体内時計が乱れる宇宙では、時計が1日の基準になる
「時間の流れそのものは地球と同じですが、無重力だと体の動きがどうしてもスローになります。急いで走ることはできませんし、壁を指でポンと押してすーっと移動するような世界。地上なら10分で終わる作業でも宇宙では数割増しの時間を見込んでおきます。そういう意味では、どこかゆったりした時間が流れている感覚がありました」
宇宙での時間をこう話すのは、元JAXAの宇宙飛行士として国際宇宙ステーション(ISS)に15日間滞在した山崎直子さんだ。地上では「一分一秒を争う」といった言葉をよく使うが、高度約400kmを周回するISSでは、時間の感じ方が少し異なる。

しかし、そのゆったりとした動作の裏で、宇宙飛行士のスケジュールは驚くほど分刻みだ。ISSでは多数の実験や作業が同時並行で進められる。乗組員の予定は数分刻みで組まれ、植物実験を終えたら別の生物実験へ、その後はロボットアームの操作へと、時間を区切りながら作業を切り替えていく。一つの作業の遅れがその後の予定にも影響するため、分単位で頭を切り替えていかなければならない。
「分単位で切り替える必要があるのですが、窓の外を見ると、1日に16回も日の出と日の入りがやってくるので、体内時計の感覚はあっという間に狂ってしまいます。だからこそ、頼りになるのは時計だけ。時計を見て『時間が経ったからそろそろお昼かな』と気づいたり、就寝時間になったら船内の照明を落として、脳を無理やり睡眠モードに切り替えたりしていました。時間を知るツールがなかったら、生活リズムを保つのは本当に難しいですね」
胸が熱くなった“ウエルカム・トゥ・スペース”
分刻みのスケジュールの中でも、特にプレッシャーがかかるのが実験の時間。宇宙で行う実験の多くは、地上にいる研究者たちが長い歳月をかけて準備を重ねてきたものだからだ。
「食事の時間などを除けば、滞在中は常にピリッとした緊張感がありました。ボタン一つ押すのも、観察結果を一つ記録するのも、順番を間違えれば長年の研究が台無しになってしまうかもしれない。毎回手順書としっかり照らし合わせながら進める作業は、やはり精神的にもエネルギーを使います。だからこそ、作業の合間にふと窓の外を見て青い地球が視界に入った瞬間は、本当に心からホッとできる最高の時間でした」

こうした極限の緊張感と背中合わせだったからこそ、宇宙で迎えた忘れがたい瞬間が、今も鮮明に胸に刻まれている。なかでも最も印象的だったのは、無重力になった瞬間だという。
「宇宙船のエンジンが停止してフワッと無重力になった瞬間、船長が『ウエルカム・トゥ・スペース』と声をかけてくれたんです。粋な計らいですよね。11年という長い訓練の月日が頭を駆け巡り、それまでの努力が一気に報われたような気がして、胸が熱くなりました」
そして、15日間の滞在を終えて地球へ戻ってきたとき、山崎さんを待っていたのは久しぶりの「重力」だった。
「帰ってきた直後は、自分の髪の毛1本すら重く感じて、頭が漬物石になったかのような感覚でした。無重力に慣れきった体を重力になじませていくプロセスは、まるで赤ちゃんが歩き方を一から覚えていくようで、なんだか時間が巻き戻ったみたいで面白かったですね。草や土の匂い、空気に含まれる水分……地上で当たり前に存在しているものへの感謝が、じわじわと湧き上がってきたのを覚えています」
次のミッションは、宇宙への架け橋になること
宇宙飛行士としての任務を終えた山崎さんが今、夢中になっているのが「民間の力で宇宙をもっとオープンにする」ことだ。米国カリフォルニア州に本社を置くVast(ヴァスト)は、2021年設立の宇宙ベンチャーで、2027年には世界初の商業宇宙ステーション「Haven-1」の打ち上げを計画している。山崎さんはその日本法人、Vast Japanのゼネラル・マネージャーを務めている。
「これまで宇宙開発といえば国が主体となって進めるものでしたが、これからは民間主導の時代へと一気に加速していきます。2030年までのISS運用を見据えて、次の民間宇宙ステーションへスムーズにバトンを渡し、国際的な協力体制をつくることが今、非常に大事な時期に来ています。Vast Japanはアメリカ本社にとっても初の海外拠点で、これからのグローバル展開のモデルケースになる重要な役割を担っています」
かつてエンジニアとしてISSの開発に関わっていた山崎さん。現在は政府機関や企業、そして「宇宙を使ってこんなことがしたい」という新しい挑戦者たちをつなぐ架け橋となっている。
「日本はこれまで、『きぼう』日本実験棟や補給機の運用などを通じて、素晴らしい技術力を見せてきました。民間宇宙ステーションの時代になっても、日本が世界の中でしっかり存在感を発揮できるように、すてきなパートナーシップをどんどん広げていきたいですね」
Vast本社が結んだ“すてきなパートナーシップ”の相手の一社が、スイスの高級時計マニュファクチュール、IWCシャフハウゼンである。宇宙空間では、時間は日々の生活リズムだけでなく、さまざまな作業を管理する重要な基準となる。そんな宇宙での計時を見据え、IWCはVastの開発をサポートする公式タイムキーパーとなった。

“未来に挑む人の思い”に共感する
実は山崎さんにとって、IWCは昔から憧れた時計の一つであったという。
「昔、映画『トップガン』に感動して、その後パイロットたちが身に着けているIWCの時計を知ったのが最初の出会いでした。空を飛ぶプロフェッショナルたちの腕で時を刻む姿が本当に格好よくて、印象に残っていたのです。ですから今回、VastのパートナーとしてIWCとご一緒できると知ったときは、個人的にもとてもうれしかったですね」
両社のパートナーシップにより製作されたのが、今年登場した「パイロット・ウォッチ・ベンチュラー・バーティカル・ドライブ」である。最大の特徴は、地上用の腕時計を宇宙向けにアレンジしたのではなく、有人宇宙飛行での使用を前提に一から設計されたことだ。グローブを着用しながら操作できる新機構が搭載されたほか、ロケット打ち上げ時の激しい振動や最大4G程度の加速度、そして急激な圧力変化などを想定した厳しいテストをクリアしている。時刻を24時間式に表示する点も、昼夜が分からなくなる宇宙空間に合わせたものだ。

元エンジニアでもある山崎さんは、IWCの時計づくりに対する姿勢に共感を覚えるという。
「打ち上げから滞在、そして帰還まで、腕時計はずっと身に着けて一緒に宇宙を旅する“相棒”なんです。IWCが90年以上培ってきたパイロット・ウォッチの歴史と、エンジニアリングへの一切妥協のない姿勢には心から敬意を感じます。職人さんが小さな部品一つひとつに情熱を注いで、精巧な構造をつくり上げる工程は、私たちが無機質な金属のパーツから宇宙ステーションを組み上げていくときの情熱と、まったく同じなんですよね」
厚いグローブを着用した状態でも操作しやすい機構など、徹底的に「現場で使えること」を突き詰めたデザイン。そこには、飾るための美しさではなく、過酷な環境に耐え得る本質的な格好よさがある。
「エンジニアリングとは、人間の情熱で夢を形にする行為そのものだと思います。時間を正確に測るためだけでなく、宇宙という極限の地で過ごすかけがえのない一瞬一瞬を、記憶に深く刻んでいく。IWCとのタッグは、単なる技術の連携を超えて、未来へ挑む人間の思いを共有するすてきなチャレンジだと感じています」
IWCは創業以来、合理性や信頼性を追求しながら時計づくりを続け、20世紀には大空を駆けるパイロットのためのツールウォッチも手がけてきた。そのエンジニアリングの歴史が今、Vastとの協業を通じて宇宙へとつながろうとしている。2027年にHaven-1の打ち上げを控え、民間宇宙ステーションの時代は現実のものになりつつある。彼の地で人はどんな時間を過ごし、時計はどんな役割を担うのか。その答えを知る日は、そう遠くないのかもしれない。

IWCシャフハウゼン
TEL:0120‐05‐1868
photograph:Keita Takahashi
edit & text:d・e・w
