宇宙も深海も、過酷な環境ではバックアップが必要
【水谷】篠宮さんはフリーダイバーとして世界を舞台に戦い、2009年にはジャック・マイヨールの記録を越え、2016年までの18年間でのべ37個もの日本記録・アジア記録を樹立してきました。その篠宮さんにとって腕時計とはどんな存在でしょうか。
【篠宮】とても重要なツールです。フリーダイビングという競技は、潜る前の段階で8割くらいパフォーマンスが決まってしまいます。多くの大会では、一人45分間のウォーミングアップの時間が与えられて、陸上でヨガをやったり、浅く潜って調子を確かめたりするのですが、最後の数分は集中力を高めることが重要。そのため、まずはズレが少なく正確なものを使うようにしています。
【水谷】大会でも腕時計を着けて潜るのですか。
【篠宮】そうですね。大会運営側から記録計測用のオフィシャルウォッチが与えられて、それとは別に、個人の記録用に自分の時計を着ける選手が多いです。自分の時計を大抵は1本、中には2本着ける人もいます。
【水谷】それはどんな時計ですか。
【篠宮】私の場合は機械式時計です。オフィシャルウォッチはデジタルなので個人のものはアナログにしようと。いま使用しているのはブライトリング、COSC認証取得のクロノメーターです。
【水谷】機械式時計とは、驚きです。なぜですか。
【篠宮】理由はいくつかあります。デジタルに頼り切ってしまうと、電池切れやバグが生じた場合、または水没してしまったら完全にアウト。万一波にさらわれたら、漂流してから何時間経過しているのかもわからなくなってしまう。その点、機械式ならぜんまいを巻き上げれば動いてくれる可能性が高い。海上保安庁のレポートによると、漂流後72時間以内なら助かりやすいという試算が出ているので、何があっても時間がわかるように。そのためデジタルと機械式の両方を着けて、リスクを分散しているんです。
【水谷】宇宙飛行士が宇宙に行くときもデジタルとアナログを両方持っていくそうですが、それと似ていますね。
【篠宮】過酷な環境ではそういう発想になるのかもしれません。ダイバーにとって腕時計は、命を託す重要なツール、身に着けられる唯一のツール。だからバックアップは絶対に必要なんです。それと、個人的には機械式の小刻みな運針のほうが、心臓の鼓動に近い感じがして好きなこともあります。
防水性能は水深の3倍以上が望ましい
【水谷】では、篠宮さんが考える、ダイバーズウォッチに必要な条件とは何でしょう。
【篠宮】まずはタフであること。100m以上潜るダイバーからすると、防水性能は最低200m。ただ200mだと瞬間的に水圧がかかった場合に不安があるので、できれば300m以上、500mあると安心ですね。
【水谷】ケースの形状、サイズはどんなものがいいですか。
【篠宮】競技面からいうと、水の抵抗が少ない流線型のものがいい。角形のケースでも手首にフィットするものならいいと思います。ただ、あまりにごついものは適さないと思います。水の抵抗を受けますし、ぶつけやすいですよね。
【水谷】ぶつけたときのために、逆回転防止ベゼルも基本的な要件とされています。
【篠宮】これはとても重要です。ベゼルが両方向回転式だと、入水からの経過時間を実際より短く表示してしまう可能性があります。私はスクールも運営していますが、経過時間を正確に把握していないと、生徒が疲れたり体が冷えたり、命にかかわる事故につながりかねません。
【水谷】ベゼルが回転してしまうことは結構ありますか。
【篠宮】海中では視界が限られるので、岩などに時計をぶつけることは意外と多いですね。その衝撃でベゼルが回ってしまうことも。あとは自分のウエットスーツでこすってしまうこともあります。
【水谷】誤回転を防ぐ仕様として、ベゼルをケースの内側に収めたインナーベゼルもあります。
【篠宮】これは賛否両論ありそうです。それがねじ込み式のリュウズになっていると、海中でベゼル操作ができませんよね。個人的には、海中で変えられるものがいいと思います。
【水谷】素材でいうと、近年はセラミック製など硬質なベゼルも出てきました。
【篠宮】岩にぶつけることや、砂が入る可能性を考えると、アルミ製よりセラミック製のほうがいいと思います。アルミ製だと太陽光で色あせてしまうことがありますが、セラミックだとその心配もありませんし。
時計で唯一、人命を預かるものだからこそ
【水谷】続いて視認性について。そもそも競技中は時計を見るものですか。
【篠宮】ほとんど見ませんね。
【水谷】すると蓄光塗料はあまり意味がない?
【篠宮】ただ、僕がよく出ていたバハマの大会に、200mくらいの竪穴地形の海があって、潜っていくと光がまったく届かない。真っ暗な中で光るもの、目に見えるものがあるとほっと落ち着くんです。この落ち着くことがフリーダイビングにとってはとても重要で。焦ったり危険を感じたりすると酸素を無駄に使ってしまうので記録が伸びないんです。そのほかでは、ナイトダイビングのときには重宝しますね。
【水谷】色はいかがですか。オレンジが見やすいとよく言われますが。
【篠宮】暗い深海に潜ったとき、最後まで認識できる色がオレンジとイエローです。なので、それらの色を使うことは理にかなっていますね。ブラックのダイヤルも個人的には好きです。
【水谷】外装部品では、ストラップはどんなものがいいでしょうか。
【篠宮】ラバーのほうが早く乾くので便利という側面があります。でもメッシュタイプのブレスレットも使いますね。手首にフィットして時計がずれにくいので気に入っています。
【水谷】機能的な面でいうと、水深計付きの時計もあります。
【篠宮】うーん、個人的には表示が小さくなってしまって意味がない気がします。水深を記録するならデジタルウォッチに軍配が上がりますね。水深や速度のデータをPCに取り込んで分析できますし。
【水谷】クロノグラフ付きも多くありますが、使うことはありますか。
【篠宮】まずありません。むしろプッシュボタンが増えると、水の侵入経路が増えて不安になります。ダイバーからすると腕時計は命を託しているツールなので、最もシンプルな3針で、リュウズ一つのものが安心です。
【水谷】命を託すからこそ、リスクをできるだけ排除したいということですね。
【篠宮】そうですね。それとは別に験担ぎの部分もあります。この時計を着けていい記録を出したら、その時の記憶をずっと覚えている。ダイバーにとっては勝守りのような部分があります。
【水谷】たしかに腕時計を着けて競技を行える、数少ないスポーツです。
【篠宮】だからかもしれませんが、ダイバーには時計好きが多い。そもそも、前世紀にジャック・マイヨールがオメガのサポートを受けて、ダイビングを世間一般に広めました。それを見ていた私も、ダイビングを始めたときにいつかは時計メーカーから声をかけてもらいたいと。それがモチベーションになって頑張れた部分もあります。
【水谷】腕時計はダイバーにとって、命を守るセーフティーツールであり、勝守りであり、成長の原動力でもあるのですね。同じ工業製品でも車などと異なり、腕時計が安全面で問題になったり、リコールを受けたりすることはまずありませんが、ことダイバーズウォッチに関しては人命を預かるツールであること、信頼性こそが最重要であることをあらためて認識しました。最後に、フリーダイビングの魅力を教えてください。
【篠宮】まず水の中に入ってリラックスを感じる人はダイビングに向いていますね。フリーダイビングという競技に関していうと、水深30メートルまではフィンや足のキックで潜っていきます。30メートルを超えると肺が圧迫されて浮力を失い、水中を自然落下していく。この落下していくときの、なんともいえない浮遊感は何度味わってもいいものです。
【水谷】なかなか普通の人には体験できない感覚ですね。ありがとうございました。
篠宮 龍三/Ryuzo Shinomiya
プロフリーダイバー、apnea works代表
1976年、埼玉生まれ。2001年よりフリーダイビングの5種目で、通算37個の日本記録・アジア記録を樹立。現在も、コンスタントウィズフィンで115m、フリーイマージョンで104mというアジア記録の日本記録を持つ。2016年10月に18年間の競技生活を終える。現在はダイビングスクールの運営を行うほか、大会の開催に向けて活動する。
水谷 浩明/Hiroaki Mizuya
編集プロダクションのd・e・w(デュウ)にて、2007年より高級時計関連の記事制作を行う。ビジネス総合誌「プレジデント」、ウェブマガジン「プレジデントスタイル」の時計記事を担当するほか、カタログや会員誌等の制作も手がける。
text:Hiroaki Mizuya(d・e・w)
photograph:Wataru Mukai