デュワーズの故郷を巡る旅へ
「デュワーズの生まれ故郷、スコットランドで蒸溜所を訪ねてみませんか?」――そんな誘いに二つ返事でこたえてくれたのが、銀座「酒向Bar」オーナーバーテンダーの酒向明浩さん。日本バーテンダー協会の副会長にして、「毎日1本、デュワーズを空ける」という偉大なライフワークが認められ(!?)、デュワーズの名誉アンバサダーも務める、まさに名前どおりの酒仙である。
酒向さんが「人生の伴侶」となるデュワーズに出会ったのは、まだ修行中の身であった20代の頃。バーを訪れる一流商社マンなど粋なお客さまが決まって注文するのが、この酒だったという。
「若い頃はなかなか良いウイスキーを口にする機会がなかったのですが、お店で飲んだデュワーズ ホワイトラベルに開眼させられました。以来、他のウイスキーを飲んでも、帰ってきてデュワーズを飲むと「おふくろの味」とでも言うんでしょうか、あったかい味噌汁を飲むのにも似て、なぜかほっとするんです。心も体も安心する、素晴らしいバランスの優しい味わい。それが、30年間飽きもせず毎日飲み続けてきた理由でしょうか」
もはや酒向さんの血液とも言えるデュワーズ。その生まれ故郷を訪ねるべく、我々はロンドン経由でスコットランド・グラスゴーへと飛んだ。
キーモルトとなるアバフェルディ蒸留所へ
前夜祭とばかりにデュワーズを飲んで寝て、一夜明けたグラスゴーの朝は、しとしと降る雨にけぶっていた。あいにくといえばあいにくだが、らしいとも言える雨のスコットランド。市内のホテルを早々に出立し、デュワーズ聖地巡礼の旅でまず目指す先はハイランド地方の東。創業者ジョン・デュワーの生誕地であり、その特徴的な蜂蜜香の由来ともなる丸みのある味わいによって、デュワーズをしてデュワーズたらしめるキーモルトの産地、アバフェルディ蒸溜所だ。
およそ120kmの道のりは、市街地を抜けてからはひたすらのどかな丘陵と田畑、そして緑の森の景色で、気持ちが安らぐ。海外でもバーを経営する酒向さんだが、アバフェルディは意外にも初めてだという。絵に見るような田園風景を楽しみながらのドライブを、心愉しく過ごしているようだ。
「間もなくアバフェルディ蒸溜所です」運転手からふと声がかかったのは、緑深い山間の道をせせらぎに沿って走っていたときのこと。名前の書かれた門をくぐり、ようやく停まった車の外へ出る。地図を見ると、ここは北海へと注ぐ名流テイ川の支流ピティリー川のほとり。我々は雨上がりの森の清々しい空気を吸い込み、大きく背伸びをしながら、いよいよデュワーズの故郷へと足を踏み入れることとなる。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました!」――爽やかな笑顔と力強い握手で出迎えてくれたのは、ブランドアンバサダーを務めるマシュー・コーディナーさん。チェックのシャツに臙脂色のセーター、グリーンのツイードジャケットをさりげなくブルージーンズに合わせた青年の姿は、まさに現代の「Mr. Dewar」といった印象で好ましいものだった。1898年に、創業者の息子たちによって建設されたというビクトリア様式の壮麗な建物の中へと案内されたのち、まずは昼食のもてなしを受ける。蛇足だが、酒向さんがサンドウィッチに合わせ、紅茶の代わりに早速「蔵出し」のウイスキーを嗜んだことは言うまでもない。
さて、英気を養った後はいよいよ視察の始まりだ。雨が降ったり止んだりの森は足元こそ良くないが、針葉樹の香気が心地よく鼻をつく。小川のせせらぎも耳に快い。コーディナーさんの案内に従って小道を進むと、程なくして清純な渓流が目の前に現れた。先に触れたピティリー川だ。小さな木の橋を渡ると、少し上流には二段の滝を持つ堰堤があり、その横には趣のある木造の四阿がぽつんとたっていた。
「これは素晴らしい。酒造りは古今東西、水次第ですが、清らかな水と豊かな自然に囲まれた、こんな理想的な環境にあったとは嬉しい驚きですね」
サンクチュアリーと呼びたくなるような美しい場所に立ち、あれやこれやとさっそく質問する酒向さんにこたえながら、コーディナーさんは川べりの手すりの上にテイスティンググラスを並べ、アバフェルディ12年を注いでいく。酒向さんは、初めはストレートで、次は少し先の水源でボトリングされたというピティリー川の水で割って、グラスを回し、目を閉じて香りを確かめ、慈しむように持ったグラスを何度も傾ける。
「良質な麦芽、酵母、そしてテイ川につながる豊かで清らかな水。アバフェルディがこの地でしかつくられない理由を、いまこの地で五感で感じています。デュワーズの深みと甘みのある美味しさ、その正体は『アバフェルディよ、おまえだったのだな』と思いました」と酒向さんが話すと、「この川では砂金が採れたんです。だからここでつくられるウイスキーはゴールデン・ドラム、つまり黄金のウイスキーと呼ばれてきました。味も同様、黄金色の蜂蜜のようなハニーフレーバーは、この川の水と、じっくり寝かせる長い発酵時間から生まれるのです」とこたえるコーディナーさん。グラスに注がれた琥珀色の酒は、陽の光を浴びて黄金色に輝いていた。
川を離れ、蒸溜所へと戻った我々は、今度は製造の工程を順に案内してもらう。長い歴史を感じさせる建物だが、いまも現役で使われているためにどこもきちんと手入れが行き届いていて、清潔で、とても感じがいい。従業員もみな、礼儀正しく迎えてくれる。
それにしても、ウイスキーづくりの設備としては昔ながらの鉄製のモルトミル(粉砕機)や木製のウォッシュバック(発酵槽)、銅製のポットスチル(蒸留器)という産業革命時代以来の古典的なものばかり。日本的アニミズムの目で見れば、機械の一つひとつに神が宿っていそうに思えるほど、年季が入っていて風合いがある。品質管理の面ではさすがにコンピュータ制御が導入されているとはいえ、地の利を生かし、素材を生かし、発酵、蒸留、そして樽熟成という長い時間をかけて醸されるウイスキーづくりの根底にあるのは、いまも変わらず自然の摂理と、それをコントロールする術を身につけた先人たちの人智であるということに敬意を抱かずにいられない。
「樽熟成の間に、毎年およそ2%ずつ蒸発して目減りしていき、12年でおよそ1/3がなくなり、30年では半分近くも減ってしまいます」と、貯蔵庫を案内しながら説明してくれたコーディナーさん。「もったいないね」と笑うが、言葉のとおり、「天使の分け前」は自然に対する感謝の捧げものであるということを酒向さんは知っている。
「ここでは、長年デュワーズを飲んで感じてきたことが、いきなり腑に落ちたような感覚がありましたね。アバフェルディのニューメイク(蒸留したての原液)も試飲させてもらいましたが、麦の粉くささの中に広がりのある甘さを感じました。これを熟成させたら、美味しくならないはずがないでしょう(笑)? ニューメイクの時点での完成度の高さに、すっかり感服しました」
ハイランドに生き続けるアバフェルディの伝統製法に触れた手応えは、確かにあったようだ。