親から何かを譲り受ける。そこには嬉しさの反面、どこか気恥ずかしさがあるのではないか。しかも、ビジネスシーンで身につけるスーツ。そして、自らが取締役を務める会社の会長の娘婿という立場であれば、なおさらそう感じてもおかしくはないはずだ。しかし……

「いえ、まったく抵抗はありません。実は以前にも、カジュアルなジャケットをいただいたことがあります。会長からいただけるのであれば、どんなに小さいものでも、そこにある想いとともに継承していきたいと思っています」

24歳で入社し、今年で20年目。入社当時の社員数は6人ほどで、自分でも現場の美容師として実際に来店者の髪に触れてきた。会長が今回のスーツを着ている場面にも、当然居合わせた。だからこそ、感動はひとしおなのだという。

「ある意味、血と汗と涙が染み付いているはずです。だからこそ一層身が引き締まりますね。会長は、まずは周囲のことを第一に考えて行動を起こす方です。また、常に現場を大事にして目線をそこに置く。これまで見てきたそんな会長の背中に恥じないよう、努力していきたいです」

ジャケット、パンツともにシルエットを直し、スリムな見え方に変更。アーム幅などの細かな調整も行い、「すごく自分好み」な1着に

では、実際に仕立て直されたスーツの印象はどうか。今回は、当時のゆったりとしたワイドシルエットから今の時代に合ったスリムな見え方に調整。上下ともにややタイトに身幅を詰め、タックの入っていたパンツはノータックに変更した。

「僕は普段スーツを着る際には、ブラックやネイビーの無地か、ストライプの入ったものを選びます。その点で、このスーツはしっくりきますね。当時の面影も残しながら、すごく自分好みにしていただきました」

会長とは約5cmの身長差があるが、もともと股上が深い作りだったこのパンツ。「ちょっと腰に落として楽に履きたい」という宇田川取締役の意図も反映され、レングス調整が不要に。そんなある意味で奇跡的なマッチングに、受け継がれるべくして受け継がれたスーツとの見方もできよう。

「生地も非常に柔らかくて着心地がいいですし、全体の見た目も古さを感じさせません。いいスーツは、時代を経てもいいスーツ。日常的に着るのではなく、大事な場面でこそ頼りたい。そんな気分にさせてくれますね」

コーポレートカラーでもあるターコイズブルーで名前を刺繍。ちょっとしたアレンジが、さらに愛着を増してくれる

サイズやシルエットを変えて、自分好みに仕立て直したスーツ。そこに加えて実はもう一点、強くこだわった変更がある。内ポケット上部に「アルテサロンホールディングス」のメインブランド「Ash」のコーポレートカラーで入れた、名前の刺繍だ。

「会長がそうしてくださったように、僕もこのスーツを息子に引き継ぎたいなと思っています。名前だけのイニシャルを変えて。そのためには、今以上に仕事に邁進しなければなりませんね。今の僕があるのは、会長が土台を作ってくれたからこそ。もちろん、会長だけでなく会社のみんなのサポートのおかげでもあります。会長は色々な思いを込めて僕にスーツを譲ってくれたんだと思いますが、そこには、『周囲を大切にしなさい』という教えも含まれていると思います。それを自分の子供にも伝えていきたい」

今後の目標を尋ねると、まっすぐな目で次のようにこう語った。「うちのグループにいて良かったと思えるような会社にしていきたいですね。例えばオーナーとして店舗数を広げたり、職人として技術を突き詰めたり、美容師の理想像は人それぞれです。会社としては、それぞれのケースに対応できる環境づくりを目指していきたいと思います」

宇田川憲一/Kenichi Udagawa
1974年生まれ、東京都出身。1999年に「株式会社アルテ」(現「アルテサロンホールディングス」)入社。関連会社の代表取締役社長、営業企画部長などを経て、2018年に「アルテサロンホールディングス」の取締役に就任する。

text:Naoki Masuyama
photograh:Keiichi Ito