ブランドは人が創る。2人のランゲがいて今がある
高級時計の一番の魅力は時計自体にあることは言をまたないが、A.ランゲ&ゾーネに限っていえば、創業から今日に至るヒストリーもまた興味深い。旧東ドイツの地を故郷とするブランドであるが故に数奇な運命をたどり、そこからの再興ストーリーには熱く胸にこみ上げるものがある。
A.ランゲ&ゾーネは、1845年にフェルディナント・アドルフ・ランゲ(F.A.ランゲ)がドレスデン近郊の街グラスヒュッテに開いた時計工房を起源とする。当時、主要産業がなく窮状に瀕していたその地に時計産業を興し、街を復興することが目的だった。F.A.ランゲはメートル法の採用や特殊な旋盤の導入などで時計製造を進化させ、また彼が発明した4分の3プレートはムーブメントの安定性を高める設計として現在もドイツ時計の大きな特徴の1つになっている。A.ランゲ&ゾーネの歴史を開いただけでなく、ドイツ高級時計産業の礎を築いたのがこのF.Aランゲだった。
F.A.ランゲの死後もその息子たちが着実に名声を広めたが、20世紀になると時代の波に翻弄される。第2次大戦後、A.ランゲ&ゾーネは東ドイツ政府によって国営化されブランドが一時休眠状態になる。それから40年余り、その名が街から消え、人々の記憶からも消え去ろうとしていた時に、ブランドの再興に動いたのがF.A.ランゲのひ孫、ウォルター・ランゲだった。1990年にブランドを復活させると、94年のバーゼルワールド(時計宝飾見本市)で4つのモデルを発表し、新生A.ランゲ&ゾーネの幕開けを高らかに宣言したのである。
困窮していたグラスヒュッテの街を救おうと時計産業を興したF.A.ランゲと、歴史に埋もれようとしていたブランドの再興に尽力したウォルター・ランゲ。創業者から受け継がれる熱情と不屈の精神はエグゼクティブでなくとも心に響くものがある。
例外なく順守すべきことをフィロソフィーと呼ぶ
では、A.ランゲ&ゾーネの時計が他と一線を画する理由は何か。それを一言で述べるなら“完璧主義”と表現できる。
時計の外観から見ていくと、まず特筆すべきは視認性の高さだ。象徴的なのが1994年、新生ランゲ初のコレクションの1つとして発表された「ランゲ1」である。通常、ブランドの核となるコレクションは時分針をダイヤルセンターに置いたレイアウトが一般的だ。だが、このランゲ1は、アウトサイズデイト(大型日付表示)、パワーリザーブ、およびスモールセコンドを文字盤右側に垂直線上に置き、それらの表示の中心点を結ぶ線の両端と二等辺三角形を成すように時分針の中心軸を配置。また、アウトサイズデイトの小窓の縦横比は黄金比(≒1:1.68)に基づいて設計されている。全ての表示が重なることなく機能するため、視認性の高さはこの上ない。時刻を表示するという時計の本質に向き合う姿勢は、あらゆるランゲウォッチに通底するフィロソフィーである。
こうした独創的なダイヤルレイアウトを可能としているのが、メカニズムの高度な開発力である。A.ランゲ&ゾーネでは1990年のブランド再興以来、既存の後追いではなく、全くオリジナルで革新性に富んだムーブメントを71も開発している(2023年現在)。年平均2つ以上という驚異的な数の理由は、1モデル1ムーブメントの原則を課しているため。多くのブランドでは、1つのムーブメントを複数のコレクションに載せて効率化を図るが、ランゲではモデルごとに専用のムーブメントを開発し、それを別のモデルに使い回すことはない。先述の黄金比や視認性、そして最適な機能を追求する時計作りが垣間見える。
そのムーブメントの製造に関しても、ランゲならではの大きな特徴が2つある。まずはムーブメントの2度組みだ。A.ランゲ&ゾーネの全てのムーブメントは、一度完全に組み上げた後に全てのパーツを分解し、洗浄、装飾を行った後に、再度組み上げる。これはムーブメントを最適な状態に調整することと美観を追求することを目的に、ブランド再興時から一貫して行っているものだ。
そしてもう1つが、パーツに施された精緻な仕上げである。高級時計が高級たる理由の一つは、見る者の目を奪うような美しさにある。A.ランゲ&ゾーネのムーブメントのパーツには、サンバーストやペルラージュといった伝統的な仕上げや、パーツの角を磨いて光沢を与える面取りが施される。中でも最大の見どころが、熟練職人が1つ1つ手作業で有機的な模様をエングレーブしたテンプ受け。ドイツ高級時計の伝統を受け継ぐ自負か、クラフツマンシップへのオマージュは並々ならないものがある。
A.ランゲ&ゾーネの時計作りをハイライト的に見てきたが、最も特筆すべきは製造する全ての時計においてこれらのウォッチメーキングを貫徹している点にある。2針のシンプルウォッチも複雑時計も特別モデルも、スタンスは何ら変わらない。この一貫性こそがランゲのフィロソフィー、すなわち完璧主義の根幹を成す。
私がランゲにほれた理由、ビジネスで着ける意味
さて、今回はこの記事を作るにあたり、実際のランゲオーナーに話を伺う機会を得た。ご登場いただくのは、主に日本企業に対してエグゼクティブサーチ(ヘッドハンティング)や人材のコンサルティングを行う縄文アソシエイツの代表取締役社長、古田直裕さんだ。ご自身がビジネストップというだけでなく、仕事上で付き合うのは誰もが知るような一流企業の経営幹部たち。エグゼクティブの世界をよく知る方である。
根っからの時計好きというわけではなく、自身の人生のステージに合わせて1つの時計を10年ほど使うのが古田さんのスタイルだった。それまで使用していた時計が10年ほど経ち、ちょうど現職でのビジネスも軌道に乗ってきた数年前、百貨店を訪れた際にそれとなく時計売り場をぶらついていたところ足が止まったのがA.ランゲ&ゾーネのショーケースの前だった。視線の先にあったのはランゲ1。ほとんど一目惚れだった。
「私は時計の文字盤にはそれほど興味がないのですが、ランゲ1だけはこの特殊なレイアウトを見た瞬間にぐっときたんですね。一見奇抜だけど、実際はそこまで奇をてらったわけではなく、見れば見るほど正統派でエレガントな文字盤。そこからいろいろ調べたところ、一旦は消滅した会社が復興して事業を継続している歴史も、経営者としては縁起が良い。さらに、ムーブメントにとても引かれました。見えないところにまで磨きをかけて丁寧に仕上げてあり、それが機能的に作用している。ヘッドハンティングの仕事には、知名度よりも実力を優先すべしという鉄則があり、それもあって見えない部分にまで手を抜かないという姿勢には共感を覚えます。世間的な評判や資産価値はほとんど気にせず、文字盤と歴史とムーブメント、この3つが決め手でした」
最初は一目惚れだったランゲ1は、しかしながら詳細を知るうちに、自身の、そして会社の思いを象徴する存在に変わっていったという。
「私が代表取締役になったのは30代後半くらい。でもお会いする方々は各界の大物経営者。虚勢を張るわけじゃないですが、自分の支え、自信になるものを何か身に着けたかったという部分はあります。会社としては日本初のエグゼクティブサーチファームとして、正統派でありながら、ある意味大胆な仕事をやっています。日本ではトップの自負がありますが、これから世界に出ていく上では挑戦者。泥臭い部分は忘れたくない。その意味では、挑戦者のような立場で高級時計の世界に再登場したランゲ、そして正統派でありつつも新奇性もあるランゲ1は、私や会社の思いを込める時計として理想的でした」
古田さんが経営する縄文アソシエイツでは、ビジネスリーダーに必要な要素をこう定義する。“ビジネススキルに加えて人を率いる力。人を率いる力とは対人能力、人を巻き込む力、そして時に見栄えも必要だ”と。
「良いものを身に着けることは大切だと思っています。贅沢をするということではなくて、良いものを見る目を養うという意味です。エグゼクティブを見ていても、優秀な方は審美眼やセンスに優れていることが多い。なぜこの製品がプロからも高く評価されているのか、なぜ高額でも売れるのか、その理由を知ることは、経営者にとって大事なセンスを磨く機会になります。いきなり全身を良いものでまとめるよりは、靴、眼鏡、スーツなど自分の好きなものから始めるので構わないと思います。時計なら、興味のある時計ブランドを徹底的に調べてみるところからでもいいでしょう」
そうした審美眼やセンスは、これからの日本のエグゼクティブにとってより重要になる。海外にも拠点を置き外国人のエグゼクティブとの交渉も行う古田さんはそう説く。
「国内のビジネスならば、企業名で分かってもらえることが多い。身だしなみが整っていなくても企業名だけで丁重に扱ってもらえます。ただ、海外では必ずしもそうではない。こちらがどんな会社か分からない状況で、きちんと相手をしてもらおうと思ったら、社会的な信頼感を伝える意味でも身だしなみを意識したほうがいい。それが、ある種のマナーだと思うんです。その際に重要なのはアンダーステートメントであること。決して派手にならず、あくまでも控えめに整えることが大切だと思います」
古田さんの場合、そうした世界を相手にするシーンでもランゲ1を重宝しているということだろう。それはランゲ1が、個性や独創性という安直な思想に流されることなく、実用を追求し、美の定理にのっとった末に獲得した品格をまとっているからに他ならない。
“わが友”と呼ぶべきランゲ1がある
ここまで、だいぶ駆け足ながらA.ランゲ&ゾーネというブランドの特徴を追ってきた。ひとえにエグゼクティブといってもその人となりは各人各様だが、常に新しい境地を開き、最善を求めようとするビジネスマインドに通ずるものがこのブランドには確かにある。
現在、ランゲ1はレギュラーコレクションとして10モデル近くをラインアップする。最後に、それらの中から新作を中心に代表的なモデルをセレクトした。自らの人となりを代弁し、ビジネスのスタイルにふさわしいランゲ1がきっとある。
photograph:Hisai Kobayashi(main photo、interview)、A. LANGE & SÖHNE
edit & text:d・e・w