――ビジネスファッションはシックな装いがお好みとか。今日もスーツだけでなくネクタイも落ち着いた色合いです。時計も黒ですが、いささか地味過ぎませんか。
そうかもしれません(笑)。でもサービス業ですから自分自身のファッションは華美にならないように気を付けています。自分の中で、はめる時計はこの値段のものまでと決めています。
――従業員に対してはファッションについて何かおっしゃいますか。
父が早くに亡くなり22歳で社長になったとき、引き継いだ飲食業を企業として経営していこうと考えました。飲食業ではTシャツ、短パンでの出勤が当たり前だった時代に、料理人も含めてスーツで出勤することを決めました。反対もありましたが、自分の思いを丁寧に説明し納得してもらいました。
今のほうがクールビズなどの時代を反映し、服装は緩くなっています。当社にもグループ内に一級建築士事務所もありますし、デザイナーもおります。外部のクリエーターとも一緒に仕事をすることが多いので、ジャケットに綿パンくらいの硬くなりすぎない格好も多くなりました。
一方で、スーツとなると若い子たちはきちんとした着方を知らないことも多いものです。そこで、ネックサイズがあっているものを着なさいとか、スーツの襟の芯が抜けたのはダメだよとか、基本的なことは教えています。
――若くして事業を引き継ぎ、経営の方向性をどう考えましたか。
父から受け継いだときの年商が3億円でした。私の最初の夢は、まず10倍の30億円の売り上げ規模にすることでした。30歳を過ぎたころ、ファーストドリームの30億円を達成しました。
そのとき、さらに成長するための経営システムを考えました。ファミリーレストランではフランチャイズで大きくなるところもありましたが、自分たちはこれではないなと思いました。チェーン化は飽きられます。しかしそれとは違う進み方を考えたとき、マニュアルもなければ、モデルもありませんでした。
――そして考え出した一つのモデルが、スモールラグジュアリーリゾートという形ですね。
その通りです。10年ほど前にモデル開発しました。私たちが運営する「箱根・翠松園」や「熱海 ふふ」のある箱根、熱海は東京から1時間半で行ける距離にあります。当時、エグゼクティブが満足できる日本のリゾートがないと考えていました。
まずプライバシーを考慮したオペレーションがありませんでした。仲居さんが合鍵で部屋に布団を敷きにくるのが当たり前でしたから。それにファシリティも不十分でした。自宅にオーディオルームを持っているような方たちが泊まる部屋にもかかわらず、置いてあるのはブラウン管のテレビだったのです。そうした面を改善し、さらに和風旅館にベッドルームや個室露天風呂を設えたのも私たちが相当早かったと思います。当事は珍しい設備だったのです。
――和風の造りでもベッドルームや個室露天風呂があるのは、今ではどの高級旅館でも当たり前になってきました。
他にも改善すべき点はありました。例えば当時の高級旅館の、2人で1泊食事付きで7~8万円という値付けも問題でした。
この価格帯ではひとりにかけるお料理の原価も限られたものになってしまいます。普段から銀座のレストランで1人の料理代が1万5000円、お2人でワインまで入れて5万円の食事をしている方たちを満足させられるとは到底思えません。一方で、お客様がいつも召し上がられているお料理のクオリティを保ちながら、さらにお部屋やサービスが満足なものであれば2人で10万円のリゾートのマーケットがあると考えました。
――それが大いに当たりました。「ふふ」ブランドは熱海にはじまり、2018年には河口湖にもでき、来年には奈良、日光、21年には京都、強羅にも開業する予定です。シリーズ化が進みますね。
それでもブランドを守るために10軒までと決めています。それに「ふふ」ブランドながら1軒1軒ゼロベースでプランニングしています。
たとえば富士山が望める「ふふ 河口湖」は、お風呂の床材に富士山の溶岩石を用いたり、建設中にその地で伐採した木でインテリアを作ったりしています。甲州ワインや甲州牛など、地元の食材も積極的に取り入れています。森の木を割って作った薪で甲州牛の肉をあぶって、それを味わってもらいます。
――前編では「地の力」を大事にしているとおっしゃいました。それは敷地の力だけでなく、背後の森や海などの食材も含めた「地域の資産」が含まれているのですね。
地域の資産には人も含まれます。長崎県・伊王島の「i+Landnagasaki」は、地元の人の雇用促進や地域経済の発展への熱い思いがあって成り立つエンターテインメントリゾートです。
――今、都市部ではオリンピック需要も当て込んでホテルラッシュが起きています。それらの運営はしないのですか。
依頼はたくさんあります。ですが、景気に異変が起きたら真っ先に影響を受けるのが不動産です。正直、飛びつくのは怖い気がします。私たちは10年後、20年後でも収益が維持でき、地域に長く愛されるという観点でホテルをはじめすべての経営を考えているのです。
加藤 友康/Tomoyasu Kato
カトープレジャーグループ代表取締役兼CEO
1965年、大阪府生まれ。5人兄弟の3男。父親の事業を弱冠22歳で引き継ぐ。89年に開業した「つるとんたん」をはじめ、ホテル、レストラン、また公共施設の再生を含め、あらゆるレジャー事業のプロデュースを手掛ける。
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make & hair:RINO