開発のテーマは“変えずに変える”
「デザインの個性を絶対に崩したくなかった。30年も成功してきたのだから、ここで変える必要はまったくない。ランゲ1が持つ特徴をいかにして引き立たせるか。それがテーマだった」と話すのは、ドイツ・グラスヒュッテを本拠地とするA.ランゲ&ゾーネ本社CEO、ヴィルヘルム・シュミット氏である。
A.ランゲ&ゾーネは20世紀半ばにブランドが一時休眠状態になったものの、およそ半世紀を経て1990年代に再興を果たし、94年春のバーゼルワールドで再興後初となる4つのコレクションを発表する。そのうちの一つが「ランゲ1」である。
オフセンターダイヤルとアウトサイズデイトを携えたデザインは、端正で視認性に優れながらどこまでも独創的で、ドイツの伝統的な仕様や仕上げを踏襲した美しさが卓越した品格を醸す。機能面でもデザイン面でもドイツ的完璧主義が貫かれたランゲ1は、誕生と同時に高級時計の世界の頂点的一角を占めるコレクションへと位置づけられたのである。
2024年はその衝撃的なデビューから30周年のアニバーサリーイヤーとなった。それを記念する特別モデルの開発テーマとなったのが、冒頭のシュミット氏の言葉だ。ランゲ1のデザインに手を入れずに魅力を引き出すために、言い換えれば“変えずに変える”アプローチとして着目したのが、ケースとダイヤルのコンビネーションである。
「ランゲ1らしさといえば、まずはブラックダイヤルだ。今回はランゲ1で初めてオニキスをダイヤルに採用してプラチナのケースに合わせた。もう一つがピンクゴールドケースとブルーダイヤルの組み合わせ。いずれもランゲ1で使用したことがあるが、これらの組み合わせは初。ランゲ1らしさを保ちながら新鮮で、30周年にふさわしいモデルになった」
ランゲ1よりケース径が小ぶりの「リトル・ランゲ1」からも、同様のデザインを携えた特別モデルが登場した。ランゲ1に興味があるが人と違うものがいい、あるいはペアで楽しみたいといったニーズにも応えるアニバーサリーモデルとなっている。
潜在的なニーズが見えた
さて、2019年に端を発した新型コロナウイルス感染症は、A.ランゲ&ゾーネのビジネスにも影を落とした。ランゲの生産本数は年間数千本と決して多くはないが、そのほとんどの工程で手作業を要する。職人が作業できないパンデミックの時期は大幅な減産を余儀なくされた。だが、そんな苦境の中にあってもブランドとして得たもの、改めて気づかされたことがあったという。
「パンデミックで得たものは、大きく3つある。まずは機械式時計に対する潜在的なニーズだ。長い歴史を見ても、あの時期ほど機械式時計への関心が高まったことはおそらくない。それまで見えていなかったニーズが顕在化した。次が、サプライヤーの大切さ。パンデミックの時期はサプライヤーの工場も閉鎖され、部品が手に入らなくなった。自社でまかなうことで何とか乗り切ったが、信頼の置けるサプライヤーと協業することはやはり重要だ」
A.ランゲ&ゾーネでは、ムーブメントの製造は100%自社で行うが、ケースやダイヤルの一部、ストラップ、バックルなどのパーツは外部のサプライヤーから供給を受けている。自社で作ることもできるが、ランゲのような少量生産ではコストが合わない。「今後も自社で製造するつもりはない。われわれの品質基準を満たしたサプライヤーと協業していく」という。
われわれにはうそも隠すものもない
そしてパンデミックから得たものの3つ目が、顧客の声である。従来、ランゲは顧客との距離が近いブランドという印象があったが、コロナ禍の行動規範にのっとった上で、顧客とのコミュニケーションをさらに推し進めたという。
「以前は主にランゲから顧客への一方向のコミュニケーションだったが、それを双方向のコミュニケーションへと変えた。象徴的なのがファクトリーツアーだ。世界中のランゲのブティックやリテーラーと親密な顧客に、グラスヒュッテにあるわれわれのファクトリーに実際に足を運んでもらい、互いに話をする機会を設けた」
すると、思わぬ要望が聞こえてきたという。
「ランゲの顧客はほとんどが富裕層。富裕層には、この時計がどうやって作られているか、伝統的な時計製造に基づいているのか、本当に手作業で行っているのか……など、実際のものづくりを自身の目で見たい、知りたいという好奇心の強い方が多い。そういう方に実際の製造現場や職人の作業を見てもらい、さらにエングレービングなどの体験をしてもらう。ツアー自体は以前から実施していたが、そうした体験や職人と話す機会を設けることで、顧客にはランゲの時計作りにうそがないことを実感してもらえる。他方、職人のモチベーションが上がるという副次効果もあった」
ファクトリーツアーは2時間半で回ることを想定しているが、大半の顧客は3時間を超える。現在の受け入れ人数は年間250名。ツアーのアテンドに要する手間暇を考えるとこれがマックスだという。
「実際のものづくりを知りたいと思う富裕層が多いのは、マーケティングが発達してストーリー性を売るブランドが増えたことも背景にある。過去の偉人やエピソードを付加価値とするところも多いが、ランゲでは一切やらない。ストーリーを作ることはないし、本当のことしか言わない。マイスターの手作業を中心としたうそのない時計作りこそが、A.ランゲ&ゾーネであるからだ」
テンプ受けを筆頭とする精緻な装飾や、一度組み上げた機械を分解、洗浄し、装飾を施した後に再度組み上げるムーブメントの2度組み。“たかが時計1つにそこまでやるか?”と思わせるような作業も、実際にファクトリーを訪れれば職人たちが一つひとつ手作業で行っていることが分かる。高級を自負する時計ブランドは多いが、ものづくり一本で勝負できるブランドは極めてまれだ。A.ランゲ&ゾーネの価値は時計そのものにある。
問い合わせ情報
A.ランゲ&ゾーネ
TEL:0120‐23‐1845
photograph:Sachiko Horasawa(portrait)
edit & text:d・e・w