テーマはバックトゥトラディション。伝統手法にこだわるわけ
「格好いいですね。IWCはうちの会長が着けているので、高級時計のブランドということは以前から知っていました。このポルトギーゼは大きめなのがいい。大きめで時間が見やすいのが気に入りました。もう一つのポートフィノはエレガント寄りですね。普段、ものを選ぶ際は機能性を重視します。ウイスキーづくりでは、たるや原材料が一番大事な部分で、その他の道具については、それらをサポートするだけの信用できる機能を持っているかどうかで選びます。同じように、時計も用途に応じて頑丈なものや見やすいものなど、機能性で選ぶことが多いですね」
スイスの高級時計メーカー、IWCの代表的なモデルを目にしてそう答えるのは、肥土(あくと)伊知郎さんだ。埼玉・秩父に蒸溜所を構えるベンチャーウイスキーの代表取締役社長であり、世界的に名高い「イチローズモルト」を生み出したマスターブレンダーである。
江戸時代から続く造り酒屋の家に生まれた肥土さんの人生はまさに波乱万丈である。家業の経営破綻、事業譲渡、そしてベンチャーウイスキーの創業から世界的飛躍へと、その再生のストーリーは熱く胸にこみ上げるものがある。この奇跡的とも思える成功の秘訣はどこにあったのか。肥土さん本人に伺ったところ、大きく2つのポイントが見えてきた。
まずは、自身が大のウイスキー好きということだ。
「ウイスキーは嗜好品なので、飲み手の気持ちを分かっていることが重要だと考えています。私自身もウイスキーの愛好家で、創業した頃から今も変わらず毎晩のようにバーに通っています。バーにはおいしいウイスキーが多くあるので、自分たちもそのレベルに追いつき、追い越したいという気持ちで取り組んでいる感じですね。もう一つ付け加えると、バーで市場調査をしていた気がします。バーでは、好みが分かれるもの、慣れるとおいしくなるもの、またどんな人がどんなものを好むか、などを知ることができます。例えばアイラモルトのスモーキーなタイプ。昔は好き嫌いが分かれて嫌いな人は絶対に飲めないものでしたが、今は飲み慣れてくると“これ意外にうまいじゃん”となっている。そういう時代性も含めて、いいものをしっかり把握した上で、なおかつ自分の好みを押し出したプロダクトアウト的なものをつくっていたんだなと、今振り返るとそう思いますね」
マーケットインとプロダクトアウトを組み合わせたようなアプローチも独特だが、そこから先の製法に関してはさらにユニークだ。それがもう一つの成功の秘訣、バックトゥトラディションというスタンスである。バー通いで多くのウイスキーを飲み比べるうちに、肥土さんが目指したい味わいが見えてきた。それが1950~60年代のスコッチウイスキーだった。
「なぜおいしいのかというのはすぐには分かりませんし、今も謎はいっぱいあります。その頃、私が考えたのは、当時の製法を再現すればその味わいに近づけるのではないかということ。スコッチウイスキーの大手は合理化を進める分、造り方も変わってきています。じゃあ自分たちは昔の造り方を調べて、それを実現していこうと。そこからバックトゥトラディションというテーマにつながったんですね」
バックトゥトラディションのテーマの下、蒸溜器やたるなどの設備から素材、製法など、あらゆる部分で伝統的な作り方を調べ、学び、試行錯誤を重ねた末に到達したのが、イチローズモルトである。最初は肥土さん1人で始めた会社も、現在はパートタイマーを入れて50人ほどの規模に拡大した。さらに2019年には第2蒸溜所が稼働し、近い将来にはそのファーストリリースを予定する。この第2蒸溜所では、古くから行われている直火蒸溜を新しく採り入れた。バックトゥトラディションのものづくりをさらに押し進める。
「直火蒸溜の味わいの特徴は、言葉で説明するのが難しいのですが、“骨格がある”という感じです。パスタで例えると、アルデンテのような強い軸、背骨のようなものがある。しかもウイスキーづくりの先輩に聞いたところ、その骨格は熟成すればするほど際立ってくるそうです」
“直球、ど真ん中”を目指す自分にはこの時計がなじむ
さて、冒頭で「機能性を重視してものを選ぶ」と語った肥土さんの目にIWCのポルトギーゼが留まったのは、単なる偶然とは思えない。
ポルトギーゼは、かつてポルトガル人の商人からあるオファーを受けたIWCが1939年に製作した腕時計を起源とする。そのオファーとは、“マリンクロノメーター(船舶に設置する精密時計)に匹敵するほどの高精度の腕時計”というもの。それに対しIWCは、精度に優れる懐中時計用の大型のムーブメントを載せた腕時計を製作。これがポルトギーゼの原点である。その大ぶりのサイズから発売後しばらくは広く一般に普及することはなかったが、90年代以降はその大きさも好評を得て人気が再燃。今ではIWCの中核を成すコレクションになっている。
興味深いのは、ポルトギーゼのコアなデザインコードが1939年発表のファーストモデルからほとんど変わっていないことだ。当時から視認性も含めて実直に実用の時計を追求していた証しであろう。機能性を求める点のみならず、誕生当時は斬新だったものが時代を追うごとにスタンダードになっていくという経緯も、肥土さんやイチローズモルトの歩みと重なるものがある。
「新奇なものも面白いとは思いますよ。でも最初だけだと思うんですよ、面白く感じるのは。自分が目指すものはやっぱり王道系といいますか、バックトゥトラディション。遊びも必要ですし、ちょっとした変化球も投げるんですけれど、でも一番目指しているのは直球、ど真ん中みたいなところ。そういう意味では、こういう正統的なデザインのほうが自分になじむと思いますね」
ウイスキーづくりを始めてから、肥土さんの中で変わってきたことがある。それが人生の時間軸だ。ウイスキーは早くても3年、長ければ数十年を待たなければ完成を見ない。「今、自分たちが販売しているものは先輩たちの成果であり、今自分たちがつくっているものは未来の財産」と話すように、ともすれば完成品を自分が味わえない可能性だってある。
そんな時間感覚で生きる肥土さんの座右の銘が、“時は命なり”というオリジナルのフレーズ。
「創業した頃からの人生の目標が、秩父蒸溜所でつくった30年もののシングルモルトを飲むこと。今ちょうど折り返しで、あと15年ほどすれば飲めるんです。でも、当然のことですが、30年ものを飲むということは30年の時間を、言い換えれば命を使っているということ。時は金どころじゃない、命そのものだと思っています。そういう長い時間軸で時を共にする時計としても、このポルトギーゼはいいと思いますね。見れば見るほど、自分にふさわしい時計だと思えてきました」
誕生のプロセスからヒットの経緯、バックトゥトラディションのコンセプトで直球、ど真ん中を求めるスタンス、長い時間軸で時を大切にする生き方……。肥土さんがポルトギーゼに魅了された理由をこれ以上述べる必要はないだろう。ウイスキーと時計という垣根を超えて、ものづくりの根底にあるフィロソフィーで通じ合うものが確かにある。
photograph:Hisai Kobayashi
edit & text:d・e・w