ナポリが「サルトの聖地」と呼ばれる理由
ナポリタンスタイル(サルトリア・ナポレターナ)が世界中で人気を博しているのは、その軽量な構造に加え、それによってもたらされる快適な着心地が、現代のカジュアル化したライフスタイルに合致しているからだろう。
ナポリは「サルトの聖地」と呼ばれているが、ビスポーク(オーダーメイド)という観点からいえば、ビスポークのテーラーが集中しているロンドンのサヴィル・ロウを除き、これほど多くのテーラー(サルトリア)がある地域は世界中ナポリを除いて他にはない。
ところでこれには明確な理由がある。自動車など重工業をもつ北部イタリアに比べ、主要産業を持たない南部イタリアで産業として発展してきたのがテーラリングだ。逆説的に、他に産業がないからこそ、この地には多くのサルトが現役で活躍している。競争の激しい社会で、彼らは互いに技を競い合い、その結果、手縫いの高度なクラフツマンシップが継承されたのだ。
ヴィンチェンツォ・アットリーニとアントニオ・パニコが現在のナポリ仕立てを作り上げた話は前回で紹介したが、ナポリ仕立ての興味深い点はアットリーニやパニコばかりでなく、ナポリ仕立ての伝統を継承するサルトリアがいまだに健在で、今回紹介するサルトリア・チャルディはその中で誰もが認める名店のひとつだ。
サルトリア・チャルディはレナート・チャルディによって1955年にナポリに開業した。チャルディは1940年代、ナポリ最大のサルトリアのひとつであった名人アンジェロ・ブラージに師事し、アントニオ・パニコらと共にナポリ仕立ての王道を極めたマエストロだ。
サルトリア・チャルディのスーツは、ナポリ仕立ての特徴であるジャケットの裾までのびたフロントダーツ、カーブしたフロントライン、パッドを用いず、軽く滑らかなラインを描くショルダーを持つ。師匠ブラージ譲りの洒脱で貴族的な仕立てを持ち味としている。
後継者不足が大きな問題となっているサルトリアの世界で、後継者に恵まれた稀有な例がこのサルトリア・チャルディだ。レナート亡き後、彼の2人の息子、ヴィンチェンツォとロベルトによって経営されている。彼らは幼い時よりチャルディの工房で育ち、名人とされる父のもとで仕立てを学んだ。2人とも、すでに30年を超える経験を持つ熟練のサルトなのだ。
ナポリ仕立てといえば、シャツの仕立てのようなギャザーのよった袖山や船形のバルカポケットといったディテールが注目を集めてきたが、その傾向にヴィンチェンツォは懐疑的だ。
「ディテールの誇張は腕の立たないサルトがナポリ仕立てを売り込むため考え出した手法だ。ナポリ仕立ての本質はマニカ・マッピーナ(皺のよった袖山のつくり。日本ではしばしばマニカ・カミーチャとも言われる)のようなディテールのみにあるのではない」
チャルディは生前、ナポリでしか作りえないものがサルトリア・ナポレターナのスーツであり、そこにはこの地の歴史と伝統に育まれた手仕事だからこそ生まれた「不完全の美(インペーフェクション・ビューティー)」があると語った。手仕事から生まれる一着のスーツ、そこに宿るナポリの美学こそがナポリ仕立ての本質なのだと。
彼の言葉通り、英国や北イタリアの構築的な仕立てに比べ、ナポリのスーツにはその風土を色濃く反映し、手縫いの表現など、人の手から生まれた仕立てを強く感じさせるものがある。そこにはナポリの貴族文化の歴史同様に、芸術を愛し、人が手で作り上げるクラフツマンシップを謳歌する精神が宿っている。
ビスポーク・スーツは作る職人のセンスと顧客のセンス、それが互いに共鳴してできあがる。いわば、サルトと顧客による「世界で唯一の共同作品」だ。自分で楽しみながら、その一着を作り上げることがビスポークの醍醐味だ。
ヴィンチェンツォとロベルトはロンドンでトランクショーを行うなど精力的に活動しており、彼らのスーツは見るたびに現代的なテイストを増している。昨年から、伊勢丹新宿店メンズ館でも取り扱いが始まった。マニカ・マッピーナなど土着性の強いイメージのあったナポリ仕立てだが、新たなナポリ仕立ての時代はもう始まっている。
長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa
ジャーナリスト。イギリス、イタリアを中心にヨーロッパの魅力を文化の視点から紹介。メンズスタイル、車、ウィスキー等に関する記事を雑誌を中心に執筆。最新刊『サルトリア・イタリアーナ(日本語版)』(万来舎)を2018年3月に上梓。今年、英語とイタリア語の世界3カ国語で出版。著書に『サヴィル・ロウ』『ハリスツィードとアランセーター』『ビスポーク・スタイル』『英国王室御用達』など。