腕時計の役割は時刻を正しく示すことにある。そのため腕時計の開発は、いついかなる状況でも正確な時刻を刻むこと、すなわち精度や耐久性、持続時間などの基本性能を高める方向で進められてきた。だが、機構開発が成熟しつつある昨今は、そうした性能的な価値のほか、人の心に響くような価値を創造する動きがある。

そうした価値の重要性にいち早く着目し、2000年にシチズン時計が立ち上げたウオッチブランドがカンパノラである。宙空の美というデザインコンセプトに基づいて、立体的なダイヤル構造、漆や蒔絵といった日本の伝統工芸を取り入れて、創設当時から「時を愉しむ」ための腕時計を製作してきた。

その最新作が2018年8月に発売となったミニッツリピーター、「皨雫(ほしのしずく)」である。ミニッツリピーターとは時計に付加される機能の一つで、現在時刻を音で知らせるという特殊なもの。まずはその音色をお届けしよう。

「皨雫(ほしのしずく)」。ケース、ブレスレットはステンレススティール。ケース径42.5mm。クオーツ。40万円(税別)

ミニッツリピーター機構が発明されたのは、腕時計が誕生する前の懐中時計の時代のこと。電気が普及していなかった当時、夜間や暗闇の中で時刻を知るために考案されたものである。一般的には、低音と高音、それらの連続音という3種の音色を使い分ける。1時間単位を低音で、15分単位を高音・低音の連続音で、そして1分単位を高音で、それぞれの数だけ鳴らすものが主流だ。カンパノラ、皨雫(ほしのしずく)の場合はこの音色の順序が逆になり、1時間単位を高音で、1分単位を低音で打ち鳴らす。つまり上でお届けした音色は3時34分(高音3回、連続音2回、低音4回)を示すことになる。

と、ここまではミニッツリピーター全般の話。カンパノラのミニッツリピーターが他ブランドのそれと決定的に異なるのは、駆動方式がクオーツ式であることだ。

シチズン時計では、1990年代にミニッツリピーター付きクオーツムーブメントの製造を始め、その後カンパノラ・ブランドのモデルへと搭載。ミニッツリピーターの時計のほとんどが機械式ムーブメントであるため、同種のクオーツムーブメントを製造しているのは世界でも稀である。

2時位置のプッシュボタンを1秒以上押し続けるとミニッツリピーターが作動する

では、クオーツ式であることのメリットとは何か。大きくは次の2点が挙げられる。まずは、不具合が生じにくいことだ。ミニッツリピーターは数ある時計機構の中でも最も複雑な機構であり、機械式の場合は金属製のハンマーが実際にゴングを叩いて音を鳴らすため、誤作動による動作不良が生じやすい。その点、カンパノラの場合は振動板に電気を流すことで音を発しているため、リピーター機構の不具合はほぼ生じることがない。

そして、もう1つが価格面でのメリットである。前述の通り、ミニッツリピーターは最高レベルの複雑機構であり、ムーブメントの部品数が非常に多く組み上げに熟練技術を要するため、機械式であれば価格は数千万円に上る。それがカンパノラのクオーツ式になると、およそ100分の1、なんと40万円程度で入手可能となる。“夢の時計に手が届く”と題したゆえんである。

さらに付け加えれば、多機能化しやすい点もまたクオーツムーブメントのメリットである。新作の皨雫は、ミニッツリピーターのほかにアラーム機構とパーペチュアルカレンダー機構を搭載し、アラームの音色が朝・昼・夜で異なるリズムになるようにセットされている。こうした手の込んだギミックが盛り込めるのもクオーツムーブメントならではだ。

カンパノラおなじみの五徳リングをはじめ、立体感のあるダイヤルで奥深い表情を生み出している

また、デザインの面でもカンパノラのミニッツリピーターは独自の道を歩む。2004年にファーストモデルを発表、その後2016年からは日本発であること、そして「音を愉しむ」というコンセプトから“水琴窟(すいきんくつ)”をテーマに製作を進めてきた。水琴窟(すいきんくつ)とは日本庭園に置かれる排水装置で、手水鉢の近くに掘った空洞に水滴が落ちると、水滴がぶつかった音が反響して琴の音のように響くという仕掛けである。

そして今年発表の雫(ほしのしずく)では、漆、螺鈿(らでん) 、そして白蝶貝を用いて、月夜を映し出す水面の光景を巧みにデザインした。伝統工芸に加え、立体的なダイヤル構造、絶妙に配されたサークルモチーフや独特なアラビア数字といった意匠で、静謐(せいひつ)で神秘的な雰囲気に仕上げている。

やや厚めのケース、そこから延びるボリューミーなラグもまた個性的

皨雫(ほしのしずく)のケース径は42.5mm 、厚みは15.5mmと、若干ボリュームがあるぶん存在感も大きい。だが、ラグがケース裏側に向けてカーブしているため、手首へのフィット感は申し分ない。ステンレススティール製ケース&ブレスレットの心地よい重みもまた存在感を主張する。

ブラックの文字板のおかげで 、過剰に主張することなく落ち着いて見える

電気がない時代、暗闇で時間を把握するためにつくられたミニッツリピーターは、現代の世にあっては実用的な意味はほとんど成さない。暗闇でも時間が確認できるツールがあり、ましてや音で時刻を知らせる必要はないと考えるのが普通だろう。

しかしながら、普通とは対極の大胆な発想、実用とは異なる遊び心のあるアイデアの先にこそ、ユーモアやロマンといった人の心を揺さぶるような価値が生まれるものだ。水琴窟(すいきんくつ)に滴り落ちる雫の音に、あるいは月夜に響く鈴虫の鳴き声に耳を澄ますように、光に困らない現代だからこそ暗闇で“時刻を聞く”という行為が粋な嗜みにも思えてくる。ミニッツリピーターをクオーツでつくってしまうカンパノラの遊び心と、時刻に耳を澄ます豊かな時間。こんな個性が楽しめる時計はほかにない。

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photograph:Kazuteru Takahashi