患者さんに対して、入院から退院まで一貫して担当する看護師のことなんですけれど、ヒマラヤの企画でそれをやりたい。一人ひとりをきちんと見たいんです」
雄大なヒマラヤでの滞在は、まさに日常とはかけはなれた別世界の時間である。海外登山にはリスクがつきまとうが、ヒマラヤ通の看護師同行となれば心強い。仕事の成果はオフタイム次第という考え方が叫ばれて久しく、オフの充実度を高める方法の一つが、普段とは異なる場所や環境に身を置くことだろう。そして普段とのギャップが大きいほど、より充足感を得られるものだ。例えば5年ごとの区切りに、あるいは数年越しのプロジェクトを終えた節目に、そんな自分をリセットするような時間があってもいい。
photograph:Hisai Kobayashi
edit & text:d・e・w