作家の吉村喜彦さんによる、酒にまつわる逸話やおいしい飲み方を紹介する連載「in vino veritas(イン・ヴィーノ・ヴェリタス)」。直訳すれば「酒に真実あり」となります。これまで多くの取材や旅を通じて感じた酒の魅力を語ってもらいます。第11回目は、アイリッシュ・ウイスキー、ブラックブッシュの話。

冬になると、アイリッシュ・ウイスキーを飲みたくなる。
重く垂れこめた雲。ときおりひらひら舞い落ちる雪。ぬかるんだ道。鋭いナイフのような風――陰鬱で寒々しい冬の景色こそアイリッシュ・ウイスキーに似合っている。
初めてアイリッシュ・ウイスキーに惹かれたのは、ジャック・ヒギンズの『鷲は舞い降りた』という小説を読んだときのこと。
脇役のアイルランド人(リーアム・デヴリン)がたびたびアイリッシュ・ウイスキー(ことにブッシュミルズ)を飲むシーンがあった。
その描写があまりに美味しそうだったからだ。

一度だけアイルランドに行ったことがある。
9月下旬だったけれど、気温はかなり低かった。淡い青空が広がっているかと思うと、いきなり雲が広がり、雨が降り出す。そして、雨が降った後には、傾いた光がふたたび射して、きれいな虹がかかった。
移ろいやすい天候は、きっとこのケルトの島の人たちに大きな影響を与えたにちがいない。
アイリッシュの気性は、あるときは激しく、あるときは優しくセンチメンタル。相矛盾するものをつねに抱えているところが、たまらなく魅力的だ。

ケルト人は二つの世界が混じりあう「あわい」(たとえば、黄昏時や霧など)に、神さまが宿っていると信じている。
そして、「あわい」はつねに揺れ動く。
ケルトには「渦巻き」文様が多いけれど、霧がゆっくり渦巻きながら動いたり、雲がくねっていく様子を実際にアイルランドで見ていると、ケルト人が「渦巻き」に特別な感情をもつのがよくわかった。
また、「渦巻き」は「めまい」に通じている。
ケルト人は、酒好き、音楽好き、乗り物好きと言われるが、酒や音楽、スピードは社会学者ロジェ・カイヨワのいう「めまいの遊び=くるくる目がまわるのを楽しむ遊び」なのだ。

グラスを回し、氷が転がる。ケルトの渦巻きが見えたら、ほろ酔い気分

ウイスキーの発祥の地はアイルランドといわれ、スコットランドよりも古くからつくられてきた。
スコッチは大麦麦芽をピート(泥炭)で燻してから発酵させ、2回蒸留させる。独特のスモーキーフレイバーが特徴だ。
一方、アイリッシュは大麦麦芽に未発芽の麦芽をくわえ、基本的にはピートで燻香(くんこう)をつけない。蒸留も3回。
透きとおった麦の香りと甘く滑らかな喉ごしが特徴。
ライト&スムーズが売りだが、液体の奥には、どこかしらあの激情の炎がみえる。
相対立するものを包摂する大人の味わい――それこそがアイリッシュの真骨頂ではないか。
ことにブラックブッシュには、誰にもおもねらず、淡々と歳を重ねてきたものだけが醸しだす「おとなの少年」のような、素直な味わいがある。
みずみずしくて青い香りがするのだ。
ぼくにとっては、これぞアイリッシュという味わい。きっとオロロソシェリーとバーボン樽での熟成がいいのだろう。
司馬遼太郎は、アイルランドの特徴を「甘い憂鬱」と書いたけれど、まさに、ブラックブッシュは甘い憂鬱の酒だ。

『酒の神さま』(ハルキ文庫)

吉村喜彦さんの連作短編小説集、バー・リバーサイドの第3弾が好評発売中。東京・二子玉川にある架空のバーを舞台に、ベテランマスターの川原と若いバーテンダー琉平、そして個性的な客たちが夜毎織り成す物語。マスターが選ぶ一杯の酒が、心に刺さった小さなトゲを洗い流してくれる。

text:Nobuhiko Yoshimura
photograph:Katsuyoshi Motono
location:TENZO