メンズウェアの歴史をつくってきた名門
一説には「背広」という言葉の語源とされているのが、ロンドンにあるサヴィル・ロウだ。ゴールデンマイル(黄金の道)とも呼ばれるこの通りには、トップクラスのビスポーク・テーラーが30店以上も軒を連ねている。サヴィル・ロウでビスポーク・スーツを作ることが「男のステータスの頂点」であることから、多くのハリウッド映画にも登場する。いわばビスポーク・スーツの聖地ともいうべき場所だ。
このサヴィル・ロウで現存する最古のテーラーが創業1806年のヘンリー・プールである。サヴィル・ロウに現在あるテーラーのなかでも創業者一族によって経営されているテーラーは数少ないが、ヘンリー・プールは今も7代目当主のサイモン・カンディ氏によって経営されている。カンディ氏の父、6代目のアンガス・カンディ氏が「サヴィル・ロウのゴッドファーザー」と呼ばれる由縁だ。
大英帝国の黄金時代、20世紀初頭には300人の職人を抱え、年間1万2000着の製造を誇る世界最大のテーラーであった。200年を超える歴史の中で、ヘンリー・プールは数々のメンズウェアの歴史を作ってきたが、なかでも「タキシード(ヨーロッパではディナースーツと呼ぶ)」を生んだことで広く世界に知られている。当時の英国王室はメンズウェアにおいて時代のトレンドセッターであった。エドワード7世が考案したスモーキングジャケットにヒントを得て、アメリカ人顧客が同社に注文し、アメリカで流行したのがタキシードの始まりである。
元英国首相ウィンストン・チャーチルが第二次世界大戦時のプロパガンダとして撮影されたスチール写真で着用した、フォックス社製チョークストライプのグレーフランネルの3ピースの写真はあまりにも有名だ。映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』のチャーチルの衣装を手がけているのもヘンリー・プールである。ゲイリー・オールドマンが主演のチャーチルを演じてアカデミー賞(2018年)を獲ったことも記憶に新しい。
英国のみならず、世界各国からの顧客も多く、古くはシャルル・ド・ゴール、J.P.モルガン、ウィリアム・ランドルフ・ハースト、日本では白洲次郎、吉田茂と世界のエスタブリッシュメントからの信頼も篤い。
日本の宮内省(旧宮内庁)を含む世界各国の王室から授与された40ものロイヤルワラント(王室御用達)を持ち、王室とも所縁が深い。英国王室からはエリザベス女王よりリヴァリー(式典用礼服)のテーラーとしてロイヤルワラントを授与されている。
ハウススタイルは構築的なナチュラルショルダー、シェイプされたウェストに豊かな胸部を強調するイングリッシュ・ドレープを特徴としている。ブリティッシュ・テーラーリングの典型ともいえる格式と伝統を誇る名門である。
長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa
ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。メンズスタイル、車、ウィスキー等に関する記事を雑誌を中心に執筆。最新刊『サルトリア・イタリアーナ(日本語版)』(万来舎)を2018年3月に上梓。今年、英語とイタリア語の世界3カ国語で出版。著書に『サヴィル・ロウ』『ハリスツィードとアランセーター』『ビスポーク・スタイル』『英国王室御用達』など。