80年代風でぶかぶかな“罰ゲーム級”スーツ

「サンプルセールで買ったスーツがあるんですけど、パンツの裾は、どこでお直ししたら良いでしょう?」。編集部・松本から連絡があったのはひと月前のこと。「あぁ、それならスーパーや商店街にある、街のお直し屋さんでいいんじゃない?」と軽く答えたものの、どこのサンプルセールで、どんなスーツを買ったのか、気になったので詳しく話を聞くことにした。

松本が購入したグレーのストライプスーツは、広告などでスタイリストに服や小物を貸し出すリース店の放出品らしい。内タグを見ると、誰もが知る某高級ブランドである。先ごろロゴを一新したので、前季ものであるのは間違いないが、定価なら30万円は下らない。それを1万5000円とは、いい買い物といっていいだろう。しかし、大問題が一つある。松本にはサイズがまったく合っていないのだ。

「編集部のトルソー採用」と言われる松本はイタリアサイズで46がぴったりの標準体型だ。件のスーツはサイズ50。「いつか直して着ればいいやと思って」とは、一番やってはいけない買い方である。しかもビジネス向けのクラシックモデルではなく、モードなデザインを取り入れたモデルではないか。ジャケットの着丈はヒップがすっぽりかくれるロング丈。パンツも太めのテーパードシルエットで、ランウェイで外国人モデルが着ればお洒落かもしれないが、社会人2年目の日本人が着たら、むしろ罰ゲームだ。

細部を見ると、シングルブレスト&ピークドラペルのジャケットは、あえて肩パッドを入れた構築的な仕立て。80年代風ビッグショルダー風でもあり、ゴージライン(ラペルの刻み位置)は低い角度に設定されている。さらに袖の切羽とパンツのポケットにタブがあしらわれていて、袖先からカットして詰めることができない。これは、街のお直し屋さんでは対応が難しそうだ。

スーツの「困った」に対応する“駆け込み寺”、「サルト銀座店」へ

「サルト銀座店」外観

そこで、本格的なお直しを依頼しに「サルト銀座店」を訪れた。ここは、あらゆる服をお直し&カスタムしてくれる店だ。パンツの裾丈だけでなく裾幅やシルエットまで細身に修正したり、ジャケットの着丈をいまどきの丈に修正したりしてくれる。しかも、そのセンスがズバ抜けて高い。海外におけるスーツの流行に敏感で、イタリアやイギリスの高級ブランドスーツにも精通しているので、どこをどう修正すれば日本人の体型に合うかも熟知している。過去に一着80万円するイタリアの高級ブランド、アットリーニのスーツを修正した技術力を認められ、本国から「アットリーニのスーツは、『サルト銀座店』でのみ修理・補修を認める」とまで言わしめたほど。セレクトショップや百貨店からは、顧客のお直しや不良品の修復を委託される程に厚い信頼を置かれる。ファッションに精通する人たちが、着られなくなったスーツや他で失敗したオーダースーツのお直しを依頼する駆け込み寺としてつとに有名だ。

問題のスーツに着替えた松本を見て、「これは……腕が鳴りますね(笑)」と、サルト銀座店の壇社長。つまり「これは、かなりの強敵」ということだ。

まずはジャケットのバランスを修正しなくてはなるまい。壇さんは、肩を“摘む”どころか、“掴んで”前身頃のバランスを見ている。どうやら肩線を切り開いて詰め直し、さらに裾も切り上げるらしい。「肩から3センチ、裾から2センチ上げましょうか」。さらに肩幅を3~4センチ詰めるという。この絶妙なバランス配分が、サルトならでは。肩はナチュラルショルダーに変更。英国式の仕立てはパッドと毛芯を使い、構築的に仕上げるのだが、これは見た目にいかつくて、さすがに今の時代にはそぐわないものだ。

スーツに埋め込まれていた大量の肩パッド

このスーツの肩には80年代バブル期のスーツのように分厚いパッドが入っていた。ここ10年ほどは肩パッドが無い、もしくはあくまで薄い「アンコン仕立て」が主流だが、モードの世界ではこの分厚く構築的な肩が提案型のトレンドスタイルとして復活している。ファッションの流行としては面白い事象だが、ビジネスマンの仕事用スーツには不要であることはいうまでもない。これは薄いものに替えることにしよう。

スーツの袖丈は当然ながら、シャツの袖が覗く長さに詰めねばならない。しかし、袖先の切羽内側部分に、なぜかタブが取り付けられているというデザインがそれを拒んだ。そこで袖は肩側から詰めることに。高度な技法だ。「やはり袖筒も細くしないとバランスがとれませんね」。二の腕、肘、袖口と3箇所の太さを決定していく壇さん。それぞれのサイズスペックを独自に割り出すのはセンスを必要とする箇所である。

サイズ46の人間が、50のジャケットを羽織るのだから、単純に胸囲は8センチ大きい。これを詰めるときには、胸囲とともに胴囲(ウェスト)も詰めなければ、ウェストシェイプが損なわれる。このときのシェイプラインの描き方も、お直しのセンスが求められる。さらに「どうしても気になる2箇所」として、「ラペルカーブの曲線を直線に」、「フロントカットをカッタウェイに」直してくれるという。解説すると、ラペル(下襟)の縁が、ほんのり弧を描くのを直線にするのと同時に、ボタン下の前裾がより「ハ」の字に開くように直すのだ。細かいところだが、こういった各部のバランスをデザイナーのごとく決定していく能力が、「サルト」は圧倒的に高い。

そして、ここは好みというか着用シーンにもよるのだが、当初付けられていたボタンは高価な黒蝶貝であった。フォーマルパーティならともかく、オフィスで着るにはやや不釣り合いに感じたため、ノーマルな茶色の練りボタンに変更してもらった。

パンツは必ず裾幅を詰める

パンツはウェストを詰めるとともに、足筒も細身に修正しなければならない。最も重要なのはわたり幅(もも幅)から膝、膝から裾へ掛けて細くなるバランスだ。一般的なスーツ店で吊るしのスーツを購入するとき、裾丈を合わせてダブルに折り返すか、シングルに“たたく”かの2択である。「裾幅はいかがしますか?」と聞かれたら、その店とは一生付き合っていきたいと思うが、残念ながらそんな店は稀だ。当然ながらパンツを裾からカットしていけば裾幅が大きくなる。コレクションやカタログなどで、細身で長身、脚長のモデルが着用すればパンツはリレーのバトンのように細く長く美脚に映るが、そうではない人が着用すれば寸足らずの茶筒のように見えてしまう。そのため縦方向の裾丈を詰めたら、横方向の裾幅も詰めるべきで、できることなら膝から詰めることでテーパードになるようにシルエットの調整も図りたい。

「いまどきのパンツはプリーツ入りが主流ですよね」。そういいながら壇さんが様子を見ている。「プリーツ」とは「タック」のことだ。パンツのフロントはここ20年ほど「ノータック」が主流だが、80年代頃までは「ワンタック」「ツータック」が一般的だった。90年代に登場した「ノータック」が全盛となり、30代以下の若い人は「ワンタックってなんだか新鮮!」なのだが40代以上には、「えー、それってダサくない?」と意見が分かれるところではある。実際、おじさん上司の中にはタック入りのダサいズボンを合わせたスーツを着た人が、社内にまだまだ多い。

そもそもパンツは技術的に平面の生地をただ筒状に縫い上げるだけでは形にならない。そのため生地目をアイロンで“殺す”ことで曲線に仕上げなくてはならない。オーダー仕様のパンツの場合、ヒップトップから膝、そしてふくらはぎへかけて「S」字のカーブを描き、これを職人仕立てなら手作業のアイロンワークで、工場生産でも巨大なプレス機で挟むことで仕上げていく。ウェストからヒップへかけては寸胴ではなく、スカートのフレア状にふくらんでいくため、タックを入れて下方向へ膨らませていた。それが90年代に技術が向上し、生地のカッティングとアイロンワークだけで曲線が描けて、かつヒップまわりをタイトにフィットさせる細身のスタイルが流行したことで「ノープリーツ」が一斉を風靡したのである。近年は「原点回帰」「クラシック(「古典的」ではなく「最高峰」の意)回帰」が叫ばれる中、タック(プリーツ)入りを選ぶ人が増えている。

ゆえにパンツの最新シルエットは腰回りに余裕があり、ワタリもぴったりというより少し浮いていて、膝から裾にかけては細身にテーパードしていくため「キャロット型」に仕上がる。裾はかつて「ワンクッション」とか「ハーフクッション」とか言われたが、いまではくるぶし丈の「ジャストレングス」もしくは、足首がチラリと覗く短め丈が主流だ。とくにテーパードシルエットの場合は、少し短いかな? ぐらいのシルエットが美しい。松本も異論はないようだ。

裾の折返しは5センチで設定することを壇さんが進言。これは腰位置が高く足が長い松本ならではの仕様だ。通常、170センチ前後の日本人は4~4.5センチダブルが一般的だが、180cmと長身の松本にはあえて太幅ダブルにしてバランスをとろうというものだ。

では、これでお願いします、という最後の最後に「ひとつお願いがあるのですが」と松本。「前開きがボタンなのですが、ジッパーに替えてもらうことはできますか?」。なるほど、パンツの前開きがボタン仕様なのは、クラシックなパンツの常識なのだが、やはり使い勝手はジッパーのほうがいい。クラシックなスーツを愛する壇さんも、お客様の希望は柔軟に受け入れてくれる「お安い御用ですよ」と、最終仕様が決定した。スーツを預けてこの日は退散と相成った。