私の創作において欠かすことのできない大切なもの、それが「ミニシアター」です。

毎日、目が覚めると、私は必ずお祈りと瞑想を行います。30歳のころから始めるようになり、もう10年近く欠かさずに続けている日課です。私の創作のほとんどすべては、このお祈りから始まります。お祈りをして瞑想に入っていき、そこで見えたものをスケッチしていくのです。

瞑想は、考えるのではなくて想像していくイメージ。例えば火を想像して、それを大きくしたり小さくしたり、遠くに飛ばしたり。その火を最初は自分で動かすんですけど、慣れてくると火が勝手に別の形になったり、いろんなところに飛んでいくようになります。そしてそれを追っていって見えたものを丸や三角形のような図形へと変え、さらにその図形の中に入っていくと、森の中にいたり、大きな滝の中をくぐっていたり、宇宙の中を漂っていたりと、いろんな光景に出くわします。毎日、冒険に出かけるような気分です。

この瞑想から入っていくところ、夢とは違って意識がある状態で入っていくところを、私はミニシアターと呼んでいます。毎日、目が覚めるとこのミニシアターを見に行きます。5分の短編の日もあれば30分のときもあるし、三部作のようなこともありますね。ちなみに今日は、木がたくさん茂っていて湖があって、その木々と湖の間の大地が動いていました。大地が生きていて、湖の周りをぐるぐる回っている。それを今日は描いてきました。

ミニシアターにどんな光景が現れるか。それはいろんな要素が絡んでくるのですが、特にライブペインティングでは会場にいる人やその土地の歴史が映し出されることが多いですね。ライブペインティングでは会場で瞑想してミニシアターを見ながら、それと同時に描いていきます。以前、台湾で行ったときは、なぜか瞑想をする別の女性の姿が現れました。それをもとに描き上げると、一人の女性が私の元にやってきて、「これ私なんです」とおっしゃって。話を聞いてみると、その方は毎日のように瞑想をしているみたいで、私がその姿を描き始めたからとても驚いたそうです。

土地の歴史で思い出すのは、去年のベネチア国際映画祭でのライブペインティングです。イタリアのラザレット・ヴェッキオという小さな島で行ったのですが、この島は中世ヨーロッパでペストが流行した際に、その感染者を隔離する施設がつくられた歴史があって。いざ描き始めると、下のほうから「私はまだここにいるよ」という声が聞こえてきたんです。

その悲しみに引っ張られちゃだめだと思いながら描き続けていると、いつの間にか涙が出てきてしまった。それを見ていたイタリアの人々もなぜか泣いているんですよ。もしかしたら彼らの先祖がペストで亡くなって、まだ下に埋まっているかもしれなくて。私は、この地の魂が一つでも天に昇りますように、救われますようにと願って描き上げました。すると、出来上がった作品を見たイタリアの人々が、「この作品はイタリアに残さなきゃいけない」といって、結果、作品を譲ることになりました。作品を買いたいという話はそれまでにもありましたが、この地に残したいから譲ってほしいという話は初めてでした。

こんなふうに瞑想は私の創作の源泉となっていますが、その一つひとつの創作の先に、もっと大きな、人生を通してやり切りたいと思っている「魂の成長」というテーマがあります。

私は前世などを信じているのでそれを肯定した話になりますが、魂は人間の一生とは比べ物にならないくらい長い時間、存在しています。何度となく輪廻を繰り返していて、肉体に宿っている時間より離脱している時間のほうが長い。それこそ何万歳、何億歳という年齢です。そう考えると人間の1歳も100歳も大差ないというか、魂からするととても長い時間を生きてきてやっと巡り合っているわけだから、肉体の年齢の差はほとんど関係ないんですね。

昔、前世や魂が見えるというタイの聖者のお坊さんと話をする機会があって、そのときに聞いたのが、魂が欲しているものと肉体が欲しているものは違うということ。魂の成長から見ると、たまたまいま自分が何らかの役割や使命を果たすための肉体であって、魂が何に向かっているかという部分を見なきゃだめだとおっしゃったんです。なぜ魂はずっと輪廻していくのか、なぜ肉体にいる時間が必要なのか。そう考えると、いま人間であることには意味があって、誰もが何らかの役割を担っている。私の場合はそれが絵を描くことだったんです。動物には絵が描けないから人間という形をとっている。そして私はその役割を担っているだけだから、創作では自我を出さないと決めていて、瞑想で見えてきたものを描かせてもらっている。自我を出さずに描かされて、どんな絵になるかは完成するまで自分でもわからない、そんな感じです。

絵というのは人々の心や魂の薬でなければならないと思っています。より多くの人の薬になるためには、自分の魂を成長させなければなりません。そのためのほとんど唯一の道が、瞑想のレベルを上げること。お祈りや瞑想を行う時間を大切にし、欠かさずに続けているのも、すべては魂の成長のためなのです。

小松美羽(こまつ・みわ)
現代アーティスト。1984年長野県生まれ。女子美術大学短期大学部在学中に銅版画の制作を開始。20歳で制作した「四十九日」が高く評価されプロの道へ。2014年、出雲大社に「新・風土記」を奉納。15年、庭園デザイナー石原和幸とのコラボレーション作、「EDO NO NIWA」が「チェルシーフラワーショー」で金賞を受賞。同作内の有田焼の狛犬が大英博物館日本館に永久展示される。以降、台湾や香港、ニューヨーク、ベネチア、パリで個展やライブペインティングを行い盛況を博す。2020年は11月8日まで広島ウッドワン美術館で小松美羽展「自然への祈り」を開催、福島ビエンナーレ2020に作品を出展中(11月3日まで)。

Direction & Interview:d・e・w
Illustration:Hiroki Wakamura