消費は“中抜け”、中途半端なものは売れない

「高級時計は思い切って価格を上げてもいいと思います」

冒頭から耳を疑うような持論を展開する川上昌直氏。川上氏は、利益を得るという企業の本質的な目的に向き合い、マネタイズを重視したビジネスモデルを体系づける気鋭の経営学者だ。20代半ばに機械式時計に魅せられ、以来、ラグジュアリーブランドに研究の関心を寄せてきた川上氏に、現在の高級時計市場について聞いたところ返ってきたのがこの発言である。その理由について、次のように話す。

「いま、消費には“中抜け”現象が起きています。回転率が高いものや消耗品はなるべく安く済ませ、一生ものとして使い続けたいものは多少高額でも思い切って買うという消費傾向です。高級時計ブランドの顧客は、非常にセグメントされたこだわりの強い人々。心から愛した商品なら、たとえ数万円、数十万円上がろうと、納得して購入する。また、つくれる数に対して欲する人が多い。その結果、つくれば売れるという、かつてのビジネスの方程式がいまでも成立しているのです。

「アパレル業界でも好調なのはハイブランドとファストファッション。中価格帯が苦戦している」と話す川上氏

もちろん、やみくもに価格を上げればいいわけではない。価格と価値は別物であり、顧客を納得させ、満足させるだけの価値提案が必要であると説く。

「人が何かを買うときは、必ず“支払い意思額”があります。willingness to pay、略してWTPと呼ばれるものです。例えば、お茶が飲みたいと思い150円払ってもいいという意思があったとき、100円で買うことができれば50円得したと感じます。この差額の50円が顧客価値、世間的にコスパと言われるものです。これは高級品でも同じことで、100万円のものに150万円の価値を感じてもらえばいいのです」

このWTPをいかにして高めるかという部分は、川上氏が研究する専門分野の一つ。氏の研究上のポリシーが「自分で実際に購入・利用する」ことだ。これまでの実体験では、高級時計のどんな部分にWTPを感じたのだろうか。

「時計そのものだけでなく、その背景が重要に思います。ブランドのストーリーや創業者の人柄など、感情を揺さぶるような部分です。また、高級時計は何十年と使えて長期的に価値が持続するものなので、リセールバリューを気にする人も多い。個人的にはIWCが好きで昔のモデルを探しているのですが、気になるモデルは軒並み価格が上がっています。また、パテック フィリップは“親から子へ、子から孫へ”というフレーズを打ち出しています。世代を超えて価値を守るという意思表示。こうした長期的な視点もWTPにつながるでしょう」

僕がIWCにドハマリした理由

自らWTPを検証する実践派の川上氏は、自身でも10本ほどの高級時計を有するウォッチ・ラバーである。最初の高級時計はカルティエのロードスター。30代前半のころ、学者として一人前になった記念に父親から贈られた。その後、IWCを経てパテック フィリップへ。前出の「親から子へ、子から孫へ」というフレーズに心を打たれ、同時に子どもに残せるという資産価値が「購入の免罪符になった」という。

パテック フィリップといえば、時計好きが最終的に行き着くブランドの一つと言われる。だが、川上氏の場合はそこにたどり着いた途端に自身の時計偏愛に目覚めた。一度手にしたIWCへと再び戻り、ドハマリしていったのだ。

川上氏が溺愛するIWCのパイロット・ウォッチ。左からマークXII、マークXV、マークXVIII“トリビュート・トゥー・マークXI”

「じつは20代半ばのころ、最初に憧れたのがIWCのパイロット・ウォッチだったのです。でも当時はお金がなくて買えなかった。その記憶がずっと残っていて、ほかの時計を手にしても満たされなかったんですね。そんな時にパイロット・ウォッチ・マークXVIIIのトリビュートモデルを見つけ、堰を切ったように溜まっていたIWC愛が噴出してしまった。その後、マークXII、マークXVをアンティークで探して購入。いまはディープワンというアナログ水深計付きの時計を探しています。

IWCはパイロットだけでなく、メカニックも好むという印象。そこに男心が引き付けられます。職人気質であり、決して見せびらかすような時計ではない。時計のフェースのデザインも嫌味がなく、しかも昔のモデルと見比べてもほとんど不変。サイズやディテールは変わっても、デザインの根幹は変わらない安心感があります」

一流のものには人を高める力がある

高級時計も実際に着用して魅力を体感する川上氏。時計選びのポイントは明快だ。

「最初はゴールドの時計に憧れて、所有もしました。でも、ぶつけるのが気になっておいそれと使えない。僕はガシガシ使いたいからステンレススティールが好きですね。TPOを選ばない良さもあります。ビジネスの場でもスティールなら嫌味がない。オールシーズン着けられるという点ではブレスレットタイプがおすすめ。レザーとブレスレット、付け替えられるタイプであればなお使い勝手がいい。

意外と盲点なのが、ケースの厚みです。大きさは気にしても、厚みは気にかけない人が多い。でも、シャツを仕立てる際には時計を着けるかどうかで袖周りを変えますし、何より時計は袖の中に収まったほうが美しい。人に見られたくないときは隠すこともできますしね」

さらに向上心の強いビジネスパーソンには、こんな興味深い提案もしてくれた。

「時計は車などと違って、つねに視界に入れることができる特別なアイテム。だからこそ、僕は自分の気分を上げてくれる時計を選びます。いま、普通に買えるものではなく、多少高くても頑張って背伸びして、5年後の自分に似合う時計です。その時計に追いつきたいという気持ちが少なからず、仕事へのモチベーションになっていますね」

一流の品には気持ちを高揚させ、人を高める力があるということだろう。川上氏が若くして気鋭の学者と呼ばれる理由の一端を垣間見た思いである。

川上昌直/Masanao Kawakami
1974年、大阪生まれの経営学者・博士(経営学)。
兵庫県立大学経営学部教授(2012年~)として母校で後進の指導にあたっている。研究成果を実業で検証し、さらにブラッシュアップするため、上場企業等で新規ビジネス立案のアドバイザーも務める。著書に『マネタイズ戦略』『ビジネスモデル思考法』(ともにダイヤモンド社)など多数。
http://masanaokawakami.com

text:Hiroaki Mizuya(d・e・w)
photograph:Kunihiro Fukumori
location:IWC Osaka Boutique