英国式仕立てといえば、軍服をもとに発展した胸元を強調するドレープ、立体的なショルダーラインといった、いわば彫刻を思わせる構築的な仕立てが代表的だ。しかし英国式仕立ての最高峰サヴィル・ロウの老舗テーラーの中で唯一、これとは一線を画す柔らかく軽いハウススタイルを持つのが1906年に創業されたアンダーソン&シェパード(以下、A&S)だ。

この柔らかなハウススタイルの基礎となっているのが「ドレープ技法」で、1930年代に活躍したオランダ人の名カッター、フレデリック・ショルティが開発したものとされている。肩からウェストへかけて、胸部が空気をまとっているかのような柔らかさを英国の仕立てにもたらした。英国王室のウィンザー公も愛用したほどの人気を誇り、「イングリッシュ・ドレープ」と命名されたこの技法は、メンズウェアにおける偉大な革命のひとつとされている。

ショルティの弟子、パー・アンダーソンが創業したA&Sは、スロープド・ショルダー(傾斜した肩のライン)、リンプ・シルエット(柔らかいシルエット)といったハウススタイルを継承している、唯一のサヴィル・ロウ・テーラーだ。

特徴は動きやすさと快適さをもたらす高いアームホール(袖付け)、格段の柔らかさを誇るA&Sのビスポーク・スーツ

A&Sの名は知らずとも、この老舗のスーツを目にしたことのある読者も多いはずだ。英国王室のプリンス・オブ・ウェールズ(以下、チャールズ皇太子)も顧客のひとりであり、チャールズ皇太子からのロイヤルワラント(英国王室御用達)も授与されている。自身の結婚式で着用されたモーニングも同社のものだ。このことからも当時からA&Sへのスーツにおける高い信頼が窺われる。

書籍『Anderson&Sheppard A STYLE IS BORN』より。2005年のカミラ・パーカー・ボウルズ氏との結婚式にはA&Sのモーニングを着用

A&Sの顧客名簿には世界のハイソサエティの名が多く記されている。特に、1930年代から今日に至るまで、ハリウッドの映画史に名を遺す名俳優はA&Sのスーツを愛用している。フレッド・アステア、ゲイリー・クーパー、ケーリー・グラント、現代の俳優ではラルフ・ファインズやリアム・ニーソン、さらにミュージシャンのブライアン・フェリー、デザイナーのラルフ・ローレン、カルバン・クライン、トム・フォードなども同社の顧客だ。

書籍『Anderson&Sheppard A STYLE IS BORN』より。フレッド・アステアの流麗でエレガントなダンスを際立たせたスーツ
書籍『Anderson&Sheppard A STYLE IS BORN』より。ゲイリー・クーパーのピークドラペル、ダブルブレスティッドのスーツもA&Sによって製作されたもの

2005年にサヴィル・ロウ30番地から移転。サヴィル・ロウから道をひとつ隔てたオールド・バーリントン・ストリート32番地に現在のビスポーク専用の店を構えている。ここで圧巻なのはカッタールームに整然とディスプレイされた型紙の数々だ。

ビスポーク専用の本店は、あたかもジェントルメンズクラブのような重厚な雰囲気を湛えている

ジャケット部分を作るカッターとトラウザーズ(パンツ)専門のカッターが個別に存在するのもA&Sの伝統だ。本店に加え、メンズウェアと小物を扱うハーバーダッシャリー店が本店から1ブロック離れたクリフォードストリートにある。こちらはビスポークの型紙をもとに制作された11種類あるMTMのトラウザーズと、マノロ・ブラニク製のメンズシューズ、ニットウェア、ポケットスクエア、ソックスとビスポーク・スーツ以外のものは全てここで揃う。

英国のみならず世界中の男たちの憧憬を集め、洗練されたメンズウェアの規範となり、かつイングリッシュ・ジェントルメンの殿堂とされるテーラーだ。

重厚なビスポークの本店に比べ、モダンで明るい雰囲気のハーバーダッシャリー店。サヴィル・ロウを訪れたら、徒歩数分のこの店まで足を伸ばしてはいかがだろうか

長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa
ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。メンズスタイル、車、ウィスキー等に関する記事を雑誌を中心に執筆。最新刊『サルトリア・イタリアーナ(日本語版)』(万来舎)を2018年3月に上梓。今年、英語とイタリア語の世界3カ国語で出版。著書に『サヴィル・ロウ』『ハリスツィードとアランセーター』『ビスポーク・スタイル』『英国王室御用達』など。

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