IWCを世界的ブランドへと導いた3つのトピック

「まずは創立者のフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズ。彼は19世紀のスイス時計産業に革新を起こしたイノベーターでした。IWCの創業が1868年。それから4年後の1872年にはすでにニューヨークにも本社がありました。彼はアメリカ人であることを武器に、シャフハウゼンの自社工場で一貫生産した時計をアメリカ市場に向けて販売し、ゆくゆくはグローバルに展開していくというビジネスモデルをいち早く描いていたのです。スイス時計のマーケットがまだまだ小さかった当時としては革新的なアプローチでした。このビジネスモデルを他のスイスの時計企業が模倣するのには10~15年かかっています」

そう切り出したのは、IWCのヒストリーに精通する歴史家であり、IWCミュージアムのキュレーターも務めるデイヴィッド・セイファー氏である。「IWCが世界的ブランドに発展した要因を3つ挙げると?」との問いに対する最初の答えがこの発言だ。

デイヴィッド・セイファー氏
デイヴィッド・セイファー氏。IWCの歴史およびプロダクトに精通する歴史家、文学博士。2007年からIWCの歴史編さんに従事し、10年にミュージアム・チームのエグゼクティブ・マネージャーに就任。現在はIWCミュージアムのキュレーターも務める

「2つ目は、世界各国の市場に意欲的に出ていったこと。例えば、1920~1930年代は世界恐慌が起きた上に、ヨーロッパでは戦争が勃発。時計に限らずビジネスがとても難しい時代でした。そこでIWCが目を向けたのが、スイスと同じく中立を保っていたポルトガル。その地でビジネスの基盤を築く中で、ポルトギーゼという歴史的なモデルも誕生しました」

1930年代、2人のポルトガル人の商人がIWCに「マリンクロノメーター(航海用精密時計)と同等の精度を持つ腕時計を作ってほしい」とオーダーする。IWCは当時、最も精度が高かった懐中時計用の大型ムーブメントを載せた腕時計を製造してそのオーダーに応える。これが現在のIWCの主要コレクション、「ポルトギーゼ」の起こりだ。時計業界には世界各国、各都市を創作源としたコレクションが少なくないが、ポルトガルを舞台とした時計は極めてまれ。IWCがさまざまな国のマーケットを開拓していたことの一つの証しである。

ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー
セイファー氏がこの日着けていたのが、今春発表された「ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー」。オブシディアンブラックのダイヤルを携えたこのモデルが一番気に入っているという。モデル詳細は後述

「そして最後がリシュモン グループに入ったこと。2000年のことです。ここからグローバル志向が本格化しました。例えば広告表現では、それまではドイツ語圏に向けていたものが国際的なものへと変わった。販売のチャネルという点でも、理想的な状況を享受することができました」

リシュモン グループは、ハイエンドな時計・宝飾メーカーを中心としたラグジュアリーブランドのコングロマリット。資金、販売、オペレーションなどあらゆる面で、21世紀におけるIWCのグローバル化を後押しした。その一環が、ブランドの世界観を発信するブティックの拡充である。日本では、2014年に東京・銀座に国内初のブランドブティックをオープン。今年、誕生10周年の節目を迎えた。

IWC 銀座ブティック
一流ブランドが軒を連ねる東京・銀座の並木通りに2014年にオープンしたIWC 銀座ブティックは、一度の移転リニューアルを経て今年、誕生10周年を迎えた。これを記念して10月には歴史的モデルを集めたスペシャル・ギャラリーを開催(現在は終了)。また、LINEのIWCオフィシャルアカウントでアンケートに回答した上で銀座ブティックを訪れた先着100名に、IWC特製ノベルティをプレゼントするキャンペーンを実施中。詳細はIWC 銀座ブティック(0120-261-868)まで

クラウスの功績は「生産に知性を与えたこと」

こうした経営方針の他に、IWCの発展に欠かせなかったのがメカニズムの開発精神である。IWCをファインウォッチメーカーと称する最大の理由もここにある。セイファー氏は「IWCにとって鍵となったメカニズムが2つある」と説く。

「それはクロノグラフとパーペチュアル・カレンダーです。クオーツ時計が世界に出回った1970~1980年代は、スイスの時計関係者の誰もが“機械式時計に未来はない”と絶望していました。そんな状況で、機械式時計の伝統を守る姿勢を貫いたのがクルト・クラウスです。クオーツ全盛の時代にIWCは一定量の機械式クロノグラフの製造を続け、さらにパーペチュアル・カレンダーの開発に成功します。そこにはクラウスのぶれない姿勢がありました」

クルト・クラウスとは、1980年代にIWCのムーブメント設計の責任者を務めた人物で、現在は同社の顧問に就く。クラウスは1977年にカレンダーとムーンフェイズ表示を搭載したポケットウォッチ向けムーブメントを開発すると、1985年には画期的な名機を作り上げる。それがクロノグラフ、ムーンフェイズ、永久カレンダーを搭載した「ダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー」である。

ダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー
1985年発表の「ダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー」。クロノグラフキャリバーに永久カレンダーを組み込み、2499年までの西暦を4桁の数字で表示する機能を備え、さらに各種表示の調整がリュウズ1つで行えるという簡潔で利便性に優れた設計だった

「1985年当時は、これと同等の複雑機構を作れるメーカーは他に2社程度しかありませんでした。本数が多く作れるものではないので、何しろ手が届かない価格だった。その生産に“知性”を与えたのがクラウスでした。彼の設計により効率的に生産できるようになったのです。現在、時計業界全体としてパーペチュアル・カレンダーが成功していますが、それはクラウスのおかげだと私は考えています。そしてここから簡潔な設計がIWCのムーブメントの特徴の一つになった。その後に開発された機構の全てに、クルト・クラウスが生きていると言っても過言ではないのです」

“複雑機構を簡潔に”がファインウォッチメーカーの自負

さて、今年2024年のIWCはポルトギーゼ・コレクションから多彩な新作を発表したが、その中でクルト・クラウスの思想を色濃く受け継ぐのが、「パーペチュアル・カレンダー」のニューモデルと、パーペチュアル・カレンダーを超える高い精度を実現した「エターナル・カレンダー」である。

まずパーペチュアル・カレンダーは、西暦4桁表示の永久カレンダーと、577.5年に1日しか誤差が生じないムーンフェイズを特徴とする。今年、IWCはこのモデルの設計を再構築。ケースリングをスリム化し、時計の表裏両面をボックス型のサファイアクリスタル風防にすることなどで、より現代的に洗練された印象へと刷新した。15層のラッカーで仕上げられた文字盤は4カラーがそろう。コレクションのエッセンスは踏襲しながら、色や素材、ディテールでブランドの世界を押し広げるのが近年のIWCらしさである。

そして今年の話題作が、エターナル・カレンダーである。西暦2100年まで調整不要のパーペチュアル・カレンダーの精度を大幅に上回り、理論上、全ての暦表示が西暦3999年まで調整不要。さらにムーンフェイズに1日の誤差が生じるのは4500万年後という、耳を疑うほどの高精度を実現した。

「歴史的に見ても大きな進化。時計業界で一歩先をゆくことができたという意味では、一つのマイルストーンです。でも、だからといって大騒ぎしていないし、するつもりもない。私たちにとっては2100年問題を解決することでユーザーに喜んでもらえるという、ただそれだけのことです。実はこのエターナル・カレンダーのモジュールを構成するパーツはわずか8個。機構的にはとても簡潔なのです」

複雑な機構をいかにシンプルに、いかに合理的に設計するか。まさしくクルト・クラウスが目指した境地である。機構を簡潔にすれば生産が効率的になるだけでなく、不具合が生じる可能性も減る。仮に不具合が生じてもメンテナンスや修理が行いやすい。クラウスが求めたのは技術力の誇示ではなく、ユーザビリティーの向上だったと言ってもいい。視線の先には常にユーザーがいるのだ。そのスタンスこそが、IWCが長年にわたりファインウォッチメーカーとしての定評を得続ける理由である。

ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー

問い合わせ情報

IWCシャフハウゼン
TEL:0120‐05‐1868

IWC 銀座ブティック

photograph:Sachiko Horasawa(portrait)
edit & text:d・e・w