時計の世界でコンプリケーションというと、複雑な機構を搭載した時計(もしくは複雑機構自体)を指し、日本語では複雑時計などと称されることが多い。代表的なものが、姿勢差による精度誤差を低減するトゥールビヨン機構や、現在時刻を音で伝えるミニッツリピーター機構、2100年まではうるう年を含めてカレンダー修正が不要な永久カレンダー機構を搭載した時計である。

これら3つの機構と同列で語られることは少ないが、クロノグラフの中にもコンプリケーションと呼ぶにふさわしい特殊機構がある。それが、経過時間に加えてラップタイム(二者間の時間差)が計測できるスプリットセコンド・クロノグラフである。このスプリットセコンド・クロノグラフの計測機能を突き詰めたモデルが、A.ランゲ&ゾーネの「トリプルスプリット」だ。2018年のSIHH(ジュネーブサロン)で発表され、話題となったことも記憶に新しい。

この時計に刺激を受けるのは、こんな男だ!


・クラフツマンシップをリスペクトする人
・数学的、物理的な美を解する人
・機械式の“アガリの1本”を探している人

トリプルスプリットのケース裏からムーブメントを見る。新開発のキャリバーL132.1は567個の部品から成る。精緻を極めた機械美も多くのランゲファンを虜にする要素 ©Kazuteru Takahashi

このトリプルスプリットの何がすごいかというと、ラップタイムの計測を最長12時間まで可能にした点である。いま一度スプリットセコンド・クロノグラフの一般的な仕組みをおさらいすると、ダイヤルセンターに2本の秒針(クロノグラフ針とスプリット針)が設置され、通常は12時位置に2本が重なって停止している。クロノグラフのスタート/ストップボタンを押すと2本が上下に重なったまま運針し、スプリット針用のストップボタンを押すとスプリット針のみが停止し、もう一方のクロノグラフ針は運針を続ける。再度スタート/ストップボタンを押すとクロノグラフ針が停止し、2本の針の秒差からラップタイムを把握するという仕組みだ。

ダイヤルセンターに時分針のほかに2本の秒針を有するのがスプリットセコンド・クロノグラフの特徴

一般的なスプリットセコンド・クロノグラフは、このラップタイムが60秒までしか計測できない場合が多い。その制約を打破しようと挑んだのがランゲの時計師たちだった。ランゲは1999年にフライバック・クロノグラフの「ダトグラフ」を発表すると、5年後の2004年には「ダブルスプリット」を完成させる。クロノグラフの分カウンターの中にもスプリット針を設置して、経過時間とラップタイムの計測を最長30分まで可能とした画期的な時計だった。

今回取り上げたトリプルスプリットは、このダブルスプリットの進化形である。今度は12時間まで積算するアワーカウンターにもクロノグラフ針とスプリット針のセットを設け、経過時間とラップタイムが最長12時間まで計測できる驚異的なクロノグラフを生み出したのである。60秒・30分・12時間を積算する3組のセットを備えることに由来してトリプルスプリットというモデル名が付けられた。

メインダイヤルのほか4時と12時位置のカウンターに、クロノグラフ針と青焼きのスプリット針のセットが備わる

本連載で見てきたように、クロノグラフは20世紀初頭にその原型がつくられ、20世紀後半になると別の機構と組み合わせたり、計測精度を高めたりと、現代的な進化を遂げてきた。その一つ、ラップタイム計測を突き詰めた頂点的モデルがこのトリプルスプリットであり、今後、おそらくこれ以上のものはつくられることのない最終形と言ってもいい。世界限定100本と希少で、プライスも驚嘆ものではあるが、機械式時計の本質的な価値を理解するエグゼクティブであれば、こんな集大成的なモデルをいつかは腕にはめてみたいものだ。

働く男を刺激するクロノグラフ#12
A.ランゲ&ゾーネ「トリプルスプリット」

18Kホワイトゴールドケース。ケース径43.2mm。手巻き。日常生活防水。13万9000ユーロ(ドイツ国内VAT含む)。世界限定100本。予約受付終了

最長12時間までの経過時間とラップタイムの計測ができる、ランゲの完璧主義を象徴するようなクロノグラフ。メインダイヤルで60秒、4時位置と12時位置のカウンターでそれぞれ30分と12時間を積算する。いずれもブルースチール針がラップタイム計測に用いるスプリット針。パワーリザーブは約55時間。

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