CEO就任から2年で売上が3倍に
言葉を選ばなければ“もったいない”ブランドだったと言っていい。創業者は希代の時計修復師として知られるミシェル・パルミジャーニ氏、ブランドの母体はスイスの製薬大手ノバルティス社の創業一家であるサンド・ファミリー財団、そしてパーツ一つから時計完成品までを自社グループ内で製造できるスイス屈指のマニュファクチュール……。人、資金、生産体制という高級時計ブランドに必要な全てがそろっているにも関わらず、その本領を十分に発揮できていないような感がある。これが数年前までのパルミジャーニ・フルリエの印象だった。
だった、と述べたのは、今ではそんな印象がすっかり霧散したからだ。新型コロナの猛威が落ち着き始め、経済活動が再開し始めた2021年9月、パルミジャーニ・フルリエがデザインを見直してリローンチした「トンダ PF」コレクションは、従来のプロダクトとは明らかに一線を画すモダニティーを獲得していたのである。
新生パルミジャーニ・フルリエのシンボルとも言えるこのトンダ PFは、マーケットに投入するやいなや高級時計愛好家の心をつかむ。2022年の同社の売上は、2020年比で3倍にアップしたという。2020年はコロナ禍に見舞われ、需要が落ち込んだことを考慮しても、驚くべき増加率であることに変わりはない。この方針転換を指揮し、飛躍の途へと導いたのが、現ブランドCEOのグイド・テレーニ氏である。パルミジャーニ・フルリエのポテンシャルを引き出すために、氏はどのようにタクトを振ったのか。来日した本人に聞いた。
コロナ禍がプラスに働いた
――本日はよろしくお願いします。テレーニさんは20年以上、高級時計業界に身を置かれています。CEOに就任される前は、パルミジャーニ・フルリエにどんな印象をお持ちでしたか。
グイド・テレーニ氏(以下略) 私は2000年にブルガリの時計部門に入社して、その頃、ムーブメントをパルミジャーニ・フルリエから供給してもらっていたため、このブランドのことを知るようになった。パルミジャーニ・フルリエはとてもプレステージ感があり、仕上がりが美しく、コンテンツも素晴らしいという印象。ただ、近年は、顧客とのつながりが希薄になっているような感じがした。業界は年々革新的になっていて、ユーザーの好みも変わっているけれど、そこについていけていないのでは、と思っていた。
――CEOのオファーを受けた時はどんな心境でしたか。
非常にポジティブな印象を受けたよ。というのも、このブランドはすでにプレステージ感を持っていた。プレステージ感は簡単に作り上げることができないので、すでにあるということは私にとってチャンスだった。また、自社内に製造体制が全て整っていること、時計作りに関する深い文化を持っていることも、非常にポジティブだった。
――日本のマーケットを見ていると、非常に“もったいない”という印象でした。人、資金、生産体制の全てがそろっているのにCEOが定着せず、本来の力を発揮できていないのでは、と感じていました。
全くその通りだと思う。ブランドが一時、迷子のようになっていた。リーダーが変わることは、会社にとってもそこで働く人にとっても難しいことだったと思う。そこで必要だったのはビジョンを明確にして理解していくこと。何をしなければならないかを考えることが必要だった。
――すると、CEOになられて最初に取り組んだのは、整理すること?
われわれのルーツは何か、という原点に戻ることから始めようとなった。ただ、私がCEOに着任したのが2021年の1月。まさに新型コロナ禍での交代劇だった。でも、それはわれわれにとってはプラスに働いてくれた。コロナのせいで身動きが取れない、出張もできない。でもその間にブランドで何を言いたいのか、どんなユーザーにアプローチしたいのか、どのようなスタイルを打ち出すべきなのか、ということを確立することができた。さらに、各サプライヤーの生産量も大幅に減っていたが、そのおかげで新しいケースやダイヤル、ブレスレットなどを急ピッチで開発することができた。それがトンダ PFのリローンチに大きく寄与した。
これまでで最も良い決断だった
――では、CEOになられて、ブランドの何を変えるべきで、何を変えてはならないと考えましたか。
まず変えられないことは、ブランドの価値。コンテンツ、プレステージ感、控えめなスタイルは最初からあったもので、変えてはならないもの。これらは全て、創業者のミシェル・パルミジャーニがルーツになっている。だから絶対に変えてはならないと思った。
――逆に、変えたことはどんなことでしょうか。
それは大きく4つある。まず、製品のラインアップ。それまでは多すぎたので、絞り込むことが必要だった。加えて、アイコン的なスタープロダクトを作らなければならないと考えた。当時すでに2021年用の新作が出来ていたけれど、新しい方針に合わないのでそれらを全てやめて、最初から作り上げた。その具現がトンダ PFだ。
2つ目はディストリビューションを絞り込むこと。これも過多だったので、われわれのことをよく理解してくれる店、ブランドに寄与してくれる店を残しつつ、グローバルで従来の3分の1まで減らした。今では70店程度に絞られている。
――製品とディストリビューションの見直し。残りの2つは?
3つ目は、ウォッチズ&ワンダーズに参加する勇気。ウォッチズ&ワンダーズは、ブランドや時計のキャラクターを理解してもらうには最適な場だと考えている。出展費用はとても高額だが、そこに参加する決断をした。これはわれわれがやってきたことの中で、最も良い決断だと思っている。ブランドの認識度が高まったし、成長が爆発的になったから。
そして最後はコミュニケーションをブラッシュアップしようと思った。われわれが洗練されていて、なおかつ控えめなブランドであることを伝えるのはとても難しいこと。新しい製品を作りながらそれをどうコミュニケートするか。ウェブなのかプレスメディアなのか、イベントなのか。われわれの時計作りは伝統を踏襲したものだけれど、より現代的な表現方法を模索した。
独立系ブランドのメリットを実感している
――続いて、今後について伺います。パルミジャーニ・フルリエは独立性を保った数少ないブランドです。今、頭の中には何年後のビジョンまでありますか。
プロジェクトという意味では2029年まである。ただ、プロジェクトには投資が必要だから、状況を見ながら、可能性も含めながらブランドを成長させていきたい。
――以前いらしたブルガリはLVMHという大きなグループで、今回は独立系ブランド。違いは感じますか。
もちろん感じるよ。ただ、また独立系に戻ってきたという表現が正しい。私がブルガリに入社した時はブルガリ家が経営していて、最後の2年だけがLVMHグループになった。両方体験しているのでそれぞれのプラスもマイナスも感じているし、ともに興味深いものがある。
――個人的には、高級ブランドを永続させるには、独立性を維持することが一つの条件だと考えています。独立系のメリットはどんなことだとお考えですか。
まずCEOになって感じるのは、決断までの時間が非常に速く、簡易であること。正しいと思うことを、それほど時間を置かずに実行できるのはとても大きなメリットだ。それから株式公開をしていないので数字を公表する必要がない。グループに属していると3カ月ごとに業績を見られてしまうけれど、そういうことがなく長期で物事が考えられるということ。自分の野心も踏まえながら、ロングタームのスパンで達成していけばいい。そこが大きく違う。
――時計ファンとしては、トンダ PFの次の展開を期待しています。
トンダ PFは、今年発表した「トンダ PF スポーツ」をもって、ひとまず完結。今後何かを出すなら、それは新しい時代に合ったものを作る時だと思う。単にダイヤルを変える、カラーを変えるという開発はやりたくない。というのも、これまでにトンダを買ってくださった方を尊重しなければならないから。入手するのに1年以上待ってくださった方もいるので、何年後になってもこの時計を買ってよかった、と実感していただけるようにしていかなければならない。
――次のコレクションはもう用意していますか。
一つずつしかできない。われわれには「トリック」というコレクションもあるが、こちらもアップデートが必要だと思っている。
――ということは、次はトリック?
いや、分からないよ(笑)。一つずつということ。ひとまず今はトンダ PF スポーツ。これを市場に投入して反応を見ながらまた考えるよ。
――分かりました。今、楽しいですよね? じっくり検討しながら時計作りができているようなので。
信じていないものは売らない、というのが私の考え。自分が心から納得しているものでなければ、売りたくない。その点では、このパルミジャーニ・フルリエに来て良かったと思っているよ。
――今後の新作も楽しみにお待ちしています。今日はありがとうございました。
パルミジャーニ・フルリエ
TEL:03-5413-5745
photograph:Sachiko Horasawa
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