ショパールの社長が一目惚れした新ブランド
フュゼ・チェーン(鎖引き)機構、日差-2~+1秒、年産わずか20本程度……と聞けば、時計愛好家ならきっと気になるはず。この度日本に本格上陸した「クロノメトリー・フェルディナント・ベルトゥー」(以下、ベルトゥー)は、18世紀半ばに名を馳せた時計師、フェルディナント・ベルトゥーのDNAを掘り起こした、注目の時計ブランドである。
1990年代から2000年代にかけて高級時計業界では新ブランドの設立が相次いだが、2015年に高級時計の世界にデビューしたベルトゥーはこれまでの多くの新進ブランドとは一線を画す存在だと言っていい。世界で最も目が肥えていると言われる日本の時計愛好家をも唸らせる“実”があるからだ。
ベルトゥーのブランド立ち上げには、スイス・フルリエを拠点とするショパール・グループの共同社長、カール-フリードリッヒ・ショイフレ氏が大きく関与している。同グループでは時計ミュージアム“L.U.CEUM”を所有しており、自社製品以外にも歴史的価値のある時計を収集している。ある時、オークションのカタログを眺めていたショイフレ氏の目にとまったのが、かつてフェルディナント・ベルトゥーという時計師が製作したマリンクロノメーター(航海用精密時計)だった。
18世紀の偉大な時計師、フェルディナント・ベルトゥー
1727年にスイスのヴァル=ド=トラヴェールで生を受けたフェルディナント・ベルトゥーは、その地で時計製造の基礎を学び、18歳の時にパリに修行に出る。52年に製作したうるう年対応、均時差表示を備えたクロックが評価され、翌53年フランス科学アカデミーより“マスタークロックメーカー”の称号を授かる。26歳という異例の若さでの栄誉だった。その後、パリのシテ島にワークショップをつくり後進の指導に当たるが、その中の一人にかのアブラアン-ルイ・ブレゲもいたという。
その後、ベルトゥーはマリンクロノメーターの開発に心血を注いだ。1760年にフランス初のマリンクロノメーターのプロトタイプを製作。68年には「No.6」「No.8」が実際の航海で使用され、高精度であると判明。これらの名声は王族にも広まり、70年に時のフランス国王ルイ15世から“王と海軍の時計・機械職人”に任命される。当時、フランスの時計師としては最高の名誉であった。
こうしたベルトゥーの功績を知れば知るほど、ショイフレ氏は彼の虜になっていった。「これまでにフェルディナント・ベルトゥーの名をリバイバルしたブランドはない。ほかの誰かがやるなら自分の手でリバイバルしたい」。そう考えたショイフレ氏は、同時計師の名称使用権を取得。どのようなブランドとして、どんな時計をつくるべきか、ブランディングを練るパートナーとして白羽の矢を立てたのが、現ジェネラルマネージャーのヴァンサン・ラペール氏だった。
ブランドロゴは時計づくりを写す鏡
「2011年の年末、ベルトゥーの名を付したブランドをリバイバルするという構想を聞きました。その時はとても驚いたし、それと同時に怖い部分もありました。なぜなら、ベルトゥーはそれくらい時計の歴史に名を残す偉大な時計師だったからです。プレッシャーは大きいけれど、ショイフレさんの情熱に応えたい。そう思って引き受けました」
ベルトゥーのブランド立ち上げ時について、ヴァンサン・ラペール氏はそう振り返る。ラペール氏は時計業界で30年近いキャリアを持ち、前職ではスイス・ジュネーブに本拠を置く時計ブランド、ユニバーサル・ジュネーブのCEOを8年間務めていた人物だ。こうした経験をもとに、ブランドのポジショニングやマーケティング計画、デザインの方向性などを固めていった。取材中、話題がコンセプトワークに及ぶとブランドロゴについて熱弁をふるった。
「ブランドロゴは、時計づくりを象徴する重要なビジュアルです。まずは独自のフォントをつくることから始めました。手仕事を重視するブランドであることから、アルファベットの一つ一つが手作業で仕上げた金属のパーツに見えるように。次に“1753”というのは、ベルトゥーがフランス科学アカデミーより“マスターウォッチメーカー”という称号を授かった年号。そこに懐中時計に使われていた2本の針を加えて、1本は過去を、もう1本は未来を見るという意味を込めたのです」
ブランディングを開始してからおよそ4年後の2015年秋、記念すべきファーストモデル「クロノメーター フェルディナント・ベルトゥー FB 1.1」が完成する。インスピレーションの元としたのはベルトゥーの代表作、マリンクロノメーター「M.M. No.6」であった。
デザインテーマは古典の現代的解釈
「No.6は1777年製ですから、そのまま蘇らせたらクラシックなデザインになってしまう。でもそれはすでにほかのブランドがやっているし、特別感がない。そこでマリンクロノメーターの要素だけを抽出して、それを現代的に表現するというプロセスを取りました。象徴的なのが八角形のケースです。マリンクロノメーターは木製のボックスに入っていて、四隅の部分が影になる。それを現代的な解釈で直線にアレンジし、腕時計のケースに表現したのです」
ケースに加えてダイヤルのデザインも、18世紀のマリンクロノメーターに着想を得た時計にしては現代的な印象が強い。針のデザインや各種数字の書体もその要因だが、最も大きいのは縦長にくり抜かれたオープンワーク。大胆でありながらも、オフセンターダイヤルのレイアウトに調和したオープンワークとなっている。
「内部のムーブメントは自社製のトゥールビヨンキャリバー。仕上げにもこだわって苦労してつくったからムーブメントを見せようと。最初は正円にくり抜いてみたのですが、どこのブランドにもすでにあるし新鮮味がなかった。そこで開口を大きくして2つの歯車が互い違いに回転する動きを見せることにしたのです」
クロノメーター フェルディナント・ベルトゥー FB 1.1に搭載されたキャリバーFB-T.FCは、ダイヤルのオープンワークのほか、ケース側面に設けられた小窓、そしてシースルーケースバックを通しても眺めることができる。そこまでして見せたかったのは、このキャリバーがトゥールビヨン機構だけでなく、フュゼ・チェーン(鎖引き)機構という、現在はほとんど製作されない特別な動力伝達機構を備えているからだ。
フュゼ・チェーンでCOSC認定を取得
フュゼ・チェーン機構とは、機械式時計の精度を安定させるために発明された機構だ。機械式ムーブメントは主ぜんまいがほどける力で歯車を動かすが、主ぜんまいを完全に巻き上げた状態とほどけてきた状態とでは、その動力(トルク)に差が生じ、歩度にばらつきが出てしまう。トルクを一定に保ち、歩度のばらつきを低減することを目的とする機構である。
その仕組みは、主ぜんまいを内蔵する香箱と滑車(フュゼ)をチェーンでつなぐというもの。長時間使用しても精度が落ちにくいため、18世紀には主に航海用のマリンクロノメーターに用いられたが、現代の腕時計でこの機構を製作するブランドはごくわずかである。というのもチェーン1本に600~800個ものパーツを必要とする技術者泣かせの機構であり、さらに現在の主ぜんまいは性能が向上し、ぜんまいの残量による歩度のばらつきがそれほど生じないためだ。
それなのに、ベルトゥーではなぜ今、フュゼ・チェーン機構を採用したのか。
「一つはアート的な意味合いです。機械式時計ならではの機械の美しさを見せたかったのです。さらに、そこに一つのチャレンジを加えました。フュゼ・チェーン機構でありながらCOSC(スイス・クロノメーター検定協会)認定を取得しようと考えたのです。フュゼ・チェーンはもともと懐中時計や船に固定するマリンクロノメーター向けの機構だったため、外部からの衝撃や重力の影響への耐性が低い。それを腕時計に搭載し、さらに耐衝撃性や5姿勢での精度基準を設けたCOSCの検査をクリアするというのは無謀にも思える挑戦。悪夢のようでした(笑)」
数カ月に及ぶ試行錯誤の末にCOSC認定を取得し、さらにCOSCの精度基準は日差-4~+6秒だが、クロノメーター フェルディナント・ベルトゥー FB 1.1はトゥールビヨンを搭載していることも寄与して、自社検査で日差-2~+1秒という精度まで到達したという。言うまでもなく機械式時計としては最高水準の精度である。
年間販売数は20本程度。ユーザーサポートはショパールのショップで
「われわれの時計づくりの根底には、つねにフェルディナント・ベルトゥーの存在がある。彼の名を汚すような時計をつくってはならないし、生産本数もむやみに拡大することはない。2017年は20本納品し、2018年も25本程度の予定。非常にニッチであり価格的にも安いものではないが、それを理解してくださる顧客が世界に25人程度いる。そして世界で最も知識レベルが高く、求める品質が高い日本人の愛好家の方にも認めてもらえるクオリティーがあると自負している」
少量高品質の時計づくりができるのは、大手資本の影響を受けないファミリー企業であるショパール・グループが運営するブランドであることが大きい。さらにオーバーホールや万一の不具合時もショパールのショップが利用できるのは、ユーザーからすれば心強い。こうした経営の安定性やアフターサービス体制が整っていること、そして何よりも見た目のインパクトや複雑さを誇示するためだけの機構開発に終始せず、実質を伴ったウォッチメーキングに取り組んでいる点が、クロノメトリー・フェルディナント・ベルトゥーを他の新進ブランドとは一線を画すと述べる理由である。
text:Hiroaki Mizuya(d・e・w)
photograph:Ryoichi Yamashita