サルトの聖地ナポリのクラフツマンシップとは
イタリア3大スタイルの中でも、最も日本で人気がある南部のナポリタンスタイルをこれから2回続けて紹介しよう。
ナポリタンスタイルの特徴とはなにか?
それは芯地を最小限に抑えた、限りなく軽い構造にある。これはナポリの温暖な気候と関連している。日本のみならず、ナポリタンスタイルが全世界で人気となっているのは、この軽さと快適な着用感にあるだろう。
着用すると、身体にそった豊かな立体感が表現されるのも、ナポリタンスタイルの特徴で、この柔らかさと立体感こそ、イタリアにおけるサルトの聖地ナポリのクラフツマンシップによって作り出されている。
ショルダーパッドを用いず、「マニカ・マッピーナ」(マニカは袖、マッピーナは手の意味)とよばれるショルダーは、手縫いだからこそ実現できる自然に肩にそうシルエットとなっている。この構造が腕を組んだ時でも締め付け感がなく、最大限の動きを可能にする。これは袖つけと共にナポリのハンドメイドの技術の卓越性を示す、最たる部分だ。
ジャケットの裾まで取られる長いフロントダーツ、カーブして開いたフロントライン、胸のバルカポケット(船形ポケット)、ボタンが並んでつけられているキッシングボタンなど、一目でわかる華やかなディテールがあるのがナポリタンスタイルだ。
このナポリタンスタイルを代表する現代の巨匠といえば、Sartoria Panico(サリトリア・パニコ)のアントニオ・パニコをおいてほかにはいない。
現在の軽くソフトなナポリ仕立ては、1930年代にヴィンチェンツォ・アットリーニが考案したものとされている。彼はナポリ随一の名門サルトリア、ロンドンハウス(現在のルビナッチ)のヘッドカッターであり、ナポリ仕立ての歴史に名を残す名職人だ。
アットリーニが急逝した後の1970年、若干30歳の若さで彼の後継者となったのがアントニオ・パニコである。以後、20年にわたり、同店のヘッドカッターとして活躍し、1992年に独立してナポリにサルトリア・パニコを開いた。
イタリア政府から表彰もされている数少ないサルトのひとりであり、顧客は政治家、企業家、芸術家、文化人など多岐に渡る。
スーツの完成度の高さと共に、「どんな有名人でも特別扱いはしない。みな、同じ金を払っているのだから」と語るアントニオ・パニコの人柄が、全世界の顧客を惹きつけている。
ス・ミズーラ(Su‐Mizura 完全注文のスーツ、オーダーメイド)のスーツの素晴らしさは、ひとつひとつが顧客に合わせて一から作られる美しい実用品であり、そのスーツには作り手の哲学や美意識が色濃く反映されていることにあるだろう。
アントニオ・パニコのスーツはナポリ仕立てのスーツの持つ軽さとあたかも第二の皮膚のように快適な着心地を持ちながら、スーツの佇まい自体は決して軽々しいものではない。
「男のスーツはこうあるべき」という威厳と自信を体現している。
優れた型紙とアイロンワーク、手縫いの技術、加えて彼自身の研ぎ澄まされた美意識と個性が一体となり、ナポリ仕立ての最高峰となる一着のスーツとして完成している。
「いちど採寸すれば、その顧客がどんな体型の持ち主で、どんなスーツを選ぶべきかは瞬時にわかる。初めの一着はその顧客個人の個性を反映するスーツになるように薦める。どんなスーツであれ、正確な採寸と裁断、どのファブリックを選ぶかは、スーツのクリエーションにとってとても重要だ。私自身はクラシックでボディのあるファブリックが好みだが、それは顧客次第だ。スーツは最終的に顧客のものなのだから」
70年近いキャリアを重ねてきたいまなお、「すべてのスーツが私にとって新しい挑戦だ」と語り、スーツ作りへの情熱が衰えることはない。
近年は息子のルイジ、娘のパオラと共にMTM(Made to Measure 日本ではパターンオーダー)や既製服のラインを立ち上げ、イタリアばかりでなくアジアにも進出し、伊勢丹新宿店メンズ館での取り扱いも始まっている。ナポリ仕立ての歴史を形作ってきた巨匠アントニオ・パニコは、こうして今も進化を続けている。
長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa
ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。メンズスタイル、車、ウィスキー等に関する記事を雑誌を中心に執筆。最新刊『サルトリア・イタリアーナ(日本語版)』(万来舎)を2018年3月に上梓。今年、英語とイタリア語の世界3カ国語で出版。著書に『サヴィル・ロウ』『ハリスツィードとアランセーター』『ビスポーク・スタイル』『英国王室御用達』など。