――今はカフスの使い方にしても、ネクタイとポケットチーフの色柄の合わせ方にしてもオシャレな印象を受けるのですが、課長時代までは服装に頓着していなかったそうですね。

ネクタイとチーフは百貨店の売り場の方のアドバイスに従いました。今は勝負服に欠かせないカフスもまったく興味がなかったですね。最新のコンピュータやOSに興味があったので。海外の学校見学を頻繁にしていた若い頃、デンマークの教育機関を視察したことがあります。同じ視察団で20代は私だけ、他は50代の方たちでした。帰国前、皆さんがジョージジェンセンのカフスを買っていたとき、私はなぜ買うのだろうと不思議に思っていました。当時は日本の半額で手に入ったので、こぞって現地で購入していたわけです。

最近の海外視察ではファッションも気になります。北米でも東海岸が本社の企業の役員は、すごく服装に気を使われます。西海岸はラフですが、それなりにおしゃれですね。

――前編で課長時代は本当に仕事が楽しかったとおっしゃっています。若いころは服装に気遣う時間がないほど忙しかったのでしょうか。

深夜に会社近くのビジネスホテルに、当時の大きなワープロを車に乗せて持ち込むほど忙しかったですね。

当時はパソコン通信で接続にも苦労する時代。学校にLANのネットワーク回線をひくだけではなく、先生とのやり取りなど泊まり込みが多い仕事でした。関西に加えて東海地区も私の担当でした。大阪と名古屋の間を毎日のように「こだま」で往復し、まだビュッフェがある時代で、お昼はそこでカレーを食べました。三重県に行くときは、徹夜で資料を作成し、近鉄特急の始発に乗ると、空いている座席の上に資料のコピーを順に並べてホッチキスで閉じたこともあります。

――人間ソートですね(笑)。工学部出身で教育市場の営業は最初大変ではなかったですか。

大学生の頃は物理の先生になろうかとも考えて教員免許の資格を取ったくらいで、教育の世界には関心がありました。

学生の時の記憶で、研究室の教授が若手で有名な方だったのですが、測定器その他、売り込みに外から大勢の営業マンが毎日来られる。大変多忙にも関わらず営業に会うので不思議で質問してみました。すると、「そういう人たちが新しい情報を持ってきてくれるんだよ」と。私が大学を出て営業をしてもあまり相手にしてもらえませんでしたが(笑)

そのうち学校にコンピュータが入り始め、会社から「工学部だから仕組みを分かるだろうと」とコンピュータを担当することになりました。

――情報を持ってきてくれる営業は貴重だという話ですね。ご自身はどうやって最新のコンピュータ技術にキャッチアップしていましたか。

当時は情報源としてコンピュータ誌を6誌精読していましたので、大半の情報はほとんど知っていることばかり。次から次へとITの技術は増えますが、プログラム原理は同じで、一度原理を知ればほかの技術も分かるところがあります。その原理を知るためには自分で配線を張ったり、プログラムを少しだけですが試してみたりといった経験が生きてきます。

――それで前編でおっしゃったように、若い人たちに配線を張らせるわけですね。ところで、さきほど海外視察の話がありました。大久保社長は何度も海外視察に赴き、多くの国の教育事情にも通じていますね。日本の教育と海外の教育の違いを感じることはありますか。

海外に出てみると日本で常識と思われていることがそうではないと感じることがあります。たとえば北米を訪れると民主主義が違うなと思います。アメリカは連邦制を取っていますが、教育に関して連邦政府が強制することはできず、権限を持っているのは学校区や各学校の校長です。中央集権が敷かれ、上意下達の日本の教育とはかなり異なります。アメリカのほうが学校の実情を反映した教育が可能である気がします。

日本のほうが良いと思う点もあります。その一つが新卒の一斉採用です。批判もありますが、一斉採用のないアメリカでは、エリートは優良企業からどんどん声がかかる一方で、非エリートはインターンシップに参加することさえ難しい。日本の学生のほうがスタート地点でより平等にチャンスが開けています。

――教育市場は少子化で厳しい環境が進んでいます。

少子化はもう20年前から分かっていた事です。社内でも教育産業は斜陽化すると言われたものです。新入社員からも「事業部長、教育市場はなくなるんじゃないですか」と質問されたことがあります。そのとき私は「社会に出る人も少なくなるから、すべての産業に影響する。これから世界各国で教育のICT投資が増え、一人当たりの教育費は増大する」と答えました。学校には一人一台タブレットPCや電子黒板、デジタル教科書など学びの環境を変えるICT 導入が進み、今はその通りになったと思います。

日本の場合、子どもの塾通いに代表されるように、教育が家庭の投資に偏りがちです。他の先進国の実情に照らすと、もう少し学校教育に予算が振り向けられてもよいと思います。

――来年は創業110周年です。節目の年はどんな気持ちで迎えますか。

当社の創業は1910年、中国の大連においてです。満鉄の測量技師だった創業者が退職して、満鉄に当時の最先端な測量・製図機械を納める会社を興したのが始まりです。「洋行」は、中国語で外国人の店という意味をもちますが、それと同時にフロンティアスピリットとして当時は未知の領域に挑むイメージでした。自分が一番知っている市場に対して常に新しい技術を貢献する。創業から110年たち、私たちはもう一度その原点に戻りたいと考えています。

もちろん当時と今では、時代も国情も国際関係もまったく違います。しかしお客様の近いところでニーズを把握し、そこにその分野の専門家として常に進化した製品・サービスを提供することは当社の創業以来のDNAであるといえます。その点をしっかりと認識し、事業を展開していきたいと思っているのです。

大久保 昇/Noboru Okubo
内田洋行代表取締役社長
1954年、大阪府生まれ。京都大学工学部卒。79年内田洋行入社。以来、一貫して教育機関向け市場を開拓し、ICT分野の牽引役に。教育総合研究所を設立し、所長を兼務。取締役専務執行役員を経て、2014年7月から現職。

text:Akifumi Oshita
photograph:Tadashi Aizawa
hair & make:Nagisa Koda(Goldship)