今までの連載で紹介してきたように、確かにサヴィル・ロウは伝統と格式を誇る「スーツの聖地」である。はたして、ここで作られるのはクラシックなビスポーク・スーツのみ、そう思っている方も多いのではないだろうか?

では、ザ・ビートルズの「アビーロード」のカバー写真、ビートルズのメンバー3人が着用しているラディカルなスーツはどうだろう?

1971年、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが自らのウェディングに着用したサイケデリックプリントのシャツと一緒に着用したホワイトスーツは?

これら歴史にのこるスーツを作ったテーラー、「テーラリング界の生きる伝説」がエドワード・セクストン氏だ。

現在もポール・マッカトニーやエルトン・ジョンらセレブリティを顧客に持つ伝説のテーラー、エドワード・セクストン氏

1969年2月14日の聖バレンタインズ・デー。サヴィル・ロウが史上初めて流行の発信地となった瞬間だ。デザイナーのトミー・ナッター氏(以下、ナッター氏)とヘッドカッターのエドワード・セクストン氏(以下、セクストン氏)が開店したテーラー、ナッターズ・オブ・サヴィル・ロウは、サヴィル・ロウに初めてショーウィンドウを設け、120年ぶりにサヴィル・ロウに開店した新しいテーラーだった。彼らはザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズを顧客に持ち、来たる狂乱の70年代へ向けて新しいメンズスタイルを発信していた。

その極端ともいえるハウススタイルは、張り出したワイドショルダーにワイドラペル、極端に絞ったウェストライン、ヒップを覆う長めの着丈、1920年代のオックスフォードバグズを思わせる裾の広がったトラウザーズ。それはサヴィル・ロウの伝統的な技術で作られていたにもかかわらず、英国人の典型的な抑制の美学とは正反対のグラマラスな男のためのスーツだった。

ナッターズ・オブ・サヴィル・ロウの成功は、70年代の時代の寵児でもあったナッター氏の時代を読む独創的な感覚と、カッターのセクストン氏の確かな技術に裏付けされた美学にあったとされている。

1992年、ナッター氏は惜しくも49歳の若さで亡くなったが、セクストン氏は1982年にサヴィル・ロウ36‐37番地にエドワード・セクストンをオープン。1990年にナイツブリッジに移転し、現在もその地で営業を続けている。

今もセクストン氏自らが採寸を行い、型紙を起こす。ビスポークの伝統は変わることなく継承されている

前回のギーヴズ&ホークスのヘッドカッター、ダヴィデ・トウブ氏が学んだのもセクストン氏からであり、テーラリング業界でも生きる伝説として尊敬を集めている。そんなセクストン氏に良いカッターになる条件を聞いてみた。

「まず情熱、それからクリエイティブであること、顧客のパーソナリティを理解すること、冒険的であること、スーツの構造を理解し、その上で型紙を引き、スーツになった状態を想像できること。ファブリックを裁断する時、自らの感情をスーツで表現できるのがマスターテーラーだ」

エドワード・セクストンのシグネチャーであるタブカラーのシャツとシャツピン。男性はアクセサリーはつけないのが英国的ルール。その中でシャツピンは数少ないエレガンスを表現するアクセサリーだ

良いスーツとは? との問いには、「良いスーツは第二の皮膚のように快適なものであるべきだ。スーツは着るものではない、着こなすものだ」とセクストン氏は答えている。

ザ・ビートルズの名曲と同様に、英国の反逆の精神が生んだエドワード・セクストンのスーツ。その類い稀なるスタイルは今も世界のウエルドレッサーを魅了し続けている。

伝統的な英国素材ウィンドウペインチェックのグレーフランネルを用いたダブルブレスティッドスーツ。ワイドショルダーにワイドラペルが特有の洒脱なテイストを物語っている

長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa
ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。メンズスタイル、車、ウィスキー等に関する記事を雑誌を中心に執筆。最新刊『サルトリア・イタリアーナ(日本語版)』(万来舎)を2018年3月に上梓。今年、英語とイタリア語の世界3カ国語で出版。著書に『サヴィル・ロウ』『ハリスツィードとアランセーター』『ビスポーク・スタイル』『英国王室御用達』など。

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EDWARD SEXTON/エドワード・セクストン