2014年ころから、私は毎年のように北極圏を訪れては探検を行っています。探検の拠点としているのが、北緯77度47分に位置するグリーンランドのシオラパルクという村。いまも先住民族イヌイットが暮らす世界最北の集落といわれています。

イヌイットと触れ合っていると、彼らが独特の時間感覚を持っていることに気づきます。その昔、西洋の探検家が初めて彼らと接したときも同じことを感じたそうです。

例えば、彼らはこんな言葉をよく口にします。
「ナルホイヤ」
「アンマカ」
「ヒダナーラガー」

私はイヌイットの言語を正式に学んだわけではありませんが、会話から察するにおそらくこんな意味。
「わからないな」
「たぶんね」
「天気次第さ」

本当に口癖のようにこれらの言葉を使います。目の前でシーカヤックをつくっているイヌイットに「シーカヤックをつくっているんだね?」と話しかけると、「アンマカ(たぶんね)」と返ってくることもある。実際につくっているんだからアンマカでも何でもないんだけど、断言しない。明言することを避けるのです。

これはなぜかと考えると、おそらく彼らが暮らしてきた環境がそうさせているのだと思います。北極圏という過酷な自然環境ではこの先何が起こるかわからない。天気がどう変わるか、氷のコンディションがどうなるか、明日アザラシが捕れるか、もっと言えば明日生きているかどうか誰にもわからないのです。そういう狩猟民的な時間感覚で生きている。その分、いま目の前の状況や風景や出来事をきちんと把握する習性はあるけれど、先のことは明言できないし、計画なんて立てられたもんじゃない。だからいつも、アンマカ、ナルホイヤ。

そんなイヌイットたちの時間感覚の幾ばくかを、身をもって体感したことがあります。2018年、白夜下の北極圏を探検したときのことでした。

ご存じのように、北極圏では一日中太陽が沈まない白夜と、反対に太陽が昇らない極夜という現象が起きます。北極圏に限らず、探検は明るい時間帯に行動したほうがリスクが低い。明るいうちは行動して、暗くなったら寝る。夜があるから時間の規律が生まれます。しかし、白夜だとこの規律に縛られなくなります。一日中暗くならないので、夜中の12時まで行動したっていい。時間がずれたり、1日26時間になったりしても関係ない。

2018年の白夜行、夜の代わりに私を縛ったのは「空腹」でした。そのときは狩りを行って食糧を調達することを前提に探検に出たのですが、あろうことか途中で食糧が不足してしまった。腹が減って栄養が足りず、寝ても夜中に起きてしまう。仕方なく、行中に仕留めたジャコウウシの肉なんかを間食して空腹をしのぐんだけど、すぐに「食糧が足りないのに食べてしまった……」と後悔する。空腹と後悔の連続です。その板挟み状態についに耐えられなくなって、ある夜、翌日の朝飯用のラーメンに手を付けてしまったんです。本来、ラーメンは行動前に食べるカロリー補給食。それを夜に食べてしまった。

「ここで寝てしまってはカロリーがもったいない。すぐに準備して動き出さなきゃ」と焦り、予定より早く行動を開始しました。それから8時間ほど歩いたら、またテントを立てて、ご飯を食べて、寝る。腹が減って起きる、ラーメンを食べる、もったいない、すぐに出発……と、以後は延々とこれの繰り返し。結果、携行していた六分儀で時刻を測ってみると、1日が22時間周期になっていたのです。

普段の私たちは、太陽の出没によってつくり出された客観的な時刻制度に従って生きています。社会生活でも夜が訪れる前に仕事を終わらせようとします。でも、白夜では太陽がなくなることがない。つまり、客観的な時刻が事実上消滅しているということです。ただ、物事はつねに変化して時間は流れているから、何かの時刻に従わなくてはならない。すると、いま自分が直面している状況とか出来事、あるいは自分の体のリズム、そういうものに組み込まれて時刻が決まっていく。白夜行の場合は、それが自分の空腹だったのです。

イヌイットの人々は決まった時間に食事をとる習慣がありません。家族一緒に食べる習慣もない。近年は少しずつ変わってきたようだけど、基本的にはめいめい勝手に、そのへんにあるアザラシの生肉を食べている。みんなばらばらに。

なぜかと考えると、やっぱり時刻の意味がないからだと思います。白夜になると太陽の運行に意味がない。ずっと明るくて夜がないから、いつ寝てもいいし、いつ食べたっていい。じゃあいつ食べるかとなれば、当たり前だけど自分の腹の減り具合ということになる。先の白夜行ではそんな時刻制度に自分が組み込まれたということです。

それ以降、私は狩りをしながら探検を行っています。狩りというのは時間と非常に深く関係している。狩りをしない前提で、事前に用意した食糧だけで探検に出ると、日々計画通りに進むことが最優先となり、効率よく行動しなければなりません。すると、目の前で起きている事象やその場の風景にかかわっている余裕がなくなってしまう。

でも、狩りを前提とすると獲物を捕らなければならない。今日は30キロ進もうと計画を立てていても、どこかでアザラシやジャコウウシが現れたらそっちのほうが価値が高いから、獲物を狩ることに強制的に自分が組み込まれる。いまという時間やその土地が持っている力、あるいはその状況を発生させた物語のようなものとか、そういうものに自分自身が組み込まれながら旅をする。それこそが本当の探検なんじゃないかという気がしているのです。

そんな探検の本質めいたものを私に教えてくれたのも、イヌイットたちの時間感覚だったのかもしれません。

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
探検家・ノンフィクション作家。1976年北海道生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大探検部に所属。03年に朝日新聞社に入社、08年に退職。翌年、「謎の峡谷」といわれたチベット、ヤル・ツアンポー渓谷への2度(2003~04年、2009年)の単独調査探検を描いた『空白の五マイル』を著し、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。その後も13年『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞を、18年『極夜行』で大佛次郎賞などを受賞。現在、文芸誌『すばる』で時間をテーマとした北極圏探検記「裸の大地」を連載中。20年10月に新著『そこにある山』が中央公論新社より発行予定。

Direction & Interview:d・e・w
Illustration:Hiroki Wakamura