前例がない変化に見舞われた「時計の祭典」

今年のバーゼルワールドは開催前から話題が尽きなかった。昨夏の時点で、スウォッチ グループが2019年のバーゼルワールドに出展しないことを表明していたからだ。

スウォッチ グループとはブレゲやオメガを筆頭に、ブランパン、ジャケ・ドロー、ロンジン、ラドーなど10以上のウォッチブランドとムーブメント製造会社などを擁する世界最大の時計製造グループであり、グループ全体の売上高はスイス時計産業全体の3割以上を占める。同グループCEOのニック・ハイエック氏によれば、高額な出展料と、SNSなどソーシャルメディアの普及により従来のようなPR効果がなくなったことが出展中止の理由だという。スウォッチ グループの影響力の大きさを見越してか、後を追うようにバーゼルワールドへの出展を中止するブランドも現れた。

その影響は、今年のバーゼルワールドが幕を開けると誰の目にも明らかだった。メイン会場となるホール1の1階(ホール1.0)のうち3分の1ほどのスペースは、昨年までスウォッチ グループの各ブランドが使用していたが、そのスペースからブースがごっそりなくなった。ホール1.0は最も多くの人が行き交う場所であり、それだけに出展料も最も高額となる。スウォッチ グループが抜けたスペースに出展できるブランドはそうそうなく、代わりに設置されたのは広々としたプレスセンターとレストラン、グッチの展示ブースなどだった。良く言えば圧迫感がなく見通しがきく空間となったが、以前の会場を思い出すと寂寥感は否めない。

また、小規模なブランドやパーツメーカーが出展していたホール2.0や、独立系ブランドが集まっていた通称パレスは今年使用されず、会場周辺に出店していたカフェテリアなどもほとんどなくなっていた。バーゼルワールドの謳い文句である「時計の祭典」とは程遠いものとなった。

レンガ造りのホール2.0は展示会場としては使用されず、夜のイベントなどで使われた

生まれ変わるバーゼルワールド

バーゼルワールド終了後の主催者の発表によれば、今年の出展社数はおよそ520社。2016年には1500社以上あり、2017年は約1300社、昨年はその半分の650社程度だったため、今年はさらに2割ほど減少した計算になる。来場者も前年比22%減の8万1200人。いくつかのブランドに尋ねたところ、オメガやロンジンなどが人気の中国と、マイアミで同様の見本市を開催しているアメリカからの来場者が落ち込んだことが主因のようだ。

こうした状況を打開すべく、バーゼルワールドが変わり始めている。会期最終日、バーゼルワールドのマネージングディレクターであるミシェル・ロリスメリコフ氏が「ビジョン 2020+」という改革案を発表したのである。

最終日のクロージング・プレスカンファレンスで「ビジョン 2020+」を熱弁するミシェル・ロリス‐メリコフ氏©MCH Group

その概要は「古典的な見本市から脱却し、体験型のプラットフォームを構築する」というもので、具体策として、新しいデジタルプラットフォームを提供して顧客とのコミュニケーションを密にすること、ブランドCEOのトークセッションやヴァーチャルリアリティー体験スペースの新設、スマートウォッチやウェアラブル端末向けの展示スペースを設けて若年層の興味を喚起すること、会期中だけでなく1年を通じて情報を提供していくことなどが盛り込まれた。

さらに、2020年はリシュモングループが中心となって開催するもう一つの見本市、(ジュネーブサロン)と時期を合わせて、5月に開催することも発表された。2つの見本市を同時期に開催することで集客力、情報発信力を高めていくということのようだ。窮すれば通ず、とは言い過ぎかもしれないが、新しく生まれ変わるバーゼルワールドがどんな時計の楽しさを提供してくれるのか、来年に向けての期待が高まる。

高級時計はまだまだ面白くなる

最後に、今年の新作の印象をかいつまんでお届けしよう。最も強く感じたのは、全体にスポーティー化が進んでいることだ。いつの時代も一定の人気があるクロノグラフに加え、ここ数年元気がいいダイバーズウォッチは今年も多くの新作が発表された。

また、2針・3針のシンプルウォッチを見ても、すっきり端正にというより、ケースやベゼルをややマッシブにデザインしてスポーティーさを打ち出したモデルが主流になりつつある。背景には、ビジネススタイルのカジュアル化、腕時計が個性のシンボルとしての役割が大きくなっていること、若年層にアプローチするブランドが増加していることなど、いくつかの要因がありそうだ。

スウォッチ グループが抜けたことで中央通路の突き当りに位置する格好になったブライトリング。大型ビジョンに流したムービーのPR効果は絶大だった
主要コレクション「J12」のリニューアルを行ったシャネル。新開発ムーブメントも注目を集めた

さらに、内部機構の面で画期的な開発が見られたことも、時計ファンからすれば嬉しいトピックだった。数年前の段階で、腕時計の機構開発は行き着くところまで行き着いた感があったが、そうした閉塞感を打ち破るような開発が見られたことは明るいニュースである。

通常の5~6倍となる毎時12万9600振動という高精度ムーブメントをレギュラーコレクション化したゼニス、温度特性や耐衝撃性に優れるカーボンコンポジット製ひげぜんまいを実機化したタグ・ホイヤー、さらにクオーツとしては史上最高精度となる年差プラスマイナス1秒を実現したシチズンなど、時計の基本性能を高めるような有意義な開発には、ブランドの力量が垣間見える。

タグ・ホイヤーは一昨年復刻した「オータヴィア」をレギュラーコレクション化。カーボンコンポジット製ひげぜんまいを採用したムーブメント、キャリバー5搭載モデルもローンチ
ゼニスのブースには、高振動ムーブメントの要となるオシレーター(発振器)が投影された

このように、バーゼルワールド自体は寂寞とした空気に包まれたものの、その物寂しさを補って余りあるほどの力作が出そろった。これらの新作は、1月のジュネーブサロンで発表された新作と合わせて、PRESIDENT STYLE で順次お届けしていく予定だ。スイス時計産業も見本市も大きな曲がり角に差し掛かっているのは間違いない。けれども高級時計各社の開発精神は依然衰えることはなく、腕時計はまだまだ新しい驚きを与えてくれそうだ。

text:Hiroaki Mizuya(d・e・w)
photo:Kazuteru Takahashi