スペイサイドリバーとクライゲラキ蒸溜所

アバフェルディ蒸溜所に別れを告げた我々は再び車に乗り込み、さらに北東へと向けて走らせる。次に目指す先は、最もよく知られたシングルモルト・ウイスキーの産地であるスペイサイドの雄、クライゲラキである。アバフェルディからは、およそ170kmもの長い道のり。だが、手付かずの雄大な自然が残る車窓の景色は、道中我々を退屈させることがない。

やがて、緑の谷間に滔々と流れるスペイ川が見えてくる。スペイサイドの地名は、サーモンフィッシングでも知られるこの名流に由来している。今日の逗留先は川縁のロッジホテル。その名も「ザ・クライゲラキ・スペイサイド」だ。

クライゲラキ蒸溜所のすぐ下を流れるスペイ川。ウェーディングでサーモンを狙うフライフィッシャーマンの姿も

夜は、同行してくれたコーディナーさんの粋な計らいで、貴重なクライゲラキ31年を囲んでスコットランド料理に舌鼓を打つ。翌日の蒸溜所取材に、否が応でも期待が高まるというものだ。酒向さんは食後そのまま村のバーへと歩き、バーテンダーたちと語り合いながらさらに夜が更けるまで杯を交わす。酒飲みに国境はなし、である。ところで店の裏は、かのスペイ川。誰が言い出したでもなく、酒向さんたちはグラスを手に持ったまま川辺へ。ここの自然に育まれた銘酒と、その銘酒の取り持つ人の縁。「乾杯!」これぞ、最高の一杯だ。それにしても酒向さんの底なしの体力も、長年デュワーズを飲み続けてきた賜物なのだろうか。

クライゲラキ蒸溜所の外観。中にポットスチルが4基(初留釜2基、再留釜2基)見える

翌朝はホテルで朝食をとってから、さっそくすぐ目と鼻の先にあるクライゲラキ蒸溜所へ。大きなポットスチルが外からも見える。この日もそぼ降る雨の中、屋根からは白い湯気も上がっている。コーディナーさんの案内のもとに施設内を歩きながら、酒向さんは例のごとく次々と質問を投げかけていく。

興味深いのは、外から見た湯気の正体。ワームタブと呼ばれる、冷却・液化システムの巨大なタンクから上がっていたものだった。ワームタブとは冷水タンクの中に螺旋状の銅管を巡らせたもので、ポットスチルから送られてくる蒸留された蒸気をごくゆっくりと液化するためのもの。昔は多く用いられていたが徐々に廃れ、いまではスコットランドでもここを含めてわずか12の蒸溜所でしか使われていないという。効率こそ悪くとも、クライゲラキのスピリッツの独特の香りと濃厚な風味はここから生まれるという説明に、酒向さんも興味深げに頷いていた。

もうひとつ言及しておくべきは、スコットランド広しといえどもここでしか採用していないオイルヒーティングされた麦芽のこと。大麦麦芽の乾燥に、油で焚いた直火を用いることで硫黄香が際立ち、重厚な味わいが生まれるのだという。

そんなクライゲラキのテイスティングで酒向さんが見出したのは、硫黄香を伴う男っぽい力強さと、そこに華やかさを加えるパイナップルのようなトロピカルフルーツのニュアンス。全体的には「シングルモルトとしてのバランスが素晴らしい」という。また酒向さんのこだわりは、やはり水。仕込み水についてコーディナーさんに尋ねると、1891年の蒸溜所創立時から変わらず、近くにあるリトル・コンバルの丘に湧出する泉の水を引き込んで使用しているという。スペイ川にフィディック川が合流する場所に立つこの蒸溜所もまた、豊かな森に育まれた水の恵みの上に成り立っているのだ。

「それにしても昨晩のクライゲラキ31年は素晴らしかった! もうないのかな?」

スコッチの歴史を変えたロイヤル・ブラックラ蒸溜所

クライゲラキを離れた我々は、スコッチウイスキーの歴史上、非常に重要とされる蒸溜所を目指して北西へとひた走る。創業は1812年。マーレー湾に臨むコーダーという町にある、ロイヤル・ブラックラである。

蒸溜所は、シェイクスピアの『マクベス』の舞台となったとされるコーダー城の敷地にある。コーダー川から水を引き入れた溜池には水鳥が泳ぎ、水辺には色とりどりの花が咲き、のどかな田園風景を醸し出している。

ここでユニークなのは、その歴史。創業者はウィリアム・フレージャーという名の陸軍大尉で、インド駐留などを経て帰郷したのち、仲間たちとともに事業を始めた人物だ。ところが、それがなかなか上手くいかない。当時、無免許でつくるいわば密造酒が安価で出回っていたからだ。フレージャーは、税収にもつながるこの酒販ライセンスをもっと安くしてもらうことで正規業者を増やすべく、政府に掛け合い、これを実現させる。ウイスキーづくりを、ハイランド地方のきちんとした産業とした立役者は、他でもない彼であった。

フレージャーの才覚はそれだけではない。自らロンドンへ赴き販路拡大を図るのみならず、1833年にはウイスキー蒸溜所として初めて、当時の王、ウィリアム四世の御用達を賜る。ブラックラがロイヤル・ブラックラとなったのは、このときである。

そうしたレガシーを持つロイヤル・ブラックラは、シェリー樽で仕上げられるスパイシーかつフルーティー、フレッシュでありながらリッチな味わいを特徴とする。蒸溜所内見学を終えた酒向さんは、ここでまたもや案内役のコーディナーさんから嬉しいサプライズをプレゼントされることになる。溜池越しに蒸留所を眺めながらの、ロイヤル・ブラックラ21年の試飲である。

「これぞモルトの中のモルト。口にしたときの香り、それから感じられる甘みとキレ、最後に豊かな余韻として残るスパイシーなアロマに魅了されました。やはりシングルモルトとしてのバランスが素晴らしいものに仕上がっていますね」

200年を超える歴史に触れて味わう、極上のシングルモルト。「ロイヤル・ブラックラにせよ、アバフェルディにせよ、クライゲラキにせよ、そのまま飲んでこんなに素晴らしいシングルモルトたちをブレンドしてつくるデュワーズですから、美味しくならないわけがないよね!」――満足気な顔でそう言い放った酒向さんは、予備の試飲グラスに残っていた21年にまた手を伸ばした。