視線の先にはいつもCITIZENがいる
始まりは、小さなラボラトリーだった。
20世紀初頭、世界の時計製造はパリやロンドン、アメリカがリードしていた。欧米の先進的な時計産業を見聞した実業家の山崎亀吉は、「国産の時計を作りたい」との熱意から尚工舎時計研究所を創設する。1918年のことだ。その思いは6年後の1924年に1つの懐中時計となって結実する。まだ名前がなかったその時計に、時の東京市長・後藤新平が「CITIZEN(=市民)」と命名。1930年にはその時計と同名の企業を創設して時計事業を開始――。これが日本の時計メーカー、シチズンの起こりである。
今年2024年は、CITIZENという名が付された初の時計が完成してから100年の節目となる。紙幅の都合上、詳細を振り返ることはできないが、端的に述べるならば、シチズンの100年とは性能追求の100年だったと言っていい。
電波時計や光発電のムーブメント、チタニウム素材に代表されるように、世界的に見てもシチズンがいち早く腕時計に取り入れ、その後多くのフォロワーを生み、やがて時計のスタンダードになった開発はいくつもある。その理由を求めるならば、シチズンという企業が常に時計の本質――いつまでも止まることなく、正確に時刻を示すこと――に向き合い、ユーザー本位のものづくりを続けてきたからだ。シチズンの視線の先にはいつもCITIZENがいるのである。
1枚の土佐和紙がザ・シチズンの世界を広げた
その一方で、近年はシチズンの時計作りに新しい局面が開かれつつある。従来はどちらかといえばスペックや数値で表せるもの、具体的には精度や正確性、持続時間、硬度、速さ、薄さ……などに重きを置いてきたが、この数年はそうした方向性に加えて、数値では表せないもの、すなわち審美性や情緒的な味わいを表現しようとする創意が目覚ましい。そう思わせるのが、シチズンのフラッグシップブランド「ザ・シチズン」から登場している和紙文字板モデルである。
和紙文字板とは、日本三大和紙の1つとされる土佐和紙を文字板に使用したもので、ザ・シチズンでは2017年よりこの文字板を発表している。土佐和紙は薄くて丈夫な性質に加え、光を透過する点も好都合だった。シチズンの主要な駆動装置である光発電エコ・ドライブは、時計の文字板側から光を取り込む必要があり、その点でも透過性のある和紙は理想的な素材だったのである。
この和紙文字板に、さらに新しい趣向を凝らしたのが今春登場した2モデルである。最大の特徴は、土佐和紙の「典具帖紙(てんぐじょうし)」とカラーグラデーション、そしてプリントによるパターンを組み合わせた点にある。4層から成る上板と下板を重ねるという緻密な作業もさることながら、何より特筆すべきはその美しさ。ほのかに浮かび上がる紋様の美しさに引き込まれる。
この美しい和紙文字板は、ザ・シチズンの世界を押し広げるほどの意味合いがある。
誤解を恐れずに言うと、ザ・シチズンは優等生的なブランドだった。1995年にウオッチブランドとして歩み始めると、普遍的なデザイン、外装やパーツの加工精度の高さ、年差±5秒の高精度エコ・ドライブ、そして時計業界初の10年間無償保証(会員登録時)という、マニュファクチュール・シチズンが有する高水準の技術、品質、サービスを提供してきた。腕時計というプロダクトとしての完成度の高さは申し分ない。時計屋の意地さえ感じるほどである。だが一方で、個性という観点からすると見え方が変わる。シンプリシティーに徹しすぎていた感が多少なりあった。
そうした印象を一新させたのが和紙文字板である。それまでの文字板との違いは、見た目でも心でも感じる味わい深さ。職人の手で作られた素朴な和紙が、精密さを突き詰めた腕時計に心地よいゆとりをもたらしたのである。ザ・シチズンは2017年に初めて和紙文字板を発表すると、その後、色を取り入れたもの、金箔やプラチナ箔を施したもの、藍染を施したものなど、どこかこの和紙のポテンシャルを楽しむかのように次々と新味を創出してきた。その最新の創作が今回のモデル、土佐和紙とカラーグラデーション、それにパターンを組み合わせた文字板である。三者が織り成す独特の味わいはもちろん過去に例がなく、今も他にない。
品格があり個性もある。オン・ビジネスにも理想的
さて、ここまでは新しい和紙文字板にフォーカスして見てきたが、一歩引いて時計全体を総覧してみれば、今回のモデルはオン・ビジネスにも理想的な腕時計であることが分かる。
ビジネスウオッチの要諦は品格であり、品格を形作るのはアンダーステートメント(控えめであること)に他ならない。そこに独創性があればなお良いだろう。もちろん性能面も優れていなければならない。時間を正確に刻む高い精度はマストであるし、ちらっと目を落としただけで時刻が読み取れる視認性も必要だ。……などと考えていくと、これらのモデルが1つの理想形に思えてくるのである。
ザ・シチズンの和紙製文字板モデルは、日本では数少ない世界水準のクオリティーを備えたモデルである。ケース内部で正確に時を刻む光発電エコ・ドライブは、時計の本質的な性能向上を目指し、なおかつ地球環境に優しい次世代型の駆動システムを追求して到達した新機軸のムーブメントである。シチズンのテクノロジーが成し遂げた、時計の概念を画する発明と言っていい。精度や性能を極め、さらに審美性の面でも日本らしさを創出した和紙文字板モデルは、日本発の高級時計と呼ぶにふさわしいタイムピースである。
およそ1世紀前、シチズンの創業者の山崎亀吉は「国産の時計を作る」と燃えたが、現代のザ・シチズンの新作からは「国産の高級時計を作る」という開発陣の声が聞こえてくるようである。仮にそれが本懐だとすれば、果たして彼らの願いは叶ったのか。今回の新作をつぶさに見れば、その答えは誰の目にも明らかだ。
photograph:Masahiro Okamura(CROSSOVER)
edit & text:d・e・w