挑戦する姿勢が成長を生む
2018年9月、田中修治氏の初の著書、『破天荒フェニックス オンデーズ再生物語』(幻冬舎)が刊行された。田中氏がオンデーズの社長になる直前の2008年初めから、再生の見込みがたつ2015年半ばまでの軌跡を綴った物語である。
この再生物語は、序章からして波乱万丈である。2008年当時、売上20億、負債14億だったオンデーズに対して、田中氏は個人で70%の第三者割当増資を引き受け、筆頭株主となり、同時に代表取締役社長へと就任する。誰もが「絶対に倒産する」と言い切ったオンデーズを、田中氏はなぜ買収したのか。
「オンデーズの前に経営していた会社の売上が4億ほどでした。どんなに頑張っても3年後にその売上が20億になることはない。だったら20億の売上を買っちゃえばいいという発想でした。14億の負債より20億の売上に価値を感じたのです。もちろん失敗することも考えていましたけど、同じ3年を社長として過ごすなら、4億の会社を続けているよりも全国に50店舗あるチェーンで勝負するほうが経験値は上がる。たとえ失敗しても経営者としての付加価値は高まると考えたのです」
こうしてオンデーズの新社長に就任すると、田中氏はオリジナルブランドの立ち上げや海外進出など次々と新しい事業に乗り出し、それら一つ一つの成功の積み重ねが会社再生へとつながっていく。挑戦なくして成長はない。そんなチャレンジングな精神が氏の根底にはある。
大胆なビジョンと、やり切る執念
オンデーズの新社長になった田中氏が掲げた野望、それが「世界一のメガネチェーンになる」だった。このように時に大胆ともとれる壮大なビジョンを掲げ、それを徹底してやり通す執念じみたメンタリティーもまたオンデーズの再生には欠かせないものだった。
「社長とは何かをやるための手段だと考えていて、社長で居続けることが目的になってはダメ。自分がやりたいことがあり、それをするための手段として自分は経営者という立場にいる。自分がやりたいことだから本気だし、そう簡単には諦められませんよね」
オンデーズの経営が軌道に乗り、成長段階に入ったいまもその考えが変わることはない。
「いまは5年後に売上1000億円という目標を立てています。それは、次のステップに進みたいから。これまでにオンデーズはメガネ業界の既成概念を多少なりとも変えてきました。それまではいくらかかるか不明だったレンズ代金を明朗会計に変え、数日かかっていたレンズ製造を数十分に短縮し、さらにできる限りコストを抑えて誰もが買いやすい価格帯に変えた。しかもそれらを日本だけでなく、アジアをはじめとした海外にも広げてきました。その点では、メガネ業界の旧態依然とした構造や体制を多少は変えられたという自負があります。
この次の段階、たとえば画期的なメガネを開発しようとなったら、いまの売上では足りない。さらにいえば、もっと根本的に視力を取り戻せるような技術が発明されれば、そこに投資する選択肢も出てくる。こうした新しいステップに進むための目標値として売上1000億円を掲げているのです」
本気の人間をいかにして増やすかが重要
ここ数年は特に気鋭の経営者として田中氏の名を目にすることが多くなっている。その理由の一つが、従来の会社組織にはないユニークな取り組みにある。代表例が、会社の幹部を社員の選挙で決める人事システムや、SNSでのフォロワー数が多い人材を優遇する採用制度、そして仕事をしながら社内マイルを貯めて旅行や商品などの特典と交換できる社内仮想通貨制度などである。
「これらはモチベーションの高い人間が集まる組織にするために始めたことです。会社には必ずモチベーションの高い人と低い人がいる。学校で言えば文化祭みたいなもので、本気でやる人がいれば、斜に構えてだらけている人もいるわけです。本気の人間が多いほど強い組織になるのは自明の理。やる気がない人間を減らし、本気の人間が評価される仕組みづくりの一環です」
短期的には強い組織づくりのために始めた取り組みだが、その先には将来的な発展も見据えている。
「今後、小売業はどんどん縮小し、数十年後にはなくなる業種だと思っています。極論を話せば、全ての家庭に3Dプリンターが普及し、必要なものはデータをダウンロードして自宅でつくる。そんな時代がいつかは訪れると予測しています。では、いまのような小売業が成り立たないという前提で、オンデーズの社員は何を売るかと考えた時に、メガネではなくて自分を買ってもらえるようになろうと。地域で信用されて、コミュニティーがつくれる人間になっていれば、小売以外の新しいことが始められる。そうしたコミュニティーの拠点になれる人間をいかに増やせるかが、数十年後の会社の競争力になると踏んでいます。その第一歩として、自分の考えや好きなことを発信して、人から信頼される、評価されるような人材を育てたい。SNSなどを強化する理由はそんな思いもあります」
“目指すは頂点”。一流のスピリットが響き合う
破綻寸前のオンデーズを再生し、さらに将来に向けて変革の旗印を掲げる田中氏。その田中氏の心を捉えたのがドイツ高級時計の雄、A.ランゲ&ゾーネのヒストリーである。
「困難を乗り越えた、あるいは逆境に打ち勝ったというストーリーにはやっぱり共感します。連戦連勝みたいな話はあまり魅かれなくて、負けそうな時があったり、あの時もしかしたら無くなっていたかも、というようなパラレルワールドを思わせる話のほうが面白いですよね。その点、A.ランゲ&ゾーネの話には心が動きます」
田中氏が共感を覚えると話すのは、A.ランゲ&ゾーネのブランド再興ストーリーである。A.ランゲ&ゾーネの創業は1845年のこと。ドイツ・ドレスデン近郊のグラスヒュッテに、時計職人のフェルディナント・アドルフ・ランゲが時計工房を開き、現代にも受け継がれるドイツ時計の礎を築く。だが、20世紀に起きた2度の世界大戦の後、東西ドイツ分離に伴って東ドイツ政府に接収され、ブランドは一時休眠状態となってしまう。
それからおよそ40年後の1990年代に、A.ランゲ&ゾーネは劇的な再興を果たす。94年に発表した再興後初のコレクションでは、メカニズムの技術、端正なデザイン、そして精緻な仕上げの三拍子そろって非の打ち所がないドイツ的完璧主義で時計愛好家を魅了し、再デビューと同時に高級時計のハイエンドブランドの一角を占めたのである。
「一度途絶えたものを再興するということは、現代においてもそれほどの価値があるということ。高級な時計は、ある意味、絵画などと同じような価値観で買うものだと思います。その作品がつくられた背景や歴史にこれだけのお金をかけられる価値観の持ち主ですと。その歴史の登場人物の一人として自分が加われることも魅力だと思いますね」
そう話しながら田中氏が手にしたのは「サクソニア・ムーンフェイズ」。「サクソニア」は、一切の無駄を省いて視認性を追求し、内部機構の性能も突き詰めたコレクションである。このモデルに備わるムーンフェイズ機構も1日の誤差が生じるのは122.6年後という高い精度を誇る。
「大人の時計という印象。40歳になったのでようやく着けられるかな。きちんとしたいときはもちろん、シンプルなのでカジュアルな服装にも合わせやすいですね」
経営者とウォッチメイキング、ジャンルは違えども、両者の間には再生・再興にかける熱情と、やるなら本気で徹底的にというメンタリティが響き合う。何より「世界一になる」と野心を燃やす男の手元には、ランゲならではの完璧主義がよく似合う。
direction & text:d・e・w
photograph:Ryotaro Horiuchi